愛の実践|聖カピタニオ女子高等学校|豊かな人間性を持つために

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ほっこりお話

今年はコロナ禍の学校生活で、沢山のことが制約させられた1年になり、満足できなかった1年になった人たちもいるかもしれませんね。そのような状況の中で、1年生の宗教の時間、各自行った「愛の実践」のほっこりしたお話を紹介します。

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*バスで小さい子に席を譲ったことです。譲った後、お礼を言われることはなく少しモヤモヤした気持ちになりましたが、窓の外を楽しそうに見ている子を見て、譲ってよかったなと思いました。お礼を言われたらもっと嬉しかったかもしれないけれど、相手に何かをして、それが相手を喜ばせることにつながったんだと貢献感を持てただけでも十分心が温まることに気づけました。その日は家に帰ってからもずっと幸せな気持ちで前向きに物事を考えることができたので、自分の気持ち次第で物事の捉え方は変わることに気づけました。

 

 

*私の行った愛の実践は、コンビニで男性が落とした小銭を拾ったことです。男性からお礼を言われた時、前よりも幸せを感じ明るくなりました。それと同時に男性にお礼を言われなかったらと想像しました。きっと私は“何だ、あの人”と少し不愉快な気分になったと思います。でも、思いやりがあり人のためにする行動で、見返りを求め承認欲求を満たそうとすると、せっかく良いことをしても逆にモヤモヤとマイナスな気持ちになります。「自分は相手の役に立ったんだ」と相手の反応にかまわず、自分の善い行いを肯定し、これからも愛の実践を続けていきたいと思いました。

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*外食時にジュースを持って転んでしまった小さい子の手助けをしたことです。その時に、私だけではなく近くに座っていた同年代の男の人2人もすぐ駆けつけてくれました。その後、その子は「ありがとう」と言ってくれて、私もその男の人たちも小さい子も笑顔になっていました。見て見ぬふりをするのではなく、すぐ駆けつける大切さ、そして「ありがとう」と言われたその一言で感謝される喜びの2つに気づきました。

 

 

*一人のおばあさんが重そうにして運んでいた荷物を持って、家まで送ったことです。私はそれを気に留めずに通り過ぎることだってできたし、自分はいいと思っても声をかけられた人にとっては、それが失礼だったり、迷惑だったりすることがあるかもしれません。そんな心配をしながら勇気を持って声をかけました。もし、そのまま通り過ぎていたら、通りすがりのただの他人でした。でも声をかけて関わったことで、他人だけれども、私にとってはただの他人ではなく、何か特別で共に生きる仲間になれることに気づきました。

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*私が行った愛の実践は、駅で倒れてしまった人のためにAEDを持っていったり、駅員さんを呼びに行ったことです。登校中ホームで並んでいたら、目の前の人がいきなり倒れてしまい、近くの人が「駅員さんとAED」と叫んでくれたので、沢山の人が近くにいたけれど自分が走ったほうが速いと思い動きました。はじめは怖くて少し固まっちゃいましたが、AEDを取りに行ったことで、その人が救われました。帰りにその駅員さんが「ありがとう。あの方は救われたよ。」と教えてくれて、自分にも人の命を救えるんだということに気づきました。

 

 

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他にも、ほっこりするお話がたくさんありました。コロナ禍で人との距離感、声を出すことなどが制限され、人との関わりが希薄になってきたこの時期に、生徒たちは自分ができることで、目の前で困っている人に手を差し伸べ、周囲を温かく照らしている様子が伝わってきます。

 

IMG_3088愛の実践をする意味を、聖書の「善いサマリア人」(ルカ福音書10章25~37節)のお話から学びます。「私の隣人とは誰か?」とイエスに質問した律法の専門家に対して、イエスはこのたとえ話を通して、「誰がその人の隣人になったか?」と反対に律法の専門家に聞かれます。そして、「行って、あなたも同じようにしなさい。」と私たちに言われています。

 

 

 

IMG_3090[1]困っている人がいても、誰かが助けるでしょう。または、めんどくさい、関わりたくない、見て見ぬふりをして通りすがることがあるかもしれません。生徒たちは、この愛の実践を通して、「隣人になる」ことの意味を理解してきたように感じます。助けを必要としている人のそばに自ら駆け寄り、自分ができることをしながら「主体的に生きる」生き方を学んだ一年になったのではないでしょうか。

 

 

 

各自が周りに目を配り他者を思いやる行動ができたら、どんな状況下でも手を取り合って困難を乗り越えていく社会ができるのだと、生徒たちの感想から学ばせてもらいました。

 

令和2年度を終了するにあたりコロナウイルス感染者も出ず、無事終了することができたことは、一人ひとりの心がけのおかげだと思います。新年度もコロナウイルスとの付き合いになっていくかもしれませんが、できないことで嘆くのではなく、できることを探し皆で新たな学校生活を作り上げていけたらと思っています。

 

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その様子をブログでお伝えしますので、今後とも応援よろしくお願いいたします。

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私が行った愛の実践

 1年生の宗教の時間に発表をしている愛の実践で、次のように発表した生徒がいました。

 

