2015年6月|聖カピタニオ女子高等学校|豊かな人間性を持つために

「2015年06月」の記事

自分の殻を破って!

 6月18日(木)の全校朝礼で、3月31日から4月5日まで福島へボランティアに参加した生徒2人の体験を話してもらいました。とても良い体験でしたので、抜粋して皆様と分かち合いたいと思います。

*私がこの活動に参加しようと思った理由としては、主に2つあります。1つは、人の役に立つことがしたいと思ったからです。この学校に入学して色々な話を聞くうちに、その気持ちはどんどん大きくなっていきました。最初は、自分が行ってできることはあるだろうか、逆に迷惑になってしまうのではないか、と不安にもなりましたが、考えているだけではだめだ、まずは行動に移さなければと思い参加を決めました。もう1つの理由は、もっと多くの人と関わりたいと思ったことです。最近、母に結局1番大事なのは人間関係だとよく言われます。私もそう思います。・・・私は幼い時から人見知りをすることが多く、もっと積極的に自分から行動を起こそうと、自分を変えようと思い、このボランティアに参加しました。全国から集まった生徒たちと一緒にボランティアをしながら刺激を受けました。ある子は、気配りの素晴らしい子でしたし、沖縄の高校生は政治の話をして自分の意見をしっかり持っていることに驚かされました。他にも空き時間に一緒に勉強したりもしました。たった6日間の活動でしたが、私は周りに刺激され変わっていくのを感じました。ボランティアは自分でできることを探して動くことが求められました。できることといっても、主にするのは仕事というより現地の方々との会話でした。しかし、それが人見知りの私にとって大きな試練でした。いつも隅っこで友達と話してしまう私が、一人で現地の方に話しかけに行きました。もちろん話すことに慣れない私ですので、沈黙も続くことが多くありました。それでも自分の中では大きな進歩だと思います。(M.H)

*現地に行かないとわからないことがたくさんあります。1番印象に残っているのは、仮設住宅であった方々の笑顔です。私達が現地の方々を笑顔にするよりも豪快な笑顔で私たちに笑い話をしてくださって、私たちが気を遣わなくても良いように、逆に気を遣っているように感じました。もう4年も仮設住宅で暮らしているせいか、ボランティアに来る人の扱いに慣れているように感じました。60歳の女性は私たちが炊き出しの宣伝をしにお宅に伺った時、雨が降って、その雨が屋根に当たる音だけで津波のことを思い出してしまい、その日はなかなか眠れないそうです。そのようなことは知ってはいましたが、現地に行かないと分からないことが多くありました。・・・・私たちはずっと同じところにいると、小さな、同じ価値観でしかものを考えられません。そんな小さな部屋から抜け出して、たまに大きな世界の中で、いろんな人と会うのも大切なことだと思います。私が今回この活動に参加して、1番良かったと思うのは、中学生から大学生の同世代の人たちとボランティアをする中で感じたこと、思ったこと、おかしいと思ったこと、もっとこうすればいいと思う事など、普段はなかなかしないシリアスな話まで、一緒に話すことができたことです。また、一緒に生活する中で、私は自分の未熟さに気づくことができました。慣れない土地で、初めて出会う人と一緒にいることで、普段では感じられない緊張感があって、そんな緊張感があったからこそ自分を見つめ直し、いろいろな人から良いものを吸収できたように感じます。慣れない場所から離れるのには少し勇気がいるけれど、大きな世界に行くと必ず自分の成長に気づくことができると思います。(K.H)

 2人の体験談を聞くと、旧約聖書の中にアブラハムが74歳の時神の御声に従って、安住の地から神が示す土地に移り住んだ話を思い出しました。私たちは、自分自身になる旅をしています。それぞれの心から聞こえてくる声に勇気を持って応えていくと、自分自身に一歩ずつ近づいていけるのでしょうね。

