|聖カピタニオ女子高等学校|豊かな人間性を持つために

自分と向き合える勇気!

  6月7日~9日、1年生の修養会が行われました。

今年は、石川県まで足を延ばしました。

1年生にとっては初めての校外での活動。期待と不安以上に、「修養会」という行事に「?」マークが大きかったと思いました。

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 止揚学園の園長福井生(いくる)先生は、幼い時から脳に重い障害を持った人たち(止揚学園の人たち)と生活をした体験から気づいたことをお話してくださいました。

競争することが大事なことではなく、みんなで一緒にすることの大切さs_0128

障害の有無に関係なく、相手に希望を与える言葉を言うこと

心と心は繋がり、2つの心からみんなの心が繋がる

同じいのちが与えられ、それが繋がっていることを具体的な場面を通して私たちに伝えてくださいました。

止揚学園で作られた歌を、西竹先生が歌ってくださり、優しい歌詞の意味に心が癒されたように感じました。

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 もう一人の講師、松本神父様から「自分壊し」のお話を伺いました。

s_0488人生で自分壊しは3回あり、1回目は母親の体から離れこの世界に誕生した時、2回目は、3歳頃保育園に行き始める時の母子分離、3回目は思春期の「今」。

今が自分壊しの時であることを具体的にお話してくださいました。

自分を壊さないと新しい自分が作れません。

神父様のお話から、これからの自分壊しの仕方を学び、自分を新しく作り変えていく希望を持つことができたのではないかと思いました。

そして、人生で与えられている課題、「私は誰?」の答えを見つけていくためにも、「選ぶことは、捨てること」を心にとめていくことで幸せになれることを学ばせてもらった貴重な時間でした。

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 この3日間の修養会で皆と関わりをもって生活ができたからこそ、自分のこと友人のことを理解できる機会が多く与えられたと思います。

人間は自分を正当化させるために、他者を非難する傾向があります。

そんな人間の弱さについても考えることができ、今後「どのような自分になっていきたいのか」、自分と向き合えた貴重な3日間になりました。

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 全てのことに、意味がありますね!

この経験を生かして、しっかりと思春期を乗り越えていって欲しいと祈るばかりです。

 

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どの視点に立っていますか?

   ある生徒が、登校中に起きたことを話してくれました。

「満員バスに乗っていた時、一人の女子生徒が発作を起こして倒れたのでバスが止まり、救急車に連絡してくださいと言われたが、誰もしなかったので私がしたんだわね。

救急車が来るまでバスは止まっていたから乗客の人たちはほとんど降りてしまったんだけれど、その女子生徒を抱えている人と私と数人の人たちだけが残ったんだわね。

乗客の人の中に、不満を吐き捨ててバスから降りていった人がいて嫌だった。」

と話してくれました。

 

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 同じ状況を、乗客の立場で見ると、

「今日は運が悪かった。時間に遅れちゃった。」

と言うようなことが言われ、

倒れた女子生徒の立場で見ると、

「可哀相に。だけど、助けてくれる人がいて良かったね。」

と言うようなことが言われるのではないかと想像しました。

 

 そんなことを考えると、今、テロや殺人など暗いニュースばかりを見聞きするたびに、

「暗い社会になってきて、希望もなく将来心配だ。」

と暗い気持ちになりますが、

自分のことより相手のことを考えて生きている人の生き方を聞くと、

「人を助ける人がいて良かったね。希望があるね。」

と思えます。

 

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 暗い社会を作るのは、一人ひとりの人間の自己中心的な生き方です。

だったら、一人ひとりが

「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしない。」

(マタイ福音書7章12節)

という今月のみ言葉を実践していくと、希望のある社会になりますね。

私は日常生活の中で、どの視点を見て生きているのか、考えさせられた生徒の話でした。

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一粒の麦,海を越えて

 5月12日(金)は本校創立54年を迎え、全校生徒、保護者、卒業生でお祝いをしました。

1部は「みことばの祭儀」、2部は昨年インド体験学習に参加した生徒たちによる報告会が行われました。

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 「みことばの祭儀」を司式してくださったのは、春日井教会主任司祭北向修一神父様です。

 

「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままである。死ねば、多くの実を結ぶ。」

(ヨハネ福音書12章24~26節)

の、み言葉を次のように話してくださいました。(抜粋)

 

 「愛のない人生、花や実のつかない木のようなもの。」

(カリール・ジブラン)

DSC_0048 木は、食べられる実をつけるのが最高で、食べられない実をつけるものなら、せめて花が美しいのがいい。

花すら咲かない木もたくさんあり、だからといって存在価値がないわけではないが、やはり人間から見ると、それは「寂しい」ということになります。

愛する人はいなくても生きられなくはないが、やはり愛する人と共に生きる幸福感は、豊かな人生にとって不可欠なものであるという意味です。

今日の聖書の箇所に出てくる麦は、神様が私たちに教えてくれる豊かな人生のたとえです。

 

DSC_1105 現在の私たちにとっても一粒の麦とは、人間を生かすパンのもとになっています。

こんな小さな一粒の麦でさえ、たくさんの人を養い育てる力を持っているのです。

それならば神様がお創りになった人間にどれほどの可能性があるのでしょうか。

私たちは皆この地上に蒔かれた一粒の麦、自分の為だけに人生を使えば孤独なだけですが、隣人のために使えば大きな実を結ぶのです。

自分の殻を破って勇気を出して行ったことが、思わぬ結果を生むことがあります。

 

