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私が確立された授業
前回に引き続き、本校独自の授業「宗教」を3年間受けて、生徒の感想を抜粋したものを紹介します。同じ授業を受けても、受け取る生徒たちの個性が十分に表あ現されていて、高校生活でしっかりと「私を確立」し自分に自信が持てたことを知り嬉しく思いました。
*3年間を振り返ってみると「宗教」の授業は、キリスト教を学ぶものじゃなく、人間の生き方、人間性、自分を育てていく授業なんだと気づきました。そのことを強く思ったのは、2年生の「ものの見方」の授業です。たくさんの絵を見たり、他人から見た自分のイメージを教えてもらったりして、改めて自分というものを考えさせられました。自分が思っていた自分のイメージと他人が思っている自分のイメージは、一致しているものもあれば、正反対なものもありました。やっぱり自分で考えるだけでなく、客観的な意見も大切なものなんだと思いました。
*3年間の宗教を通して思ったことは、考え方が大きく変わったことです。最初は“つまらない”から始まったのに、今では自分の基盤となっている部分がたくさんあります。3年間でこんなにも変われるものかと思うくらい変わりました。ものの見方、許すこと、愛すること。3年間で宗教の授業から学んだことは言いきれませんが、良い人になろうとせず、ありのままの私でいようと思いました。今の自分への課題は許すことです。どんなに腹が立っても、許してほしい時がある限り、私は許していかなければなりません。そして、宗教を通して出会った多くの人や言葉を大切にして、卒業しても、この学校の生徒らしくいたいと思います。
*高校入学する前までは、一度も考えたことがないことを考えたり、自分と向き合ったこと、この学校に来て学べてよかった。もし、この学校に来ていなかったなら、自分と向き合える機会もないし、ものの考え方やいのち、生と死について真剣に考えることもなかった。宗教の授業で学んだことが自分の身になって、なりたかった自分に近づけたし、自分自身と向き合って変わることができた。また世界の状況や平和のために働いた人の話など、貧しい人たちの現状を知って、今自分に何ができるのかを考える機会があった。そんな時間がなければ考えることすらなかったことを、この授業を使って教えてもらい学んだおかげで、物事を深く考えられるようになった。
*自分について考える授業は、一番悩んだものでした。「自分て何?」何度問いかけても答えは出なかった。自分の中に知られたくない一面を持っていて、そんな自分が嫌で隠しながら生活しているような気になってしまったこともある。周りの多くの人に支えられて、学校では自分の机も椅子もあるし、大好きな家には家族がいる。この状況の中で、もっと自分を見つめなおして、しっかりとしたブレない軸を持った自分を見つけようと思った。これは、3年生になって将来を考える時期になった今、自分の中ですごく支えになっている気持です。飢餓や貧困で苦しむ人たちのことを考えるとなおさらである。この授業を受けてから私は東南アジアの方に目を向ける機会が増えた。将来は東南アジアに関わる仕事に就きたいと思った理由の一つに、この授業がある。
*キリスト教に含まれている「愛」に目を向けることで、生きていくうえで大切なことを学んだと思います。「命」や「愛」、「自分」など考えても考えてもきりがないようなテーマだったけれど、答えを出すのではなくて、考えることに意味があるのだと思います。自分を見つめて、自分について考えることで、相手の気持ちをちゃんと考えられる人になれるのだと思うし、自分のことをしっかり見つめられないときは、相手の気持ちも考えることができないのだと気づきました。
*宗教の授業を通して、すごく印象に残っていることが二つあります。一つ目は「一粒の麦」です。私はたった一粒の麦でちっぽけかもしれないけれど、たくさん集まれば大きな力になるということを考えさせられ、今、必要としていることはこれなんだと感じました。私もこれから社会に出ていくたった一粒の麦くらいちっぽけかもしれないけれど、少しでも力になれる、そして強い気持ちを持って歩んでいきたいなと思いました。二つ目は「ゆるす」ことについてです。パワーポイントを見て強く思ったことは、自分が許されるためにしていることはあるのかなと思いました。自分は何もしていないんだと考えさせられました。そして、自分が許さないことによって、相手の人生も性格も変えてしまうことがあるんだと考えさせられました。
