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困難を乗り越えた同志
「・・・この学び舎を旅立つ私たちは、ともに困難を乗り越えてきた同志だと言えます。」で始まった第58回卒業式の答辞。
この学年はコロナウイルスが蔓延し始めたころに入学し、これから新しい生活が始まると心に希望と夢を膨らませていた途端、休校を余儀なくされた学年でした。
その思いが答辞に表され、生徒たちの苦しみ、焦りを感じ取ることができましたので抜粋して紹介いたします。
「・・・新しい交友関係を広げるどころか、学年のみんなに会うことさえできなくなってしまったのです。
長い休校期間が明けて、分散登校も終わり、クラスや学年全員が揃った時の喜びは何にも代えられないものとなりました。
私たちの学年はお互いの距離を近づけるための機会がたくさん奪われていきました。
・・・だからこそ、私たちは互いに友情を育みたい想いが他のどんな学年よりも強かったのだと思います。・・・
いよいよ3年生に上がった私たちはすべてのことに「高校最後の」という言葉がつくようになりました。
やっと本格的に始まった高校生活で、これまで失った時間を取り戻そうと全員が同じ方向を向いて友情を深め、残された高校生活を大切に過ごしていきました。・・・
一泊だけでも全員で修学旅行に参加できる喜び、不自由が多かった高校生活で自由を楽しむ喜びを見つけました。
私たちの青春が返ってきた、そんな気持ちにまでさせてくれました。
そして、高校最後の夏。
受験や部活に学園祭準備、今までのどんな瞬間よりも充実したのは、この夏でした。・・・
そして、決して楽しい事ばかりではなかったこの三年間を乗り越えられたのは、困難の中でも皆同じ方向を向いて楽しみや喜びを見つけてきたからです。
辛いことがあっても決して一人なんかじゃない、そうやってそばにいてくれる仲間がいたからこそ、ここまでやってこられたのだと思います。
1年生の時はクラスや部活、小さなコミュニティでしか友達がいませんでした。
しかし二年に上がって、交友関係が広がり、辛い時相談できる友人、たわいもないことを言い合える友人、心を許せる友人が増えていきました。
そして、あっという間に訪れた最高学年の年、今まで失われてきた青春を取り戻そうと、私たちは毎日毎日全力で楽しみました。先の見えない不安はもちろんありました。
それでも前向きで進んできた私たちはもう既に、ただの友人ではなく同じ方向を向いて歩んできた同志になっていたのです。
今しかできない高校生活で、私たちにしかわからない苦しみを共に分かち合い、戦い抜いてきたからこそ、固い絆で結ばれた同志なのです。・・・」
生徒たちにとって人生1回限りの高校生活を始めようとしていた矢先、コロナウイルスの蔓延で思うような学校生活を始められなかった学年だからこそ、「同志」というキーワードがぴったりの学年になってきた様子が心に伝わってきました。
先の見通しも立ちにくい未来だからこそ、この学年は「今を楽しむ」ことの大切さに気づいたのではないでしょうか。
そして、足りなさの中に今やれることを見つけ、全力を出して生きる術を見つけました。
それこそが「生きる力」となり、これからの未来を希望をもって困難を乗り切っていくたくましい力となることを確信しました。
感謝の心を忘れずに
3年間の高校生活を無事終えることができたことを感謝するために、3年生と保護者の方々が布池教会に集まり感謝ミサを行いました。
広い聖堂が生徒たちと保護者でいっぱいになり、春日井教会北向修一神父様の司式のもとに厳かに行われました。神父様はミサの中で次のように、お話をしてくださいました。
「・・・卒業の旅立ちは第2の誕生と呼ばれます。
第1の誕生は文字通り、両親から生まれ愛されながら育ってゆくことです。
第2の誕生は自己をもって社会の中に飛び込んでいくことを言います。
翼を羽ばたかせ自分の意思で飛ぶと、上空に行けば行くほど風は強くなり、苦労や悩みも大きくなります。
しかし、それは成長の痛みです。皆さんはこれから高く高く飛んでいけるでしょう。
けれども時には羽を休ませたり、もう飛べないどうしてよいか分からないと諦めることもあるでしょう。
そんな時は、一粒の麦になろうとした3年間を思い起こしましょう。
一粒の麦は、愛の種です。
ただ愛だけそれ以外必要がないものです。地位もお金も才能もいりません。・・・・
どんなに成功してもどんなに立派になろうとも愛がなくては、無に等しい。
愛こそが実を結び私たちを羽ばたかせる力になることを、限りある学校生活の中で自然に学んでほしいと願い、聖バルトロメアは生徒の学び舎を作ったのだと思います。
その思いを胸に刻み、このミサを締めくくりとして改めてこの3年間を感謝を込めて捧げましょう。」
と、卒業生にお話をしてくださいました。生徒たちの心に3年間の思い出が、走馬灯のように思い出されたのではないでしょうか。
ミサの終わりに、北向神父様から一人ひとりの頭に手を置いて祝福を受けている姿を見ながら、生徒たちのこれからの歩みを神様が見守り導かれていくようにと私たちと保護者の皆様でお祈りを捧げました。
人生の舵を切るきっかけ
1年生女性学の授業で、外部講師の先生方のお話を聞く機会がありました。
1回目は、等身大株式会社エンターテイナー・講演家VITA(ヴィータ)さんから、
「今ある自分を最大限に活かして目の前の人を幸せにする力 等身大力」
のテーマでお話をしていただきました。
まず、VITAさんは元吉本に所属しておられた方なので、生徒たちを惹きつける話術のすばらしさに感動しました。
コミュニケーションは聴く力が大事であることを、聴き上手体操でしっかり脳に焼き付けました。
生徒たちはコミュニケーション能力で大切なことは話すことだと思っていただけに、VITAさんのお話からは、私たちの考え方を180度変えてもらいました。
また、私たちの存在は
「2億円以上のダイアモンドよりも価値があり、唯一無二の存在」
だからこそ、人と比較せずあるがままの自分を受け止めることができる体操も教えてもらいました。
このお話は、生徒たちの心に浸みこんでいった感じがしました。
生徒の感想に、まず、今の自分を受け止めてあげることの大切さに気づき、自分の成長を自分で認め自分をほめてあげることを具体的に教えてもらえたことを喜んでいました。
本校の教育方針「自分を大切にする」ことを日常生活の中で聞いていた生徒達ですが、今回全力投球で等身大のVITAさんとの出会いによって、そのことの意味をより深く理解できたと思います。
「できる」「できない」で自分や人を評価する生き方から、唯一無二の存在である自分をまず認める生き方へと彼女たちの人生の舵を切るきっかけになったと思います。
境界線を持つこと!