DSC_1104 本校の修道会の創立者であるバルトロメアとジェローザは病気の人、刑務所にいる人など社会から疎外されている人たちに、自分ができる小さなことを誠実に愛の心を持って接していました。

弱い人、小さな人と寄り添いたいというその意志は海を越えてこの日本の地にまで及び、この聖カピタニオ女子高等学校においてたくさんの女子生徒にカリタ(神の愛)の精神を伝えています。

一粒の麦のように小さなことでも役に立ちたいという私たちの気持ちが、愛する心を育み、私たちの成長の中で、また隣人の中で豊かな実を結ぶのです。

 

 

 北向神父様は、「一粒の麦」の生き方を具体的にお話をしてくださいました。

DSC_0019聖書に「私たちは神の似姿に創られている。」と書かれています。

私たちは一人で生きていけません。「共に生きる」ように神様は、私たちをお創りになりました。

人との関わりが希薄になっている現代、神様は創立記念日を通して「共に生きる喜び」を味わうように呼びかけておられるような気がしました。

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アレルヤ!主は復活された!

   4月16日(日)は、主イエス・キリストがよみがえられたことをお祝いする復活祭(イースター)です。

復活祭は毎年お祝いする日が違う関係で、クリスマスのように人々にあまり関心を持たれていないと思っていました。

ところが、前日の15日(土)に大型スーパーにお花を買いに行ったら、店内に「ハッピーイースター」の音楽が流れているのに驚きました。

私にとって「イースター」の言葉を知ってもらえるので嬉しいのですが、その意味を理解できる機会が与えられるといいなぁと思いながら店内を歩いていました。

 

 

IMG_0041 ローマ・カトリック教会では、4月13日(木)から15日(土)を聖なる3日間として、特別にお祈りを捧げます。

13日(木)は、主の最後の晩餐を記念します。

14日(金)は、十字架上で亡くなられた主を記念します。

聖書では12時頃から午後3時ごろまであたりは暗くなり、3時に主は息を引き取られたと書かれています。

この時間は、生徒たちと掃除が終わり,帰りの祈りの時でした。

「今、主イエス・キリストが息を引き取られた時です。」

と言ったら、ある生徒が、

「本当にイエスはいたの?死んだ人間がどうして復活するの?」

とダイレクトに質問してくれました(笑)。確かに信じがたいでしょうね。

15日(土)は、墓に葬られたイエスを記念します。

この3日間のミサは、夜に行なわれます。

特に聖土曜日は、聖堂内を真っ暗にした中で「光の儀式」から始まります。

 

 

 「暗闇は死の世界を表しています。

ろうそく私たちは死の陰の谷を歩んで生きていますが、この世界をどのように生きていけばいいのかを、光で象徴される復活したイエス・キリストが身をもって教えてくださいました。

復活徹夜祭に復活のローソクに光が灯され、その光の後に私たちは行列しながら聖堂内に入っていきました。

私たちはいつもこの小さな光に照らされ導かれながら、暗闇の世界であっても希望を持って生きていくことができます。

約2,000年前にパレスチナで生きたイエスは、いつも社会の弱者、疎外された人々の傍で小さな光となって生きていました。

この小さな光は、今も人々によって灯されています。これがイエスの復活の意味です。」

と復活祭を多治見教会で祝った時に、竹谷神父様がお話をしてくださいました。

 

 

 毎日、新聞、ニュースは、悲しい事件を報道し、それを聞くたびに、

「何を信じて生きていけばいいのか?人間らしさはどこに行ったのか?」

と怒りの気持ちがわいてきて叫びたくなります。

そんな時、自己中心的な生き方をしている人間が起こしている問題を解決する方法は、

 

互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛しなさい。」(ヨハネ福音書14章34節)

 

のイエスの言葉を生きるしかありませんね。復活祭では、祝福された卵を頂きます。

それは、自分の自己中心的な殻を破って、キリストの新しいいのちを生きることを意味しています。

だから、復活祭の時に卵の形をしたチョコレートが店頭に並ぶのです。

 

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カピタニオファミリー

DSC_0057 4月7日は全国雨模様。「雨が小降りになりますように」と祈っておりましたが、私の願いは叶えられず(修業が足りませんね。笑)、雨の入学式になりました。

桜も満開になり、温かな気温に誘われて花壇のチューリップは一斉に花を咲かせてきました。

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春になると自然界の木々や草花が一斉に芽を出し、色とりどりの花が咲き、新しい環境に緊張や戸惑いを持っている私たちに希望を持たせ応援してくれているかのようです。

このように考えると、4月に入学式、入社式を執り行う日本人の感性は、理に適っているように思えるのは私だけでしょうか。

 

DSC_0026 本校に入学してきた新入生の表情も緊張気味。

担任から名前を呼ばれ、「ハイ」と元気に応えていました。

新入生たちが「人格(ペルソナ)」をもった者として、今日から始まる学校での生活を通して、自分に呼びかけられる声(一人ひとりがこの世に存在した時から呼びかけられている声=神の声)に「ハイ」と応えながら自分らしく成長していくようにと、会場にいた私たちは祈りを込めてその様子を見ていました。

DSC_00763年生の生徒たちの歓迎の歌声を聞き、一人ひとりに手渡されたローソクに「お互い助け合って、有意義な高校生活を送りましょう。」という願いを込めながら行なったキャンドルサービス。

カピタニオファミリーの一員となった新入生たちが、期待と夢を持って有意義な高校生活を送ることができますように。

 

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