「2012年05月」の記事
感謝をお花に託して
5月14日、第49回創立記念日の式の中で聖カピタニオに捧げられたお花を持って、1年生の生徒たちが中学校を訪問いたしました。中学校の先生方もお忙しいところ、生徒たちのために時間を作ってくださり、本当にありがとうございました。生徒たちの感想を一部抜粋して、紹介いたします。
*中学校に着いた時、自分の家に帰ってきたという感じがしました。校長先生が新しい方に代わり、どんな方なのか少し不安でした。しかし、私たちが訪問した時、優しく迎えてくださってとても安心しました。また、当時の担任の先生を始め、各教科の先生方も同じく優しく迎えてくださいました。校長先生とは、今日の「み言葉の祭儀」の話や部活動の話、高校の環境の話などをしました。そして、担任の先生とは、高校の友達の話や授業の話、勉強の話をしました。校長先生も担任の先生も私たちの話を楽しそうに聞いてくださいました。久しぶりに中学へ行き、気持ちがホッとしました。卒業式の時に、お礼の言葉を言ったけれど、高校生になって少し成長した姿で、先生方に改めてお礼の言葉を言うことができて本当に良かったです。
*中学校を訪問して一番感じたことは、「もうこの生徒ではないんだなぁ」ということです。・・・宗教の授業を受けて「感謝の気持ちをしっかり伝えよう」と思うようになりました。私はまだ15年間しか生きていないけれど、私を支え育ててくださった方々は数えきれないほどいます。今、聖カピタニオに通えているのは両親のおかげだけでないことも、改めて考えることができ、本当にたくさんの方々のおかげで今生きていることを自覚しました。中学校を訪問して、校長先生に心の底から感謝を伝えることができ、本当に良かったです。当たり前だけれど、人は決して一人で生きていくことはできません。支え、助け合うことが必要です。なので、これからは「感謝」の気持ちを忘れずに生きていこうと思います。
*久しぶりの訪問で、なんだかとても緊張しました。また、今までとは違い“生徒”としてではなく“お客さん”という立場になってしまったので、お茶まで出してもらった時はびっくりしました。3年生の時の担任だった先生、学年主任の先生、部活動の顧問の先生とお会いすることができ、高校生活について良い報告ができたのでよかったと思います。そして、持っていったお花を校長先生はとても喜んでくださり、早速、学校の職員玄関に飾ってもらうことができました。私たちが中学校にいた時の校長先生から、今年新しい方に代わってしまいましたが、高校の話をたくさん聞いてもらい、「頑張って」などと応援のメッセージも頂きました。また、帰り際に「良い礼儀で訪問することができました。」と褒めてもらい、私の中で少し成長したところができて嬉しい気持ちになりました。
*私はなかなか母校を訪問する時間がなくて、今回このような機会を設けていただきとても感謝の気持ちでいっぱいです。私の最後の中学校生活をとても充実した1年にしてくださった恩師にも会ってお話をすることができ、やっと高校生になったという実感と共に、高校生としての責任を持ち、すべての行動ひとつひとつを聖カピタニオ女子高等学校の名に恥じないようにしなければという決意表明の場になりました。久しぶりに中学校生活での楽しかったエピソードなどをみんなでお話しすることで、私の知らなかった意外なエピソードなども知ることができ、びっくりの連続でした。また、約2か月前までは、長くて大嫌いでしかなかった通学路を歩いて、中学校生活の思い出が走馬灯のように頭を駆け巡り涙が出そうでした。私は今だから言えることと、これからも言えることを考えることができました。それは“私の母校の中学校は、この○○中学校だけ”という事です。
*本校の創立記念日ということで創立者に捧げたお花を、3年間お世話になった中学校の先生方にきちんと届けられたのでよかったです。感謝の気持ちが先生方にきちんと伝わっていれば、嬉しいです。久しぶりに行った中学校は、全然変わっていなくて、安心感と懐かしさで胸がいっぱいになりました。先生方も明るく出迎えてくださって、嬉しかったです。「高校生活はどうか」と質問されて、「毎日充実しているし、楽しい」と私たちが答えると、先生たちは「それは良かった」と嬉しそうに言ってくださったので、とても嬉しくなりました。卒業しても温かく見守ってくださっていることがわかり、私はとても幸せ者だと実感しました。今、こうして私が高校生活を送られるようになったのは、学校の先生、家族のおかげです。私を支えてくれたすべての人に感謝し、その人たちの思いを無駄にせず、自分のためにこれからはより一層高校生活を充実させ、楽しく過ごしたいです。今回、中学校訪問をすることができて、本当に良かったです。
