3年ぶりに宿泊の伴う修養会を、実施することができました。

素直な心

MicrosoftTeams-image (8)3年ぶりに宿泊の伴う修養会を、実施することができました。

 

コロナ禍の中では、学校で1日ないし2日で行っていましたが、やはり学校を出て他の施設で行う修養会は違いますね。

例年は2泊3日で行いますが、今年は1泊2日で過ごし、まさしく非日常生活を過ごす経験ができました。

 

止揚学園の福井先生から、知能に重い障害を持った人たちと過ごし、いろいろ学ばせてもらっていることを熱く語っていただきました。

また、片岡神父様から「善いサマリア人のたとえ話」から人間としての生き方を考えさせていただきました。

 

良いお話で心が豊かになり、つま恋の食事でお腹が満たされた修養会の様子を、生徒の感想文を抜粋して紹介します。

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*障害者施設の方々がわざわざ私たちのために遠方から来てくださり、講演をしてくださいました。

差別に対して敏感な方であったけれど、止揚学園の方は私と違う考えを持っていたので、他の人に耳を傾けてみると違う視点から見たり、違う意見を知ることができるから、このように学ぶのは本当に良い事なんだなと思いました。

 

 

*今まで体験したことのない様々な非日常を経験して、自分の知識や価値観などが広まり、また、たくさんのお話を聞いて「カピタニオ生」でなかったら絶対に気づけなかった「温かい命」「隣人」「愛」などについて知り、考え、これからの3年間だけでなく、その先の将来まで続いていくようなことを身に付けることができました。

そして、自分の経験が糧となったことを土台として、いろいろな行いをしていき「一粒の麦」となれるように、日々歩んでいきたいと思える修養会になれました。

 

 

*「善いサマリア人のたとえ話」を2度読んだが、主に生まれた感情は「放っておくなんてひどい」だった。神父さんの話を聞いていて、この話の深さが少しずつ理解できるようになった。

仲間だと思っていたものに見捨てられ、その上で見ず知らずの「けがれた敵」に救われる。そこまで考えてみると、何故イエスがこの話をしたのかが良く分かる。隣人のイメージがもっと広くなった気がする。

・・・私はこの社会が不思議に思える。

みんな心の中では愛を欲しているのに、周りの人に与えようとは一切しない。

「自業自得」「自分で責任を負うべき」と小学校などで教えられているからではないだろうか?自立とは少し違う気がする。

 

 

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*神父さんのお話の中で、「誰もが弱い存在」だという言葉が出てきたとき安心しました。

今の自分は何もかも慣れないものばかりで、普段の生活や勉強なども不安なものがたくさんあります。

でも、この講話を聞いて、周りの人も私と同じような状況に置かれているんだなと知ることができました。

1日目のグループワークでは、前から感じていた自分自身の弱い点を改めて感じました。

今まで直したいと思っていたけれど、まだ直せていなかったので、これが本当の自分の姿なんだと感じました。

 

 

*私は今まで過去を思い出しては落ち込んだり、何度も何度も反省を繰り返すことがたくさんありました。

福井先生のお話の中に「時間が戻ってくる」という言葉がありました。

自分を見つめ直すためには、現在と過去のどちらも見ることが必要で、恐れを感じることもありますが、「今」があるのは、「あの時」があるからだと思います。

これこそが「時間が戻ってくる」ということではないかと考えました。

 

 

 

MicrosoftTeams-image (12)生徒達の感想文を読むと、私の方が心を洗われ、素直な心になっていきます。高校生という感受性豊かなこの時期に、見えない世界を見る心の目、痛む人と共に共感できる心こそが、人生を幸せにするキーワードであることを確信したようです。

心が穏やかになると、人間は素直になれるのですね。

 

 

 

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