2012年2月|聖カピタニオ女子高等学校|豊かな人間性を持つために

「2012年02月」の記事

宇宙飛行士 山崎直子さんとの出会い

山崎直子さんの講演会が盛況のうちに終わり、皆さんにその様子をお伝えするのが遅くなり申し訳ございません。

昨年から心待ちにしていた2月18日(土)の朝、私は山崎直子さんをお迎えするために、長坂先生の運転する車に乗り名古屋駅に向かいました。定刻前に到着してホッとして約束の場所に行くと、山崎さんの方が早く到着なさり私の方に近づいてきてくださいました。お会いした時、自然体の女性の方という印象を受け、とても親しみを感じました。

名古屋駅から瀬戸文化ホールまでの約1時間、本校の名前の由来や学校生活について、山崎さんがシスターたちの幼稚園で過ごされたことなど、私は親しい友人に久しぶりに会った感じで話していました(山崎さんはどのようにお感じになったかわかりませんが・・・笑)。

山崎直子さんのお話を伺いながら、毎日の生活を大切にしていけば、自分の夢がかなえられることを私たちに教えていただいたように思います。

私たちがより良い人生を送るように、神様は人や出来事を通して私たちに呼びかけておられます。今回の山崎直子さんの講演を聴く機会、出会いによって、会場に集まった人たちは、自分に与えられた人生を勇気と希望を持って歩む力をいただいたのではないでしょうか。

次回は、生徒たちの感想を載せますので、お楽しみに!

 

 

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被災地の報告会に参加しました!

2月11日(土)午後、名古屋教区センターで行われた「東日本大震災をとおして見えてきたこと・問われていること」のテーマで、カリタスジャパン事務局の成井大介神父様(神言会)のお話を伺ってきましたので、皆さんと分かち合いたいと思います。

東日本大震災が起きて11か月が過ぎました。震災が起きた時は、たくさんの義援金とたくさんのボランティアの方々が押し寄せてきたそうです。しかし、時間が経つにつれて被災地の方々は、「なんか、だんだんと忘れられて行くような気がして」という気持ちが強いということです。人間は困難に立ち向かう力を持っていますが、皆から目も向けてもらえなくなるのが一番つらいことです。

 

【震災をとおして見えてきたこと】

「普段できていないことは、震災時でもできない」ということです。日頃、ご近所の人と関わりを持ち助け合っている関係を作っておけば、非常事態の時にお互いに協力し合えるので、日頃からご近所の関係をよくしておくことの大切さを話してくださいました。

 

【問われていること】

阪神淡路大震災後、災害時の日本の法律は改正されたそうですが、今回の震災でまた新たな状況が出ているので、生活をしていく中で変だと思うことについて、しっかりと自分の声を上げているのか問われていると言われました。

 

【カリタスジャパンの対応】

カリタスジャパンは震災発生から半年を緊急支援機関と位置づけ、主に「物資支援」と「生活環境改善支援」を実施したことを話してくださいました。

物資に関して避難所の人たちに平等にストーブを、岩手に3,600台、仙台に8,500台、福島に6,000台を配布。掛かった費用2億円は、カリタスジャパンに送られてきた義援金で賄われました。他にも被災者のニーズに合った物資が配給されたり、時には行政と交渉して必要なところへ必要な物資が届けられるように働きかけているそうです。

ボランティアの受け入れとして、教会がサポートセンターとなって全国から来てくださるボランティアを受け入れ、家の泥やヘドロをかき出すこと、写真の洗浄、傾聴の3種類の仕事にとりかかりながら、地元の人たちと親しくなり言葉を交わすことから他者の必要性がわかり支援ができたお話がありました。たとえば、漁船を北海道から運搬する費用やカキの養殖のホタテ貝の代わりになるものを韓国から輸入する費用など、カリタスジャパンは「寄り添う」をモットーにして地元の復興支援に取り組んでいるということでした。

福島県は、他の被災地とまた事情が違い、家族がバラバラに避難していることから家族の崩壊による問題が深刻だということでした。

 

被災地に出かけることができなくても、被災者にために祈ることや今回のように「おやつでいっぷく」に協力するなど、これからも自分にできることで被災地の方々に「寄り添って」いきましょう。

 

 

 

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私が確立された授業

前回に引き続き、本校独自の授業「宗教」を3年間受けて、生徒の感想を抜粋したものを紹介します。同じ授業を受けても、受け取る生徒たちの個性が十分に表あ現されていて、高校生活でしっかりと「私を確立」し自分に自信が持てたことを知り嬉しく思いました。

 