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「いのちの学習」がありました。

 6月17日(水)、18日(木)の両日、1年生、2年生の「いのちの学習会」が行われました。1年生の講師は、咲江レディスクリニックの丹羽咲江先生です。先生から性に関する一般的な内容を、お話していただきました。月経の仕組み、ダイエットの危険、デートDV、セクシャルマイノリティについて、とても分かりやすくお話していただきました。「性」という言葉を聞くと、あまり良いイメージを持っていない生徒たちのことを考えて、パワーポイントは明るい色をふんだんに使ったり、マンガでの説明やメールでの相談も先生にできることなど、生徒たちに対するメッセージが盛りだくさん入っていました。そして何より、婦人科を受診する事への不安をなくすように話して頂きました。生徒たちの中には「性」を学ぶことに、抵抗を感じていた人たちが例年になく目立ちました。これからの学びの中で、大切なことであることに気づいてほしいですね。今回の生徒たちへのお話の後、参加してくださった保護者の方々と咲江先生との懇談会が行われました。日頃心配している子どものことやご自分のことを話せ、保護者にとっても有意義な学びの時間になりました。

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 1年生の感想文から抜粋し、紹介いたします。

*私は正直、性について分からないし、まだ、あまり知らなくてもいいかな?と思っていたところがあったけれど、とても大事なことで、今日のお話を聞くことができてよかったです。何か自分の体の異変に気づいたら、早めに病院へ行って相談しようと思いました。男と女ではどうしても考え方が変わってしまうから、相手の気持ちを考えながら、自分の意志をしっかり伝えるようにしたいです。

*講演会を聞いて、始めはちょっと恥ずかしいことかなと思っていたけれど、ちゃんと考えなくちゃいけないことなんだということが分かりました。もし、何か不安なことがあったら、すぐに大人とかに相談しようと思いました。友達などが相談してくれたら簡単に返事をせず、ちゃんと自分のことみたいに考えて良いように解決できるといいと思います。セクシャルマイノリティの人の話は、左利きやAB型の人と同じくらいの割合でいると知って驚きました。その人たちは別に変じゃないし、居ることが当たり前のことなんだという事を意識していきたいです。

*私はあまり月経のことを詳しくは知らなくて、周期の数え方など改めて知ったので勉強になりました。「自分の体は自分で守る」を意識していきたいと思いました。こういうお話を聞けたのは、女子校ならではと思いました。

 2年生は「その子レディースクリニック」の三枝園子先生から、「デートDV」についてお話をしていただきました。お話の前に、「15歳?25歳は大人になる独立への準備期間」であり、「自分の行動に責任を持つことを考えて行動する」ことの重要性を強調してくださいました。デートDVの起因は、相手を対等に見ていないことが大きな要因であることを具体的に話していただき、自分の気持ちを言葉で相手に伝えることの大切さを教えてくださいました。

 2年生の感想文から抜粋して紹介します。

*今日、私は16歳で自立するための準備期間であることを知りました。つまり、親に頼りっぱなしではいけないという事です。改めて考えてみると、私は本当に親に頼りっぱなしで、これではいけないと思いました。少しずつ自分のことは自分でやることを心がけていきたいと思いました。デートDVの話では、体や心を傷つけるもので、しかも女性が加害者になる場合もあると聞いてビックリしました。

*デートDVのお話で、言葉の暴力についてお話されましたが、それは男女間のことだけではなく、友達にも言えることだと思う。何気ない一言が誰かを傷つけているかも知れない。特に自分は口が悪いので、もっと気をつけようと思った。今日のお話で特に自分が思ったのは、「人を見抜く力」というものが大事になっていくのかなと思った。

*もし友達がデートDVにあっていて、でもそれを友達が「愛」だと言って認めなかったら、「自分の体を傷つられるのは愛じゃないよ!それは、デートDVだよ!」と教えて助けようと思います。

 1年生の時は自分と関係ないと思って聞いていた生徒たちも、2年生になれば自分に置き換えてしっかり聞く姿勢になり、「性」は「生」につながること、そして正しい知識を持つことの大切さを実感したようです、お二人の講師の先生方は、お話の終わりに「シスターや養護の先生、先生にきちんと相談してくださいね。」とおっしゃって、大人に相談することの大切さも話して頂きました。今回1年生の保護者の参加が多く、参加者は「もっと多くの保護者が参加なさればいいのに!自分が間違った知識を持っていたことに気づかされました。」と感想を述べていらっしゃいました。

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ゆったりした時間を過ごした生徒たち

 掛川市にある「つま恋」で、6月10日?12日修養会を行いました。ゆったりした時間を過ごした生徒たちが、何を、どのように感じたのか、生徒たちの感想文から抜粋して紹介します。

