「2015年10月」の記事
第2回公開講座
今年度2回目の公開講座を、10月21日(水)に行ないました。今回のテーマは、「母と娘の関係」について一緒に考えました。
親子だからこそ分かり合えるというのは、難しいというお話を耳にすることもありますし、生徒たちの声を聞いていても同じ印象を受けます。そこで、今回は、「私と母親の関係」について考えてみました。
私たちが無意識にとる行動や考えの中に、母との関係が影響を与えています。その事について、一度立ち止まって考える機会になってほしいと思い企画しました。
私たちは、何かと自分の思い通りに娘たちを動かそうとしますが、子どもは親とは別の人格を持った人間です。母と子の関係は、その後人間としての成熟度が表われると言われます。
今回の講座の内容は、自分を育てた母親の生き方から、自分がどのように影響を受けているのか客観的に見ることから始めました。
私自身も家族のために生きる女性の生き方を母親から刷り込まれていたので、自分の生き方を貫くことに罪悪感を感じたものです。
もし、私が結婚して娘を授かったら、娘を別の人格者として関わりを持つのではなく、私の夢を叶えるものとしての関わり方をしたかもしれません。
実際に生徒たちに、そのような話をしていた事を思い出しました(卒業生たちにとって、迷惑だったことでしょう)。
そんな思いを持って娘に話しかける言葉は、娘の為と言っておきながら自分の為であり、その呪文の言葉を浴びた娘は、「生きづらさ」を感じ自分の人生から楽しさを奪うことにもなりかねません。
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母と子の向き合い方は、幼少期に「基本的信頼感」をもたせ、母親を「安全基地」と感じるような関わり方をしておけば自己肯定感が芽生え、その後の思春期で「ありのままの自分」を受け止められる力を持つことができることを、私の経験談を交えながら話しました。
また年齢が上がるにつれて「自立」が自然に身につくものと勘違いされて軽視されがちですが、それは意識しないと身につかないことも話しました。
参加者からの感想文を抜粋したものを、皆さんと分かち合えたらと思い掲載させていただきます。
*私も一人娘、母親の人形だと思っていた時反抗もしました。母との関係を考え、自分を見直す事で子どもとの接し方も変わることと、自分の生き方を見せることで、またそれぞれの子たちが、母親の生きる場所につながると思うことを実感しました。(40歳代)
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*30歳後半から40歳前後頃、母との関係に悩んでいたので、今日は本当に来てよかったです。5歳年上の姉の気持ちも分かった気がします。(40歳代)
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*子どもができてからは、子どものことが中心で自分のことを顧みることが本当に少なくなりました。
今回、自分の母親と自分のことを考えることで、しばらくはあまり思い出せず、どの内容も自分と子どもとの関わりばかり思い浮かんでしまいましたが、その前に元となった母親と自分のことを思い出し、自分を反省して子どもへの接し方を考えなければと思いました。(40歳代)
*私と母の関係は、永遠に解決できないと悲しい気持ちが絶えずどこかにありましたが、解決できなくてもいい、何故こういう関係なのかを客観的に捉える事ができるだけでもいいと思えるようになりました。・・・
改めて、まず自分自身の人生を、自分が選び直して今を生きようと思いました。(50歳代)
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*自分の母親がしてきたことが嫌だったことを、今、自分がしていることに気づきました。子供と相談し両方の意見からお互いが行動しようと子どもと話し合いをしました。(40歳代)
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*自分で自立しているつもりでいたけれど、親への依存から脱出できていない。「自立」の確立を後回しにしていることが思い当りました。
親から「あれしなさい」「これしなさい」という事は言われることがなかったが、甘やかされて、その末に自分も甘えて育ったなぁと感じました。(20歳代)
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*自営業の家に育ったので、母も父もずっと家にいる家庭で育ったので、母に逆らうとすぐ父が飛んできて面倒なことになるから、特に意見したことはありませんでした。
両親の意見を参考にして、高校も大学も就職も決めていたので、親の言うことは正しい!と思い込んでいるところがありますが、もう少し自分で考えていかないと、と思いました。(20歳代)
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*娘との関係がギクシャクしたところがあったので、今日のお話を聞いて、とてもよくわかりました。今までの関係を考え直してやっていこうと思います。(60歳代)
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*娘がいるので母子関係を娘との関係しか考えていなかったのが、母と自分の関係を考えるきっかけを与えてもらえ、また自分自身の癖や考え方のルーツを知ることができて良かったです。(40歳代)
私の人間関係のギクシャクを考えると、必ず親との関わり方にたどり着きます。生徒たちの人間関係の問題の根っこには、やはり親との関係が原因になっていることがあります。
だからこそ、今回、娘に対してというより、自分と母親の関係を子育てが一応区切りがつくこの時に、立ち止まって自分の生き方を振り返ってみることにしてみました。私たちは人間関係の中で生きて影響を受けています。
