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被災地の報告会に参加しました!
2月11日(土)午後、名古屋教区センターで行われた「東日本大震災をとおして見えてきたこと・問われていること」のテーマで、カリタスジャパン事務局の成井大介神父様(神言会)のお話を伺ってきましたので、皆さんと分かち合いたいと思います。
東日本大震災が起きて11か月が過ぎました。震災が起きた時は、たくさんの義援金とたくさんのボランティアの方々が押し寄せてきたそうです。しかし、時間が経つにつれて被災地の方々は、「なんか、だんだんと忘れられて行くような気がして」という気持ちが強いということです。人間は困難に立ち向かう力を持っていますが、皆から目も向けてもらえなくなるのが一番つらいことです。
【震災をとおして見えてきたこと】
「普段できていないことは、震災時でもできない」ということです。日頃、ご近所の人と関わりを持ち助け合っている関係を作っておけば、非常事態の時にお互いに協力し合えるので、日頃からご近所の関係をよくしておくことの大切さを話してくださいました。
【問われていること】
阪神淡路大震災後、災害時の日本の法律は改正されたそうですが、今回の震災でまた新たな状況が出ているので、生活をしていく中で変だと思うことについて、しっかりと自分の声を上げているのか問われていると言われました。
【カリタスジャパンの対応】
カリタスジャパンは震災発生から半年を緊急支援機関と位置づけ、主に「物資支援」と「生活環境改善支援」を実施したことを話してくださいました。
物資に関して避難所の人たちに平等にストーブを、岩手に3,600台、仙台に8,500台、福島に6,000台を配布。掛かった費用2億円は、カリタスジャパンに送られてきた義援金で賄われました。他にも被災者のニーズに合った物資が配給されたり、時には行政と交渉して必要なところへ必要な物資が届けられるように働きかけているそうです。
ボランティアの受け入れとして、教会がサポートセンターとなって全国から来てくださるボランティアを受け入れ、家の泥やヘドロをかき出すこと、写真の洗浄、傾聴の3種類の仕事にとりかかりながら、地元の人たちと親しくなり言葉を交わすことから他者の必要性がわかり支援ができたお話がありました。たとえば、漁船を北海道から運搬する費用やカキの養殖のホタテ貝の代わりになるものを韓国から輸入する費用など、カリタスジャパンは「寄り添う」をモットーにして地元の復興支援に取り組んでいるということでした。
福島県は、他の被災地とまた事情が違い、家族がバラバラに避難していることから家族の崩壊による問題が深刻だということでした。
被災地に出かけることができなくても、被災者にために祈ることや今回のように「おやつでいっぷく」に協力するなど、これからも自分にできることで被災地の方々に「寄り添って」いきましょう。
私が確立された授業
前回に引き続き、本校独自の授業「宗教」を3年間受けて、生徒の感想を抜粋したものを紹介します。同じ授業を受けても、受け取る生徒たちの個性が十分に表あ現されていて、高校生活でしっかりと「私を確立」し自分に自信が持てたことを知り嬉しく思いました。
*3年間を振り返ってみると「宗教」の授業は、キリスト教を学ぶものじゃなく、人間の生き方、人間性、自分を育てていく授業なんだと気づきました。そのことを強く思ったのは、2年生の「ものの見方」の授業です。たくさんの絵を見たり、他人から見た自分のイメージを教えてもらったりして、改めて自分というものを考えさせられました。自分が思っていた自分のイメージと他人が思っている自分のイメージは、一致しているものもあれば、正反対なものもありました。やっぱり自分で考えるだけでなく、客観的な意見も大切なものなんだと思いました。
*3年間の宗教を通して思ったことは、考え方が大きく変わったことです。最初は“つまらない”から始まったのに、今では自分の基盤となっている部分がたくさんあります。3年間でこんなにも変われるものかと思うくらい変わりました。ものの見方、許すこと、愛すること。3年間で宗教の授業から学んだことは言いきれませんが、良い人になろうとせず、ありのままの私でいようと思いました。今の自分への課題は許すことです。どんなに腹が立っても、許してほしい時がある限り、私は許していかなければなりません。そして、宗教を通して出会った多くの人や言葉を大切にして、卒業しても、この学校の生徒らしくいたいと思います。
*高校入学する前までは、一度も考えたことがないことを考えたり、自分と向き合ったこと、この学校に来て学べてよかった。もし、この学校に来ていなかったなら、自分と向き合える機会もないし、ものの考え方やいのち、生と死について真剣に考えることもなかった。宗教の授業で学んだことが自分の身になって、なりたかった自分に近づけたし、自分自身と向き合って変わることができた。また世界の状況や平和のために働いた人の話など、貧しい人たちの現状を知って、今自分に何ができるのかを考える機会があった。そんな時間がなければ考えることすらなかったことを、この授業を使って教えてもらい学んだおかげで、物事を深く考えられるようになった。