一人ひとりの感想を読みながら、中学校訪問は彼女たちにとって、一つの通過儀礼の意味合いを持っていることに気づかされました。中学校を卒業し、今自分で選択した学校で学ぶ意義を確認し、3年後の自分の姿を想像できたのではないでしょうか。
「愛の詩」をそよ風にのせて
5月14日(月)、本校創立49回目を迎えました。午前9時30分、マドレーの鐘の鳴り響く中、みことばの祭儀が始まりました。全校生徒による聖歌「主イエスの愛は?メドレー?」の合唱に合わせ、宗教委員、生徒会執行部、校長先生、理事長先生から聖カピタニオにお花が捧げられました。
司式は、瀬戸教会主任司祭 北向修一神父様です。神父様が朗読なさった福音箇所は、聖カピタニオの生涯を表すヨハネによる福音12章24節?26節「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する人は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」(新共同訳)が朗読されました。
その後、理事長Sr.フランチェスカが聖カピタニオの生き方について、次のようにお話をしてくださいました。
『今日は、世界中のカピタニオファミリー何十万人もの人々が、一斉に聖バルトロメア・カピタニオを讃えてお祝いしています。聖カピタニオの故郷ローベレでは、一日中多くの人々が教会を訪れ、聖カピタニオの偉業を讃え、お祈りをささげています。私たちは聖人の生き方から与えられるメッセージを考えたいと思います。キーワードは「愛」(Carita)です。カピタニオは神様に愛されて、その愛に溢れて、人々にその愛を注いでいました。それは“愛の実践”という具体的な生き方で表されました。彼女は17歳で聖クララ修道院での勉強を終え、家に戻った時に「家の中で積極的にみんなに仕えます。自分に仕えられることを避けるようにします。みんなの望み通り行動し、どんなことをたのまれても喜んでします。家の中で家族にやさしく言葉をかけたり、優しい態度で接したり、不機嫌な顔を見せないで、強い言葉を使わないように努力します」。彼女にとって愛の実践の場は、まず自分の家庭であることに気づきました。
聖カピタニオの偉大さは、毎日置かれている環境の中で、子どもたちを教育し、病人を看病し、牢獄の人を慰め、貧しい家を訪問し悩みを聞いてあげる実践的な愛に生きてきたことです。一粒の麦のように、彼女は26歳の若さで亡くなりましたが、今も自分の生き方を通して私たちの生活を照らしてくれます。そうして、私たちもその光をいただいて、日常生活において、カピタニオのように実践的な愛に生きるように呼ばれています。』という内容のお話しでした。
各学年の代表者による共同祈願が行われ、世界の平和と私たちが自分の置かれたところで愛の実践ができるようにと祈りました。
み言葉の祭儀の閉祭の歌は、「La Carita」の全校生徒による大合唱で終わりました。4月に入学したばかりの1年生は、数時間で合唱ができるまでに曲と歌詞を覚えてくれました。毎年、1年生には感心させられます。本校に入学できたことに自信と誇りが持てたように感じられました。終了後、出身中学校にお花を届け恩師に感謝の言葉を述べるために出かけていきました。
みことばの祭儀の後に、今年3月23日~4月1日に行われたイタリア研修旅行の報告会が行われ、生徒たちは自らの言葉で聖カピタニオや聖ヴィンチェンツァの故郷の紹介をしてくれました。イタリアのローベレというカピタニオ誕生の地を実際に訪れて、カピタニオの生き方や彼女が発しているメッセージ、足跡などをその心に鮮烈に刻んだ生徒たちの言葉には、この研修体験の貴重さ、感動の大きさがあふれていました。
次回は、中学校訪問をした1年生の生徒たちの感想を紹介いたします。
思いやりの心を形に!