 

*最初、「ケータイもテレビも使えないなかの2泊3日は、たいくつだろうな・・・・」と思っていましたが、全然その考えは違いました。・・・普段の授業では学べない「人としての生き方」だったり、「いのちの大切さ」、「障害を持つ人の気持ちを考えたり」と、今までの自分の中の考えから、お話を聞いて見方が変わったような気がします。また、目的であった「今の自分に気づく」では、自分としっかりと向き合い、新たに自分を発見できました。テレビを見るのが大好きな私ですが、「ちゃんと我慢できるじゃん!」と思ったり、あまり話したことのない子にも自分から話しかけるように意識できたので、「人見知りは、前よりも克服できたかも」と思ったり。豊かな自然の中、のんびりとしたこの場所で改めて自分の事について考えることができ、とても貴重な時間だったと思います。

*私は「心にゆとり」があれば、感謝する場面が多くあり、気づくことができることを、この修養会で学んだけれど、なぜ日常ではあまりそれができないのだろうと考えたら、1つ分かったことがあります。それは、スマホやパソコンなどに触りすぎていたからだと分かりました。この3日間、最初はスマホを触らなくて変な感じがしていたけれど、途中からそんなことは忘れてしまいました。みんなと一緒にいるし、みんなもスマホを持っていないからとも思いましたが、人間にはいる物はいるし、いらない物は本当に必要がないのだなと思いました。その事に今まで全く気づこうともしなかったので、今までもったいないなとも思いました。

*西神父様や福井先生のお話を聞いて、私は命の大切さや人間の弱さを知れた気がします。そして、考えさせられました。西神父様や福井先生のお話を聞いた日の夜、寝る前に考えては自分なりに答えを出していました。自分なりに出した答えは、一番弱い人間が差別をされているという事です。そして、命を大切にすることは、人を愛し自分を愛し、全てが大切なものだと思えることです。だから私は、自分が出した答えにより近づけるように、助けを求めている人がいたら、どんな時も助ける。どんなに嫌な人でも愛し感謝する。当たり前を当たり前と思わない。この3つをモットーに学校生活、これからの人生を生きていきたい、生きていかなければならないと思うようになりました。

*西神父様のお話の中に、「この世界はやり取り交換なしで生きていけない。」と言った後、「1番初めにやり取り交換なしに何かをしてくれたのは、親なんだよ。」と聞いて、私は今まで親に何かをしてもらった分、親や全く知らない人でも「やり取り交換なし」で何かをするという事をしたいと思いました。また、止揚学園の方が、「人の役に立たない人、ダメな人はこの世界にいない。」と言っていて、それを聞いて私は今まで、自分はあれができないからダメだとか、これが下手だからダメだと自分で思ってしまったことがあったけれど、話を聞いて何かできないことがあるのは当たり前で、そのできないことに初めから諦めるのではなく、チャレンジすることが大切なんだと気づかされました。

*この3日間、いろんな方のお話を聞いて、人間として生まれてこれて本当に良かったと思いました。私がこの3日間で感じたことは、人の痛み,苦労、哀しみを分かる人になりたいと思ったことです。人の苦労が分かれば助けてあげることができるし、人の痛みや哀しみが分かれば、優しくすることができると思います。私は普段母にお弁当を作ってもらっています。私は「今日のこれ何?まずかったんだけれど。」と言ったり、「お弁当作り向いてないんじゃない?」と何も考えずひどいことを言ってしまいます。そんな中、いつもより早く目覚めた私がトイレに行ったら、朝早く母がキッチンでお弁当を作ってくれていました。母自身仕事に行かなければいけないのに、毎日私のためにわざわざお弁当を作ってくれている、それなのに私はひどいことを言ってしまったと、母の姿を見て気づきました。この修養会で私が言った言葉や行動が、どれだけ自分勝手で思いやりがなかったんだと改めて思いました。また、私は人の苦労が分からない人間なんだと悲しく思いました。しかし、このことに気づけた私は、今からいくらでも変わっていけるし、人として成長したいと強く思うことができました。

*「怒りのコントロール」のお話で、自分のことについてよく考えることができました。どのような時に怒るのかとか、その怒りをどうするのかとか、私は怒りの発散の仕方が良くなかったので、リラックス法やどう怒りに対処するのか教えてもらってよかったです。この修養会の来る前と比べて、見えない心の部分がたくさん成長できたと思います。これからもカピタニオで、もっと優しい心を磨きたいです!