*自分について考える授業は、一番悩んだものでした。「自分て何?」何度問いかけても答えは出なかった。自分の中に知られたくない一面を持っていて、そんな自分が嫌で隠しながら生活しているような気になってしまったこともある。周りの多くの人に支えられて、学校では自分の机も椅子もあるし、大好きな家には家族がいる。この状況の中で、もっと自分を見つめなおして、しっかりとしたブレない軸を持った自分を見つけようと思った。これは、3年生になって将来を考える時期になった今、自分の中ですごく支えになっている気持です。飢餓や貧困で苦しむ人たちのことを考えるとなおさらである。この授業を受けてから私は東南アジアの方に目を向ける機会が増えた。将来は東南アジアに関わる仕事に就きたいと思った理由の一つに、この授業がある。
*キリスト教に含まれている「愛」に目を向けることで、生きていくうえで大切なことを学んだと思います。「命」や「愛」、「自分」など考えても考えてもきりがないようなテーマだったけれど、答えを出すのではなくて、考えることに意味があるのだと思います。自分を見つめて、自分について考えることで、相手の気持ちをちゃんと考えられる人になれるのだと思うし、自分のことをしっかり見つめられないときは、相手の気持ちも考えることができないのだと気づきました。
*宗教の授業を通して、すごく印象に残っていることが二つあります。一つ目は「一粒の麦」です。私はたった一粒の麦でちっぽけかもしれないけれど、たくさん集まれば大きな力になるということを考えさせられ、今、必要としていることはこれなんだと感じました。私もこれから社会に出ていくたった一粒の麦くらいちっぽけかもしれないけれど、少しでも力になれる、そして強い気持ちを持って歩んでいきたいなと思いました。二つ目は「ゆるす」ことについてです。パワーポイントを見て強く思ったことは、自分が許されるためにしていることはあるのかなと思いました。自分は何もしていないんだと考えさせられました。そして、自分が許さないことによって、相手の人生も性格も変えてしまうことがあるんだと考えさせられました。
*私は高校で宗教の授業を受けて、宗教への考え方が変わりました。入学前は、聖書にある考えを押し付けて、洗脳して、こういうふうにイエス様は凄いんだって、ひたすら語られるものだと思っていました。堅苦しくて、聖書を暗記しなければいけないとか。でも、この3年間で、もっと自由で個人個人の考えが尊重されるんだと気づきました。そして、イエス様や聖書を信じるも信じないも自由で、考え方を無理に変える必要はないのだと学びました。そのおかげか、私も聖書は自分自身のためになるものだと感じるようになり、疑ってばかりでなく信じることも大事なのだと気づきました。
1年生のときにした「愛の実践」の発表の経験は、卒業してからも忘れずに、それぞれの場所で実行されていることを耳にするたびに、「一粒の麦」になって世界の平和のために貢献している卒業生を誇らしく思っています。
ウマニタスが教えてくれたこと
2o12年が皆さん一人ひとりの心に「希望」をもたらし、新たな一歩を踏み始められたことでしょう。
私がブログを始めて2か月になります。慣れない私がブログを始めたのは、学校が行なっている教育を具体的に皆さんにお伝えすることと卒業生の皆さんに本校で受けた教育を思い出し、各自に与えられている人生の道をまっすぐに歩く助けにもなればと思ったからです。今年もよろしくお願いいたします。
本校独自の教科に、ウマニタス(総合学習+女性学)と宗教の授業があります。今回はウマニタスの授業について、紹介したいと思います。
ウマニタスとは、もともと人間性や人間らしさという意味のラテン語です。この教科は、マナー、ジェンダー、性の学習、女性史を4つの柱としています。入学してすぐの授業では、挨拶やお辞儀の仕方を学びますが、生徒たちにとって”当たり前”のことをわざわざ学ぶことに首をかしげています。しかし、3年間を通じて女性として、人間としての生き方を考え学び合うことによって、生徒たち一人ひとりは自分に自信をもって卒業の日を迎えています。
今回は、生徒たちの感想を抜粋して紹介したいと思います。
*高校3年間という大切な時期に、ウマニタスを学ぶことができてよかったと思います。お辞儀には三種類あって、それぞれの状況に応じて使い分けなくてはならないことやマナー実践(玄関の上がり方・靴の揃え方)を毎年学ぶことによって自信が持てるようになりました。