第2回目の外部講師の方は、「愛知県弁護士会両性に関する平等委員会」の弁護士都築さやかさんです。
お仕事の専門性を生かして「尊重し合う恋愛関係」のテーマで話をしていただきました。
都築さんがこのような「デートDV防止出張授業」をするきっかけになったのは、弁護士の仕事をして女性・差別・結婚にまつわる女性の苦しみをたくさん見てきて、若い人たちにDVの沼にハマって欲しくない、社会を変えて欲しいという思いからだと話してくださいました。
お互いに尊重し合う関係を作るために、まず「人権」の意味を教えてくださいました。
「人権とは、一人ひとり、生まれながらにして大切な存在であり、すべての人には,等しく価値があるということ」。
だから、お互いに尊重し合う関係は、「お互いに大切で同じ価値のある存在として接しあう関係」だと話してくださいました。
お互いに尊重する恋愛をするために学ぶ3つの事として具体的に、1つ目は境界線、2つ目は人との距離感、3つ目はお互いを大切にする「恋愛ルール」と話してくださいました。
生徒たちの感想を読むと、1番の境界線のお話が印象に残ったようです。
境界線とは、自分と他人を分ける見えない線です。自分を確立できていないと自分を守る線が出来上がりません。
境界線があることによって他者と安心できる距離を取り、自分を守ることになります。ところが、この境界線がない状態で他者と関わると尊重し合う関係は作ることができません。
また、暴力は相手の境界線を壊すことになり、支配する関係になります。
生徒たちは前回のVITAさんのお話や弁護士の都築さんのお話から、この3年間で自分をしっかり確立することの大切さに気づいたと思います。
つまり自分がなければ他者との良い関係が築かれないことを理解したと思います。
男女間の関係だけでなく、すべての人間関係に当てはまる事なので、生徒たちの印象も大きかったのではないでしょうか。
まず、自分を好きになり、自分を大切にすることを学ぶことが、人間関係を作る上での土台になることを学んだ1年生は、2年後にどのように成長していくのか楽しみになりました。
暗闇に輝く光
参加した生徒、教職員で1年間にいただいた恵みに感謝し、一日も早く世界に平和が訪れるように祈りを捧げました。
今年のクリスマスミサの司式をしてくださった神父様は、南山大学のスサイ神父様です。神父様はミサの中で次のようにお話をしてくださいました。
「・・・現代社会のいろいろなニュースを見ると戦争や紛争、自然による災害、コロナ禍における様々な問題といった暗いニュースが多いです。このような暗闇の中でキリストの誕生のメッセージは『私たち一人ひとりがこの世界の希望の光』になることです。2000年前にイエス様が誕生なさったユダヤ社会にもいろいろ問題があって、絶望的でした。イエス様の生涯を振り返ってみると、イエス様がすべての人々、特に弱い立場にいた人々に、希望と喜びを与えてくださいました。それで2000年たった今もイエス・キリストの誕生日が希望と喜びを全世界に与えるお祝いとなっています。」
神父様は続けて、私たち高校生はこの世界、社会にどんな役割があるのかを考えるために、大阪の高校生、川崎レナさん(17歳)とマララ・ユスフザイさんのお話をしてくださいました。
「私たちは二人のように偉大なことができなくても、私たちの周りにいる人々に希望と喜びを与える、小さなことでもできたらと思います。ある専業主婦の方に、マザーテレサは『私たちは大きなことはできませんが、小さなことを大きな愛を持って行うだけです』と語りました。小さなことを大きな愛をもって行うことによって周りの人々に希望と喜びという素晴らしいクリスマスプレゼントを与えることができると思います。」
宗教に関係なく、全世界でクリスマスがお祝いされていることに、私は喜びを感じています。この日に、自分の身近にいる人のために、その人が喜ぶプレゼントをあれこれと考える姿。そのプレゼントがその人を大切にしているしるしになるから、プレゼント選びもいろいろ悩みますよね。
神様も私たち人類に、最高の贈り物「神の御独り子、イエス」を与えてくださいました。この世の暗闇に私たちが人生の道を踏み外さないようにと、イエスが光となって来てくださいました。この光によってたくさんの人たちの心に神の愛が注がれ、自分の幸せを身近な人たちに与えながら光が大きくなるクリスマスとなりますように!
特に、大人の人たちが争い合っている戦争下の中に置かれている子どもたちに、一時のよろこびがもたらされ笑顔を取り戻すことができるクリスマスになるように心を合わせて祈りましょう。
私たちが平和をもたらすことができますように!
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