 

 ここに掲載させていただいた感想文はほんの1部ですが、どの生徒たちも同様なことを感じてくれていました。もちろん友人関係で上手くいかず「最悪な修養会」のイメージを持った生徒もいますが、これも修養会だったからこそ体験できたことです。私たちはトラブルが起こると相手のせいにしてしまいがちですが、自分に目を向けると大きく成長できる1歩になります。修養会は、一人ひとりの生徒たちの心に人間として強く、優しく成長したいと感じる芽が確かに芽生えてきたと思います。人間には、ゆったりする時間と自分の生き方を見直す時間が必要ですね。

 

 

 

 

 

 

 

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ゆったりとした時間

 修養会実行委員長の開会式での挨拶、「・・・個人的な目標を三つ立てたいと思います。一つ目は、これから聞くたくさんの良いお話の中から、何でもいいから一つ気づきを得る。二つ目は、クラスの仲、学年の仲を深める。三つ目は、修養会を全力で楽しむ。私はこの三つを胸に、三日間過ごしたいと思います。・・・修養会が楽しいものになるかどうかは、私たちの気持ち次第、心次第です。楽しいと感じるのは、私たちの心です。私たち次第でいくらでも変えることができます。私自身の力で、この修養会を楽しいものにしていきましょう!!」から始まった今年度の修養会。第一日目は、お天気にも恵まれ、教職員の方々に見送られながら出発しました。授業が始まる前まで生徒たちも窓から顔を出し、「いいなぁ。私ももう一度修養会に行きたい!」という声が聞こえました。廊下ですれちがった生徒からは、「毎年修養会をすればいいのに!」と声をかけてもらったりと、本校の修養会の大切さを2、3年生は感じているようで、私はうれしかったです。

 西神父様のお話は、「そもそも・・・と考えることは大切なこと」から始まりました。「この世の中の仕組みは『やりとり交換』。人間はそのためだけに生きているのではなく、『交換なし、取り引きなし』の世界がある」ということを具体的な例を挙げて話してくださいました。「人の痛み、哀しみ、苦労をしっかりわかってあげるために勉強している。それは人間になるためであり、自分で考える力を持ってほしい。」と、笑いあり、涙ありのお話でしたが、ただいいお話で終わるのではなく、人間について本質的なところをしっかり話していただき、生徒たちの心に沁み込んでいったと思います。さすが西神父様ですね。今年もファンがまた増えました(笑)。

 講演後に行なわれたミサで、西神父様から一人ひとり祝福を受け、自分は大切な存在であることを意識したのか、みな幸せな表情をしていました。

 翌日の午前は、スクールカウンセラーの平田先生から、「ブラインドウォーク」と「怒りのコントロール」のワークの指導を受けました。特に怒りの感情は自分でコントロールできることを知り、自分を客観的にみる訓練になったようです。

 午後は、止揚学園の福井光子先生から止揚学園の人たちとの生活の中で教えてもらったことを具体的にお話していただき、私たちの生活している視点を違う角度から見ることを教えて頂きました。

 修養会の閉会式で副実行委員長が、「この三日間で今まで見たことのない友人関係の新たな組み合わせで、一緒にいるところをたくさん見られました。また、たくさんの人の貴重なお話を聞くことができました。これから、より多くの人に思いやりや感謝の心をもって日常生活を過ごしていけると良いと思います。このような機会はなかなか来ないので、今後活かしていきましょう。そして、この修養会を支えてくれた両親、先生、つま恋の方々に感謝したいと思います。」と挨拶を述べてくれました。

 学年主任の挨拶の中で『止揚学園の先生の歌「ゆっくり歩こうな」の歌のように、ゆっくりした時間を過ごしたから、これまで見えてこなかったものが見えた三日間になりました。」と話されましたが、この修養会は本校の単なる行事ではない特別なもののように感じてきました。スピード、スピードと言われ、その流れに乗るのに必死で、自分の心を見る時間も与えられず、社会の流れについていくことだけが生きる目的のような今だからこそ、このようなゆったりとした時間を体験することの大切さを痛感した今年の修養会でした。

 

 

 

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