*3年間ウマニタスを学んで一番私が思い出に残るのは、マナーの授業です。挨拶、敬語の使い方、お辞儀の角度など最初は面倒だと思っていたことも、これから社会に出るにあたって一番役に立つことを教えてもらいました。人と話し合ったりすることが苦手だった私が、今では普通にみんなの輪に入れるのも、この授業のおかげかなと思っています。
*2年生の時に仲間と一緒に調べ学習をし、みんなの前で発表をし、学年で一番良い成績をおさめることができました。他のグループの意見や考えを聞き、「そんな考え方があるんだ!」と新しい知識を得ると、また別の「新しい考え方を知る」ということができます。みんな丁寧にまとめあげたものを発表するので、とても楽しかったです。
*新聞発表のために記事を探したけれど、自分が発表しない時も新聞を読んで、女性に関係する記事が目に入るようになった。
*“ジェンダーとは何か”“性同一性障害”“女性の生き方”とか“性”に関することをたくさん学んで、女性らしさや女性に生まれたことの素晴らしさ知ったとともに、今昔の女性ゆえの立場や制度に悩まされて生きていく難しさも知った。だけど、授業や新聞発表を通じて感じたことは女性がパワフルであること、楽しんで今を生きている人がたくさんいるということ。これから先、「女性だから~」とか性が原因で問題にぶつかることもあるかもしれない。その時は、ウマニタスで学んだ女性の生き方を思い出して前向きに進んでいきたいと思う。
*女性について学んだことは、イコール自分のことであり、生きていくうえで嫌でも意識しなくてはならない部分である。ウマニタスでは様々なことを通して、一つのカテゴリーとしての自分を客観的に見つめる機会があってよかったと思う。
*この授業を通じて、自分を客観的に見つめなおしたことで、自分の善いところ悪いところに気づくことができました。自分の性格をよく理解できたことが、友人や他人を理解し、受け入れるということにつながりました。高校3年生になった今、他人と自分との違いを感じても、違和感を感じることなく受け入れられるし、十人十色という言葉があるように人それぞれ違う方が味があってよいのだとひしひしと感じられるようになりました。
*女性学を学んで世の中には女性という「性」の問題で苦しんだ人もいれば、女性という「性」を生かし生き生きと輝かしい人生を送っていらっしゃる方もいることを知って、「性」って何だろうと考えるきっかけになりました。今では、女性差別は少なくなったけれど、まだまだ「性」に関する問題は世の中にたくさんあると思っています。だから、私はこれからの人生を歩んでいくうえで、自分の考えだけにこだわったりするのではなく、広い視野を持って判断できる女性になりたいと思いました。
*将来がある私たちには、過去を学ぶ義務があります。自分自身のこと、自分の国のこと、世界のことについて視野を広げて、全体の中から客観的にものを見ることも時には大切です。それを踏まえて、自分がどうあるべきかということを考えて自分で自分の人生を作り出すことができるからです。自分の意見を表すことによって他者からの理解や意見をもらい、自分の姿が作り出されると思います。
次回は、宗教の授業について紹介いたします。
思いを歌に込めて
12月20日(火)に、音楽会が行なわれました。各クラスが9月から選曲、アレンジとすべて自分たちの手で趣向をこらし作り上げた作品です。この時期は、4月から行事に取り組んできて、クラスの輪が徐々に出来上がりまとまってくる頃です。音楽会を迎えるまでにいろいろ問題を乗り越えてきただけあって、どのクラスも当日は澄んだ歌声のコーラスが聞けました。1年生からクラスが上がるにしたがって、歌声の透明感とクラスの一体感がでてきて、さすがに3年生の透明感は素晴らしかったです。世界でたった一つの作品を発表する音楽会でした。
12月22日10時から、クリスマスミサが本校のカリタスホームで行なわれました。「Christmas」は、Christ(キリスト)をmas(祝う)という2つの言葉で作られています。神は人間を愛するあまり神の御ひとり子イエス・キリストを、私たちに与えてくださいました。それは、人間と同じ姿になり、自分も人間と同じ苦しみを味わい、人間の代わりに罪の償いをすることを神は望まれました。私たち人類一人ひとりは、神から愛されている存在です。
本校で行われたクリスマスミサの司式をしてくださったのは、刈谷教会のフィリップ神父様でした。神父様はユーモアを持って私たちに「小学3年生の女の子が担任の先生に、クリスマスプレゼントを贈りました。そのプレゼントは小さな籠で、その中に人の目には見えず触れることができないけれど、一人ぼっちの時に慰めを与え、傷ついた時に癒しを与える女の子の愛が入っていました。イエス・キリストも馬小屋の中でお生まれになり、人生という籠の中で私たちの心を温め、癒してくださる方です。」という趣旨のお話をしてくださいました。心が温まり幸せな気分になれたひと時を、全校生徒、教職員、保護者の方々と共有できました。
