命のリレー

「命」のリレー

11月は「死者の月」といって、この世から御父の元で永遠の命に与かっている人々のことを思い出しお祈りをします。本校でもそれにちなみ、宗教の時間に修道院チャペルで、クラス単位で慰霊祭を行いました。チャペルに入る前に、まず服装を整え亡くなった方々に礼を尽くします。いつもと違う雰囲気に生徒たちも緊張気味!厳かな音楽が流れる中、入堂。慰霊祭が始まります。今、私たちが生きているという事は、両親から命をいただき、両親はその両親から、その両親はそのまた両親からと、どこまでも遡っていくことができます。そうして自分の命を遡っていくと、自分の存在の重さに気づきます。まさしく「命のリレー」ですね。だから、今生きている私たち一人ひとりには、自分の前に生きた方々に感謝を述べ、いただいた自分の命をしっかり生きて、次の人にバトンタッチする使命が与えられているということも理解されるのです。この時間の生徒たちは、真剣な表情で目にうっすらと涙をため、亡くなった方々のご冥福をお祈りしました。

 

25日(木)の全校朝礼の際、瀬戸カトリック教会主任の北向修一神父様の司式で、学園に関係のある方々のご冥福をお祈りする「み言葉の祭儀」を執り行いました。その中で神父様は生徒たちに「母とおばあちゃんの祈り」というタイトルで、祈ることによって私たちの心は母やおばあちゃんのような優しい心に育つことを、次のように話(抜粋)をしてくださいました。

 

 

「人は産まれた頃に親を認識し、友達ができ、仕事仲間が増えていきます。それと同時に年齢を重ねれば重ねるほど、見送る人たちも増えていきます。不幸にして肉親を亡くしたり、友達を亡くした生徒さんもいらっしゃることでしょう。遠い親戚であればそんなに簡単に心を込めて祈ったりできないものです。しかし、自分に深く関わった人は離れ離れになったとしても、また会いたい・話したいって思うのが人間です。そんな気持ちを知っている人は同じように悲しんでいる人がいたら、一緒に祈ってあげられずにはいられない。たとえ同じ境遇でなくても、祈ってあげたいと思ったらそれでいいのです。私の教会でもそのように祈る「おばあちゃん」の姿をよく見かけます。「おじいちゃん」より「おばあちゃん」の方が多いように思います。子どもの頃、私の家では「おばあちゃん」が毎日仏壇の前で祈っていました。このように昔から女性たちは祈ってきたのです。祈るということは、私たちの中の良きお母さん・おばあちゃんのような抱擁感あふれる優しい心を、養っているのかもしれませんね。」とお話をされ、その良きおばあちゃん的な存在であった故シスター・ジュゼッピーナ・ガザニガ(前理事長)と出会った生徒のお話をなさいました。シスターがどれほど生徒たちのために祈ってきたか、そして今も天国で祈り続けていることを話され、「マリアに倣うものは同じように、母のように・おばあちゃんのようにたくさんの人のために共に祈る存在となります。私たちもマリアに倣い、共に祈ることで死者を悼み、たくさんの人のために祈る心を養っていただくよう祈ってまいりましょう。」とお話を終わられました。その後、理事長先生から、本学園に関わった教職員、在校中に亡くなった生徒の名前が読み上げられ、カリタスホームに集っているみんなで心を合わせてご冥福をお祈りいたしました。

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