*私は高校で宗教の授業を受けて、宗教への考え方が変わりました。入学前は、聖書にある考えを押し付けて、洗脳して、こういうふうにイエス様は凄いんだって、ひたすら語られるものだと思っていました。堅苦しくて、聖書を暗記しなければいけないとか。でも、この3年間で、もっと自由で個人個人の考えが尊重されるんだと気づきました。そして、イエス様や聖書を信じるも信じないも自由で、考え方を無理に変える必要はないのだと学びました。そのおかげか、私も聖書は自分自身のためになるものだと感じるようになり、疑ってばかりでなく信じることも大事なのだと気づきました。
1年生のときにした「愛の実践」の発表の経験は、卒業してからも忘れずに、それぞれの場所で実行されていることを耳にするたびに、「一粒の麦」になって世界の平和のために貢献している卒業生を誇らしく思っています。
地域の人々に愛を
前回に引き続き、12月7日、8日実施された本校の奉仕活動~校外奉仕活動~について報告いたします。
【保育園・幼稚園】17園

主に瀬戸市内の保育園に行き、誕生会のカードつくり、お掃除、園児たちと遊ばせていただきました。先生方からの「ありがとう」の感謝の言葉、園児たちから「お姉さん」と呼んでもらい、人のために何かをすることは疲れたとしても気持ちがすっきりすることに気づきましたと感想を述べていました。また、目上の人への言葉遣い、態度、周りを見ての言動など、学校以外だからこそ学べることがたくさんあったようです。
【老人ホーム】6園
日頃接する機会が少ないお年寄りと触れ合ったり、施設の掃除をしている時に、職員の方やお年寄りの方々から「ご苦労様、とっても助かるわ」と言っていただき、さらに頑張ろうという気持ちになったようです。おばあちゃんたちとコミュニケーションをとることができたとき、一人のおばあちゃんが教科書には載っていない戦争の話をしてくださり、貴重な戦争体験が聞けたと言っていました。
【障害者施設】11施設
障害を持っている人を変な人と見ずに、個性があるというお話を聞いて、本当だなと思ったり、障害を持っている人達と会って自分の考えが変わりました。身体、知的、精神に障害を持っている方々の施設に、生徒たちは不安な気持ちを持って出かけていきましたが、2日間共に生活することによって障害を持っている方々に対する偏見がなくなり、次のように大切なことを学んできました。
見た目であったりひと目で障害を持っているとわかる人は、ある程度理解されるけれど、ある程度の物事ができているが、肝心なところでできなかったりする方がいじめにあうことが多いということを聞いて、とても心が痛みました。障害をもっていてもいなくても、私たちは同じ人間であることに変わりないんだと、当たり前のことを、改めて思えてきました。
一人ひとり違った障害を持っていて、個性が強く、対応の仕方を変えていかなければならなかったのが難しかった。でも、話せる人も話せない人も私に優しく微笑んでくれるのが嬉しかった。お礼や挨拶も毎回しっかりと言ってもらえ、仕事の中でも思いやりを何度も感じることができた。
【病院】3病院

私は人見知りが激しいので、お年寄りの方と上手くコミュニケーションが取れるか心配でした。だから、患者さんから話していただいたときは、救われる思いをしたし嬉しかったです。
お年寄りの方に言われた「ありがとう」という言葉が印象に残っています。シーツを変えた時、車椅子を磨いた時、いろいろな方に「ありがとう」と言われ、思わず私も「ありがとうございます」と言ってしまいました。クリスマスの飾りつけを「きれいだね」と言ってくださったり、「寒くはないの」と声をかけていただき、とてもすがすがしい気持ちになりました。
【募金活動】3カ所
CBCのコロンちゃん募金を、栄、名古屋駅、豊田駅で行いました。街の皆様のおかげで、3時間で合計219,413円の義援金を集めることができました。このお金は、CBCから愛知県の施設に贈られるそうです。
わざわざ自転車を止めて募金してくださる方など善意のある方々に出会い、人間って素敵だなと思いました。顔を知らない誰かのために少しでも力になろうと協力する人間の姿は立派で、改めて人間の善さに気づくきっかけになったと思います。
あるボランティアグループの耳の不自由なリーダーの方が、「お金を崩してから、また来るね」と言われ、お金を崩し募金してくださいました。そして、「ごくろうさん!青春(高校)時代は、二度とやってこない。良き同性の親友と想い出をたくさんもつことが将来の君たちに大いにプラス。健康第一で頑張れ!休憩か終わった後に、みんなで仲良くのどあめをみんなで召し上がれ!」と書いたメモ用紙とアメをくださいました。
この2日間の奉仕活動で生徒たちは「させていただく心」で人々のために何かをすることが、心に深い喜びをもたらすことに気づいたと思います。それは活動より人々の温かい心に触れたことによって得られたものだと思います。