ミサの中で歌った聖歌と最後のハレルヤコーラスは、カリタスホームの中にいる人々の心に響きわたり、それが世界の平和を祈る私たちの祈りとなって天に届いたように思いました。
今年は、3月11日に予測もしていなかった東日本大震災、そして9月の台風12号と、これまで人間が築きあげてきたものが、一瞬のうちに奪い去られてしまいました。自然の前で人間は無力であることを思い知らされた1年でした。しかし、この災害によって私たちの心に眠っていた愛が目覚め、災害の傷跡を癒し始めた1年にもなりました。やはり愛は、人間らしく生きるために必要なものですね。
今年1年、たくさんの方々の支えと励まし、協力によって無事終えることができることを感謝申し上げます。来年も皆様にとって希望のある良い年になりますようにお祈りいたします。
地域の人々に愛を
前回に引き続き、12月7日、8日実施された本校の奉仕活動~校外奉仕活動~について報告いたします。
【保育園・幼稚園】17園

主に瀬戸市内の保育園に行き、誕生会のカードつくり、お掃除、園児たちと遊ばせていただきました。先生方からの「ありがとう」の感謝の言葉、園児たちから「お姉さん」と呼んでもらい、人のために何かをすることは疲れたとしても気持ちがすっきりすることに気づきましたと感想を述べていました。また、目上の人への言葉遣い、態度、周りを見ての言動など、学校以外だからこそ学べることがたくさんあったようです。
【老人ホーム】6園
日頃接する機会が少ないお年寄りと触れ合ったり、施設の掃除をしている時に、職員の方やお年寄りの方々から「ご苦労様、とっても助かるわ」と言っていただき、さらに頑張ろうという気持ちになったようです。おばあちゃんたちとコミュニケーションをとることができたとき、一人のおばあちゃんが教科書には載っていない戦争の話をしてくださり、貴重な戦争体験が聞けたと言っていました。
【障害者施設】11施設
障害を持っている人を変な人と見ずに、個性があるというお話を聞いて、本当だなと思ったり、障害を持っている人達と会って自分の考えが変わりました。身体、知的、精神に障害を持っている方々の施設に、生徒たちは不安な気持ちを持って出かけていきましたが、2日間共に生活することによって障害を持っている方々に対する偏見がなくなり、次のように大切なことを学んできました。
見た目であったりひと目で障害を持っているとわかる人は、ある程度理解されるけれど、ある程度の物事ができているが、肝心なところでできなかったりする方がいじめにあうことが多いということを聞いて、とても心が痛みました。障害をもっていてもいなくても、私たちは同じ人間であることに変わりないんだと、当たり前のことを、改めて思えてきました。
一人ひとり違った障害を持っていて、個性が強く、対応の仕方を変えていかなければならなかったのが難しかった。でも、話せる人も話せない人も私に優しく微笑んでくれるのが嬉しかった。お礼や挨拶も毎回しっかりと言ってもらえ、仕事の中でも思いやりを何度も感じることができた。
【病院】3病院

私は人見知りが激しいので、お年寄りの方と上手くコミュニケーションが取れるか心配でした。だから、患者さんから話していただいたときは、救われる思いをしたし嬉しかったです。
お年寄りの方に言われた「ありがとう」という言葉が印象に残っています。シーツを変えた時、車椅子を磨いた時、いろいろな方に「ありがとう」と言われ、思わず私も「ありがとうございます」と言ってしまいました。クリスマスの飾りつけを「きれいだね」と言ってくださったり、「寒くはないの」と声をかけていただき、とてもすがすがしい気持ちになりました。
【募金活動】3カ所
CBCのコロンちゃん募金を、栄、名古屋駅、豊田駅で行いました。街の皆様のおかげで、3時間で合計219,413円の義援金を集めることができました。このお金は、CBCから愛知県の施設に贈られるそうです。
わざわざ自転車を止めて募金してくださる方など善意のある方々に出会い、人間って素敵だなと思いました。顔を知らない誰かのために少しでも力になろうと協力する人間の姿は立派で、改めて人間の善さに気づくきっかけになったと思います。
あるボランティアグループの耳の不自由なリーダーの方が、「お金を崩してから、また来るね」と言われ、お金を崩し募金してくださいました。そして、「ごくろうさん!青春(高校)時代は、二度とやってこない。良き同性の親友と想い出をたくさんもつことが将来の君たちに大いにプラス。健康第一で頑張れ!休憩か終わった後に、みんなで仲良くのどあめをみんなで召し上がれ!」と書いたメモ用紙とアメをくださいました。
この2日間の奉仕活動で生徒たちは「させていただく心」で人々のために何かをすることが、心に深い喜びをもたらすことに気づいたと思います。それは活動より人々の温かい心に触れたことによって得られたものだと思います。
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