2015年3月|聖カピタニオ女子高等学校|豊かな人間性を持つために

「2015年03月」の記事

立ち止まる勇気


 3月3日、本校第50回の卒業証書授与式が執り行われました。天気予報は曇りマークでしたが、おかげさまでお天気にも恵まれました。卒業生はとてもさわやかな表情で、学び舎を巣立っていきました。

 

 

 

 3年生は2月の最後の週から登校し、卒業に向けて毎日準備をしてきました。高校生活を締めくくる時間を過ごす中、ある生徒は1年生の時トイレ掃除をさぼっていたことを、掃除担当者の所に来て謝ったそうです。また、ある生徒たちは、2年生のある教科の授業を真面目に受けず態度が悪かった自分たちを認めて、教科担当者の所に行ってお詫びをしたそうです。自分のとった行動を個人的に反省して黙っていることもできたのに、生徒たちは感じたことを行動に表わし、わざわざ相手を探して自分の思いを伝えたことに感動しました。他にも生徒たちは卒業するにあたって、次のステップを歩むために後悔をしないように3年間の学校生活を振り返り、迷惑をかけたことやお世話になったことを手紙や言葉でしっかりと相手に伝えて卒業していったのではないかと思います。自分の間違いを認め謝ることは、自分を客観的に認め謙虚さがなければできないと思います。生徒たちはこれからの人生を歩むうえで大切なことを学んでいったような気がします。これこそ3年間の教育の実りだと思いました。

    

 私たちは時間の流れの中で生きています。昔は通過儀礼が行なわれ、人生の節目で過去の自分の姿、そしてこれから歩む自分のあるべき姿を確認することができました。しかし現代は忙し過ぎるのか、立ち止まる時間も見いだせず、まるでベルトコンベアーに乗って生きている感じがします。人生の節目に立ち止まって自分の生き方を見ながら、次のステップに生きようとする自分を意識することは、自分を1歩1歩確実に成長させていけると思います。本校で「自分を大切にする」ことを学び、この3年間の自分の歩み方を振り返る勇気を彼女たち自身が身につけてくれたことを嬉しく思いました。彼女たちはこれからも人生の節目で立ち止まりながら、きっと自分の道を確実に歩んでいくことでしょう。そして、自分の花をしっかりと咲かせてくれることでしょう。

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祈った3年間

 3年間の学校生活を終えようとしている3年生が、2月26日布池カトリック教会で保護者(希望者)と共に感謝ミサを行いました。こうして学年そろって聖歌を歌うことも今日が最後になります。この学年は人数が少ない学年でしたが、歌声は大きく澄んでいました。司式をしてくださったフィリップ神父様は、卒業生に次のように話してくださいました。(抜粋)

 「3年間高い山から瀬戸の街を見下ろしていましたが、今度はその山から下りて各自の進路に向かって歩み始めます。これから一人の人間として生きるために、一粒の麦の生き方をしていってください。一粒の麦が地に落ちて死んだとき、一粒の麦は腐りその後からたくさんの実を結ぶことができます。これから親もとを離れ独立していっても、家族のことは忘れないでください。皆さんはこれから社会の中に出ていきますが、社会は絆でできています。一粒の麦のように自分を削って大きく成長させていってください。一番忘れてはいけないことは、人間は尊いということです。人を愛すること、人を赦すこと、人を信じることをしていけば、心が輝き顔も輝きます。」とお話してから、真珠のお話をしてくださいました。「貝が海の中で遊んでいたら、貝の中に砂粒が入ってきました。貝は痛くて泣いていたら、そのうち痛みも感じなくなって自分の中を見たら、その粒が真珠になっていました。皆さんがこれから味わう哀しみは、喜びに変わります。忍耐を持って生きていくことを忘れないでくださいね。」

 入学した時はお祈りをすることに違和感を持っていた生徒たちも、3年間毎日手を合わせて祈る体験をし、人として生きるために祈りは大切なことだと分かったようです。これからの人生において、手を合わせながら自分の歩むべき道をしっかりと歩んでいって欲しいと願っています。

 

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