KIS_5426*家族のために一週間、家事をしました。洗濯物を干したり、畳んだり、掃除をしたり、食事を作ったりしました。

家事をしていると家族と話す機会が増え、食事の時も家族で話していました。

これまで自分の部屋に閉じこもっていたのに、家事をすることによって家族との関わりが生まれました。

今は、部屋にいるよりリビングにいる時間が多く、家族といることがこんなにも楽しいのだと気づきました。

 

IMG_4572*電車を降りた時に、片手でベビーカーの折りたたみを持ち、片手で小さい子どもを抱えていたお母さんを見かけたので、「ベビーカーを持ちますよ。」と言って、駅の階段を下りました。

その時、お母さんが「どこの学校?」と聞かれたので、「聖カピタニオです。」と答えたら、「やっぱり」と言われました。

この言葉を聞いた時に、先輩たちが愛の実践をしている生き方が、街の人々にも浸透していることに気づき嬉しくなりました。

 

IMG_4576*電車に乗ろうとした時に、隣にいた小学生の女の子が嘔吐したので電車に乗らずにその子にティッシュを渡し、すぐ駅員さんを呼びに行きました。

どうしようか躊躇しましたが、見て見ぬふりをしたら後で後悔する自分に気づいたので、自分に勧める声に従い行動をとりました。

 

 

他にも、家事を親から言われる前に自発的にした時のスッキリ感を発表し、母親の大変さに気づいたと発表した生徒もいます。

この経験から相手の大変さを思いやり、主体的に行動を起こす喜びを忘れずに続けてほしいですね。

そうすれば、生きる力もつき芯のある女性に育っていくことでしょう。

 

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今年巣立っていった生徒たちも、3年間愛の実践を通して聖書が教えている隣人愛を生きていきました。

彼女たちが人生を歩むための基準である隣人愛を、これからも置かれた場所で実践してくれることを願い祈りながら後ろ姿を見送りました。

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「愛の詩」をそよ風にのせて

5月14日(月)、本校創立49回目を迎えました。午前9時30分、マドレーの鐘の鳴り響く中、みことばの祭儀が始まりました。全校生徒による聖歌「主イエスの愛は?メドレー?」の合唱に合わせ、宗教委員、生徒会執行部、校長先生、理事長先生から聖カピタニオにお花が捧げられました。

司式は、瀬戸教会主任司祭 北向修一神父様です。神父様が朗読なさった福音箇所は、聖カピタニオの生涯を表すヨハネによる福音12章24節?26節「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する人は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」(新共同訳)が朗読されました。

その後、理事長Sr.フランチェスカが聖カピタニオの生き方について、次のようにお話をしてくださいました。

『今日は、世界中のカピタニオファミリー何十万人もの人々が、一斉に聖バルトロメア・カピタニオを讃えてお祝いしています。聖カピタニオの故郷ローベレでは、一日中多くの人々が教会を訪れ、聖カピタニオの偉業を讃え、お祈りをささげています。私たちは聖人の生き方から与えられるメッセージを考えたいと思います。キーワードは「愛」(Carita)です。カピタニオは神様に愛されて、その愛に溢れて、人々にその愛を注いでいました。それは“愛の実践”という具体的な生き方で表されました。彼女は17歳で聖クララ修道院での勉強を終え、家に戻った時に「家の中で積極的にみんなに仕えます。自分に仕えられることを避けるようにします。みんなの望み通り行動し、どんなことをたのまれても喜んでします。家の中で家族にやさしく言葉をかけたり、優しい態度で接したり、不機嫌な顔を見せないで、強い言葉を使わないように努力します」。彼女にとって愛の実践の場は、まず自分の家庭であることに気づきました。

聖カピタニオの偉大さは、毎日置かれている環境の中で、子どもたちを教育し、病人を看病し、牢獄の人を慰め、貧しい家を訪問し悩みを聞いてあげる実践的な愛に生きてきたことです。一粒の麦のように、彼女は26歳の若さで亡くなりましたが、今も自分の生き方を通して私たちの生活を照らしてくれます。そうして、私たちもその光をいただいて、日常生活において、カピタニオのように実践的な愛に生きるように呼ばれています。』という内容のお話しでした。

各学年の代表者による共同祈願が行われ、世界の平和と私たちが自分の置かれたところで愛の実践ができるようにと祈りました。

み言葉の祭儀の閉祭の歌は、「La Carita」の全校生徒による大合唱で終わりました。4月に入学したばかりの1年生は、数時間で合唱ができるまでに曲と歌詞を覚えてくれました。毎年、1年生には感心させられます。本校に入学できたことに自信と誇りが持てたように感じられました。終了後、出身中学校にお花を届け恩師に感謝の言葉を述べるために出かけていきました。

みことばの祭儀の後に、今年3月23日~4月1日に行われたイタリア研修旅行の報告会が行われ、生徒たちは自らの言葉で聖カピタニオや聖ヴィンチェンツァの故郷の紹介をしてくれました。イタリアのローベレというカピタニオ誕生の地を実際に訪れて、カピタニオの生き方や彼女が発しているメッセージ、足跡などをその心に鮮烈に刻んだ生徒たちの言葉には、この研修体験の貴重さ、感動の大きさがあふれていました。

次回は、中学校訪問をした1年生の生徒たちの感想を紹介いたします。

 

 

 

 

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