*3年間を振り返ってみると「宗教」の授業は、キリスト教を学ぶものじゃなく、人間の生き方、人間性、自分を育てていく授業なんだと気づきました。そのことを強く思ったのは、2年生の「ものの見方」の授業です。たくさんの絵を見たり、他人から見た自分のイメージを教えてもらったりして、改めて自分というものを考えさせられました。自分が思っていた自分のイメージと他人が思っている自分のイメージは、一致しているものもあれば、正反対なものもありました。やっぱり自分で考えるだけでなく、客観的な意見も大切なものなんだと思いました。

*3年間の宗教を通して思ったことは、考え方が大きく変わったことです。最初は“つまらない”から始まったのに、今では自分の基盤となっている部分がたくさんあります。3年間でこんなにも変われるものかと思うくらい変わりました。ものの見方、許すこと、愛すること。3年間で宗教の授業から学んだことは言いきれませんが、良い人になろうとせず、ありのままの私でいようと思いました。今の自分への課題は許すことです。どんなに腹が立っても、許してほしい時がある限り、私は許していかなければなりません。そして、宗教を通して出会った多くの人や言葉を大切にして、卒業しても、この学校の生徒らしくいたいと思います。

*高校入学する前までは、一度も考えたことがないことを考えたり、自分と向き合ったこと、この学校に来て学べてよかった。もし、この学校に来ていなかったなら、自分と向き合える機会もないし、ものの考え方やいのち、生と死について真剣に考えることもなかった。宗教の授業で学んだことが自分の身になって、なりたかった自分に近づけたし、自分自身と向き合って変わることができた。また世界の状況や平和のために働いた人の話など、貧しい人たちの現状を知って、今自分に何ができるのかを考える機会があった。そんな時間がなければ考えることすらなかったことを、この授業を使って教えてもらい学んだおかげで、物事を深く考えられるようになった。

*自分について考える授業は、一番悩んだものでした。「自分て何?」何度問いかけても答えは出なかった。自分の中に知られたくない一面を持っていて、そんな自分が嫌で隠しながら生活しているような気になってしまったこともある。周りの多くの人に支えられて、学校では自分の机も椅子もあるし、大好きな家には家族がいる。この状況の中で、もっと自分を見つめなおして、しっかりとしたブレない軸を持った自分を見つけようと思った。これは、3年生になって将来を考える時期になった今、自分の中ですごく支えになっている気持です。飢餓や貧困で苦しむ人たちのことを考えるとなおさらである。この授業を受けてから私は東南アジアの方に目を向ける機会が増えた。将来は東南アジアに関わる仕事に就きたいと思った理由の一つに、この授業がある。

*キリスト教に含まれている「愛」に目を向けることで、生きていくうえで大切なことを学んだと思います。「命」や「愛」、「自分」など考えても考えてもきりがないようなテーマだったけれど、答えを出すのではなくて、考えることに意味があるのだと思います。自分を見つめて、自分について考えることで、相手の気持ちをちゃんと考えられる人になれるのだと思うし、自分のことをしっかり見つめられないときは、相手の気持ちも考えることができないのだと気づきました。

*宗教の授業を通して、すごく印象に残っていることが二つあります。一つ目は「一粒の麦」です。私はたった一粒の麦でちっぽけかもしれないけれど、たくさん集まれば大きな力になるということを考えさせられ、今、必要としていることはこれなんだと感じました。私もこれから社会に出ていくたった一粒の麦くらいちっぽけかもしれないけれど、少しでも力になれる、そして強い気持ちを持って歩んでいきたいなと思いました。二つ目は「ゆるす」ことについてです。パワーポイントを見て強く思ったことは、自分が許されるためにしていることはあるのかなと思いました。自分は何もしていないんだと考えさせられました。そして、自分が許さないことによって、相手の人生も性格も変えてしまうことがあるんだと考えさせられました。

*私は高校で宗教の授業を受けて、宗教への考え方が変わりました。入学前は、聖書にある考えを押し付けて、洗脳して、こういうふうにイエス様は凄いんだって、ひたすら語られるものだと思っていました。堅苦しくて、聖書を暗記しなければいけないとか。でも、この3年間で、もっと自由で個人個人の考えが尊重されるんだと気づきました。そして、イエス様や聖書を信じるも信じないも自由で、考え方を無理に変える必要はないのだと学びました。そのおかげか、私も聖書は自分自身のためになるものだと感じるようになり、疑ってばかりでなく信じることも大事なのだと気づきました。

 

1年生のときにした「愛の実践」の発表の経験は、卒業してからも忘れずに、それぞれの場所で実行されていることを耳にするたびに、「一粒の麦」になって世界の平和のために貢献している卒業生を誇らしく思っています。

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