いのちの繋がり

いのちの繋がり

ローマカトリック教会では、11月は「死者の月」で特に亡くなった方々のことを思い出し、お祈りを捧げる月です。本校は一足早く、本校に関わってくださった教職員、在校中に亡くなった生徒の皆さんの永遠の安息を、今日全校生徒と教職員心を合わせてお祈りしました。司式をしてくださった春日井教会主任司祭、北向修一神父様がお祈りを捧げ、次のようにお話をしてくださいました。(抜粋)

「ミッション系の学校は人の死に対して神様が関わってくださり、死後も安らかに憩っていることを大切に思っています。ですから私たちの一員である学校に関わる全ての人に対して追悼の式を執り行っています。追悼式は私たち自身がその一員であることを自覚する場でもあります。・・・時々葬儀の場で子どもを葬儀に参列させるか否かを問われることがあります。この子は小さいから理解できないのではないか?長い式で我慢ができなくならないか?ショックが大きいから参列させない方がいいのではないかという意見です。もちろん、子どもの発達の度合いによって違うのですが、子ども個人の体験ではなく、子どもと一緒に死について考えてみようという方が大切なことだと思います。」

と言ってから、お母さんが亡くなったことを男の子に告げず、お母さんは旅に出て帰ってこないと言ったために、男の子は苦しんだというお話をしてくださいました。

「・・・いつの日か子どもを産み育てたり、教えたりするであろう私たちが悲しみや喪失感について一緒に考える時が必ずやってきます。死者について追悼する心も学業同様大切なことだと私は感じています。人の繋がりを切ることなく、より強固なものにできることを学べる場は本当に貴重なものです。追悼する気持ちは、そんな人間らしい心を育ててくれるものです。エマソンという人の日記に『悲しみはすべての人に、子どもの心を取り戻してくれる』という一節があります。繋がりがあるからこそ、人は悲しみ、子どものような気持ちを出せるのです。・・・・追悼式は天国に旅立ったとしても、神様が人と人との絆を結び合わせてくださる大切な時間です。・・・・血の繋がった家族ではないかもしれないけれど、同じカピタニオの精神を学んだ兄弟姉妹です。一粒の麦のようにひっそりとこの学校のために力を尽くしてくださった方々を、後輩である私たちが少しでも繋がりを感じ祈って下さったら、きっと天国でたくさんの喜びが生まれると思います。・・・・」

今日の日を迎える前に、各クラスで慰霊祭を行いました。チャペルから出てくる生徒たちの目に、涙が光っていました。神父様のおっしゃったとおり、子どものような素直な心になり「生きる意味」について考える時間になったことでしょうね。

 

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