2021年3月|聖カピタニオ女子高等学校|豊かな人間性を持つために

「2021年03月」の記事

ほっこりお話

今年はコロナ禍の学校生活で、沢山のことが制約させられた1年になり、満足できなかった1年になった人たちもいるかもしれませんね。そのような状況の中で、1年生の宗教の時間、各自行った「愛の実践」のほっこりしたお話を紹介します。

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*バスで小さい子に席を譲ったことです。譲った後、お礼を言われることはなく少しモヤモヤした気持ちになりましたが、窓の外を楽しそうに見ている子を見て、譲ってよかったなと思いました。お礼を言われたらもっと嬉しかったかもしれないけれど、相手に何かをして、それが相手を喜ばせることにつながったんだと貢献感を持てただけでも十分心が温まることに気づけました。その日は家に帰ってからもずっと幸せな気持ちで前向きに物事を考えることができたので、自分の気持ち次第で物事の捉え方は変わることに気づけました。

 

 

*私の行った愛の実践は、コンビニで男性が落とした小銭を拾ったことです。男性からお礼を言われた時、前よりも幸せを感じ明るくなりました。それと同時に男性にお礼を言われなかったらと想像しました。きっと私は“何だ、あの人”と少し不愉快な気分になったと思います。でも、思いやりがあり人のためにする行動で、見返りを求め承認欲求を満たそうとすると、せっかく良いことをしても逆にモヤモヤとマイナスな気持ちになります。「自分は相手の役に立ったんだ」と相手の反応にかまわず、自分の善い行いを肯定し、これからも愛の実践を続けていきたいと思いました。

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*外食時にジュースを持って転んでしまった小さい子の手助けをしたことです。その時に、私だけではなく近くに座っていた同年代の男の人2人もすぐ駆けつけてくれました。その後、その子は「ありがとう」と言ってくれて、私もその男の人たちも小さい子も笑顔になっていました。見て見ぬふりをするのではなく、すぐ駆けつける大切さ、そして「ありがとう」と言われたその一言で感謝される喜びの2つに気づきました。

 

 

*一人のおばあさんが重そうにして運んでいた荷物を持って、家まで送ったことです。私はそれを気に留めずに通り過ぎることだってできたし、自分はいいと思っても声をかけられた人にとっては、それが失礼だったり、迷惑だったりすることがあるかもしれません。そんな心配をしながら勇気を持って声をかけました。もし、そのまま通り過ぎていたら、通りすがりのただの他人でした。でも声をかけて関わったことで、他人だけれども、私にとってはただの他人ではなく、何か特別で共に生きる仲間になれることに気づきました。

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*私が行った愛の実践は、駅で倒れてしまった人のためにAEDを持っていったり、駅員さんを呼びに行ったことです。登校中ホームで並んでいたら、目の前の人がいきなり倒れてしまい、近くの人が「駅員さんとAED」と叫んでくれたので、沢山の人が近くにいたけれど自分が走ったほうが速いと思い動きました。はじめは怖くて少し固まっちゃいましたが、AEDを取りに行ったことで、その人が救われました。帰りにその駅員さんが「ありがとう。あの方は救われたよ。」と教えてくれて、自分にも人の命を救えるんだということに気づきました。

 

 

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他にも、ほっこりするお話がたくさんありました。コロナ禍で人との距離感、声を出すことなどが制限され、人との関わりが希薄になってきたこの時期に、生徒たちは自分ができることで、目の前で困っている人に手を差し伸べ、周囲を温かく照らしている様子が伝わってきます。

 

IMG_3088愛の実践をする意味を、聖書の「善いサマリア人」(ルカ福音書10章25~37節)のお話から学びます。「私の隣人とは誰か?」とイエスに質問した律法の専門家に対して、イエスはこのたとえ話を通して、「誰がその人の隣人になったか?」と反対に律法の専門家に聞かれます。そして、「行って、あなたも同じようにしなさい。」と私たちに言われています。

 

 

 

IMG_3090[1]困っている人がいても、誰かが助けるでしょう。または、めんどくさい、関わりたくない、見て見ぬふりをして通りすがることがあるかもしれません。生徒たちは、この愛の実践を通して、「隣人になる」ことの意味を理解してきたように感じます。助けを必要としている人のそばに自ら駆け寄り、自分ができることをしながら「主体的に生きる」生き方を学んだ一年になったのではないでしょうか。

 

 

 

各自が周りに目を配り他者を思いやる行動ができたら、どんな状況下でも手を取り合って困難を乗り越えていく社会ができるのだと、生徒たちの感想から学ばせてもらいました。

 

令和2年度を終了するにあたりコロナウイルス感染者も出ず、無事終了することができたことは、一人ひとりの心がけのおかげだと思います。新年度もコロナウイルスとの付き合いになっていくかもしれませんが、できないことで嘆くのではなく、できることを探し皆で新たな学校生活を作り上げていけたらと思っています。

 

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その様子をブログでお伝えしますので、今後とも応援よろしくお願いいたします。

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気づく喜び

DSC_49933月2日コロナ禍の中、第56回卒業証書授与式を無事終わることができました。お天気は、あいにくの雨模様でしたが、カリタスホームの中は、厳粛の中にも温かな雰囲気が漂った卒業式でした。

 

 

DSC_4986担任の先生から一人ひとりの名前が呼ばれ、「ハイ」と答えていく姿を見ながら、3年間たくさんの人から名前を呼んでもらい自分を成長させる道を歩んできた日も今日で終わり。4月から、また新たな出会いで名前を呼ばれ、応えながら自分の人生を歩んでいくのですね。

 

 

入学したときは、これまでと違ったカトリックの雰囲気に入り、すべてに戸惑いを感じていた生徒たち。そのことについて答辞で次のように語られていました。

 

1年生の頃は、経験したことのない行事に戸惑いもありましたが、その一つ一つに取り組む先輩方のキラキラした姿に、憧れを抱くようになりました。

 

修養会は初対面の同級生とグループワークを通して仲が深まり、講話を聴いてよく考えた三日間でした。

 

「カピタニオ生になる」という意味を理解できたように思います。

 

私たちはそれぞれが活躍できる場を求めて行動していました。

 

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・・・3年生になり卒業後の進路について誰もが真剣に考え、取り組む時になりました。

 

小論文の勉強や授業を通して、日々世の中で起きていることやニュースに敏感になり、様々な分野に興味がわき、多角的に物事を捉えられるようになりました。

 

また、宗教の授業で「気づき」を記すことが成長につながりました。

 

1年生の頃は考えることが面倒に感じていましたが、考えることは自分という人間が存在していることになると思うようになりました。

 

気づきを書くことが大変でしたが、だからこそできるようになったときは嬉しく、クラスメートの意見にも共感できる自分がいました。

 

・・・これからはカピタニオの卒業生であることに誇りを持ち、それぞれの社会に出ても、周りに流されることなく、清い心、責任、奉仕の気持ちを忘れず、確かな自分を持ちアクションを起こせる人生を歩んでいきたいと思います。・・・」

 

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自分と向き合い、自分を知り、自分を好きになって、思春期の課題であるアイデンティティを獲得していった生徒達ですね。

 

昨日、廊下で出会った3年生が、

 

「この学校に来て、感謝の心を持てることができて本当に良かった。こんなことを教えてくれる学校はないよ。それを知れて、本当に嬉しい。得した気分!」

 

と満面の笑みで話してくれ,一番に感謝をしたいのは、両親だと言っていました。

 

してもらうことを待つのではなく、自分から進んで与える生き方が人間らしい生き方であることに気づいた乙女たちが、今日この学び舎から飛び立っていきました。

 

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