平成24年度がスタートし、約1か月が過ぎました。
入学式で新入生代表の生徒が、「本校に入学できた喜びと期待をもち、社会に貢献できる自立した女性になるように学校で学べる自分の存在」に気づく一方、東北の被災者の方々が一日も早く元の生活に戻ることができるようにと、復興のための祈りも忘れない内容の誓いの言葉を述べていました。
新1年生を迎え、また新しい本校の歴史が始まりました。
2年生、3年生のウマニタス(総合的学習)の授業は、毎年マナー実習から始まります。玄関の上がり方、職員室での挨拶、礼の仕方、先生に対する言葉遣いの実習を行い、生徒同士でお互いに採点し合います。1年生の実習は、これからです。
3年生は2年間学んだおかげで、玄関の上がり方の説明をしなくてもスリッパの履き方、靴の揃え方は自然にできるようになっていました。また、それに加えて、応接室のマナーと実際に敬語の使い方(DVDも使用)を学びました。生徒の感想を抜粋し、紹介します。
- 言葉遣いによって、相手に与える印象がだいぶ違うことがわかりました。私は自分で敬語を使える方だと思っていますが、もう一度自分の敬語、話し方を見直したいと思います。
- 敬語が話せないと、相手に不愉快な感じを与えてしまうし、聞いていても違和感を感じる。敬語が話せる、話せないだけで、こんなにも差が出るのを見て驚いた。社会に出て恥をかかないように、今のうちからしっかりと身につけておくことが大切だと思った。
- 「若い人はマナーがなっていない」とよく聞くことがありますが、大人でもできていないと思うことがよくあります。DVDで新米社員とベテラン社員の話し方、態度を比較し、ベテラン社員の話し方は聞いていて気持ちがよかったです。
- 敬語が使えると、会社の中でもきちんとやっていけそうな気がします。今まで敬語を使っていなかったので、DVDを見て、改めて学ばないといけないと感じました。できるとできないのでは明らかに違い、できる人の方が周りの人から認めてくれると思います。
- 敬語が使えないだけで、なんだか頼りなく見えたり、礼儀がなっていないようで失礼に思えてしまい、言葉遣いだけで、人の印象も変わることに気づきました。相手を不快に感じさせないようにするためにも、マナーは大切だと思いました。
- 最近、私は生活委員の活動で「あいさつ」をすることが多いのですが、やっぱり元気よく挨拶をしてもらうと凄く嬉しいです。「あいさつ」は、やっぱり全ての基本であることを実感しました。
- 会社に入るとマナーがとても必要とされることがすごくわかったので、早いうちに正しく身につけたい。ウマニタスのマナー実習を通して、相手を思いやるとお互いに良いコミュニケーションが取れると思った。
- 時と場合に応じて、言葉を変えることが大切だと思った。やはり友達同士の会話と違い、目上の方には丁寧に、分かりやすく、はっきりと話すことが一番だと思った。私も普段から先生と話すとき、敬語で話していき、社会に出て恥ずかしくない自分になりたいと思った。
- 仕事での実績を残すことよりも先に、人として受け入れてもらうことが働く上で大切なんだと気づいた。人として関わっていく中で、言葉遣いは必要最低限だと思うので、しっかり気を配りたいと思った。
1年次から何気なく行っていたマナー実習によって、「マナーは、人に対する思いやりの気持ち」であることを実感し、人として身につける必要性に気づくのは、やはり3年生ですね。
このお花は、カピタニオガーデンに植えられた「フランネル フラワー」です。