親との関係が、その後の人間関係に影響を与えるので、自分がどんな人間関係を作っているか(常に命令口調とか、自分の意見を言わず相手に従っているとか・・)を知ると、今の人間関係の問題の解決の糸口が見つかるかもしれません。
第3回の公開講座(3月9日)のテーマは、今回に引き続き「親子関係」にした方がいいと、感想文を読んで思いました。
いのちの学習
10月21日(木)に、3年生対象の「いのちの学習」を実施しました。
講師は、丹羽咲江先生です。婦人科の現場にいらっしゃる分、女子高校生の実態がよくわかっていらっしゃるので、特に伝えたい部分はドラマ化して、分かりやすく説明してくださいました。
生徒たちの感想文から抜粋して紹介します。
*感染症や望まない妊娠は怖いと思いますが、その怖さだけでなく予防法や妊娠の良さも学ぶことができたので、お話を聞くことができて本当に良かったです。
*性感染症の水ゲームでは、自分は大丈夫と思っても、病気になる可能性は誰にでもあるので気をつけていきたいと思いました。
中絶のお話では、本当に胸が痛みました。男性の「大丈夫」という言葉を信じてはいけないと強く感じました。
中絶をするという事は、中絶する本人や赤ちゃんもそうだし、周りの人がとても傷つくことだと思います。だから、パートナーと話し合うことが大切だし、男性は女性の体や気持ちについて理解することが大切だと思いました。
*今年も「いのちの学習」を受けることができて良かったです。いつも自分の知らないことが1つや2つあって、とてもためになります。
私の家では母とこのような話ができますが、皆がそうとは限りません。だから、このような機会があることは、すごくいいし、私たちが将来辛い思いをしないように教えてくれているのが嬉しいです。
*先生の作ったドラマもとてもリアリティーがあって、すごく面白かったです。咲江先生がたくさん準備してきてくださったおかげで、私たちはとても楽しくお話を聞くことができました。これから大人になっていく上で、とても大切なことを学びました。
*再現ドラマで、客観的に男女関係や思っていることを考えてみることができて、面白かったです。
つき合うこととHは、一緒ではないんだと思ったし、顔を見て相手の為にも自分の為にも周りの人の為にも「No」という事が大切だと気づかされました。
*自分は性感染症はどこか他人事だと思っていたことを、思い知らされました。
避妊の大切さなどは何度か聞いたことがあったし、自分も関係あると自覚していたけれど、今日の感染症の話を聞いて、もっと考えるべきだと思いました。
むやみに多くの人と性行為をしなければ感染しないと思っていたけれど、今日の水のゲームを見て、その感染力に驚きました。・・・
しかし、こういった問題は女性側だけの問題ではないと感じました。他の共学や男子校の高校のことは知らないけれど、私は中学校まではこういう話を聞くことのできる機会はなかったと思います。
どれだけ、正しい知識のある人が少数いても、その他多数が偏見や間違った知識を持っていては、一向に性感染症は減ることがありません。今日のような正しい知識を得られる機会が、全員に与えれられるといいなと思います。
*「いのちの学習」を受けて、改めて「いのちの大切さ、重さ、責任」を感じることができました。1年?3年までこの学習を受けて、本当にためになったと感じています。・・・
中学から保健の授業などを通じて性感染症や妊娠について学んできましたが、やはり婦人科の先生が話してくれることは、とても現実的だし、信じることができて、自分がもしこのような状況になったら・・・と考えた時に正しい判断ができるようになりたいと思いながら聞くことができました。
*男性が誤った知識を持っていることに対して、自分が嫌だと言えるようになること、対等であることの大切さを知り、気をつけていかないと自分も傷つき相手や家族にとってもよくないと思いました。
*高校3年間を通していろいろなことを学びましたが、卒業してからはこういった体のことを教えてもらえることはないのだと思うと不安になりました。
また、私たちはこうして学ぶ機会があったけれど、他の学校の人たちは、もしかしたらこういった機会がないまま、卒業してしまうかもしれないと考えると、人に頼らず、自分自身が正しい知識を持っていなければならないのだと実感しました。
3年間「いのちの学習」に参加した生徒たちは、3年生になってやっと1年生から学んできたことが自分のものになってきたことを感想文を読んで実感しました。性の問題は、生きることにつながります。だからこそ、正しい知識を知ることの大切さを、生徒たちは実感したのでしょう。
昨今、性の問題が社会問題になっています。男性も含め、一人でも多くの人たちが正しい知識を学べば、もっとお互いを尊重し合い、助け合う社会になるでしょうね。
この3年間で「いのちの重み」を感じ、自分の体を大切にするためにも、自分の考えを相手に言葉で伝えることの重要性にも気づいてもらえて良かったです。そして、一人で悩まないで専門家に相談することの大切さも理解してもらった学習会でした。
雨のち晴れ
????? 今年度の体育祭は、無事10月2日(金)に行なわれました。“無事”というのは、開催が危ぶまれたからです。
前日の午後からの雨で、リハーサルは体育館で行うことができてよかったのですが、テントなどの設営はできませんでした。
その降り続く雨は止むどころか、夜中も激しく降り続きグランドのコンディションは最悪。天気予報は当日晴れマークが出ており、教職員は体育祭決行に向け、準備開始。
? 雨が止んだ瞬間を見逃さない多田先生の「雨が止んでいるうちにテントを運びだそう!」という一声に、職員室の先生たちは一斉に動き出しました。
その後、スポンジを準備したり、砂を買いに行く先生、生徒たちと椅子や机の脚に紙を巻きつけている先生、各自が翌日6時の出勤後の作業を見据えて動いていました。
2日の朝、職員室の電気は5時半には点いていました。私達シスターは、朝の祈りとミサがあったので、終わり次第グランドに駆けつけました。
教職員一丸となって、長靴を履き、手にはスポンジと小バケツを持ち、グランドに溜まっていた水を吸い上げる作業をしていました。泥だらけの長靴、軍手も泥だらけ、額には汗がにじみ出ていて、私はその姿を見た時、「生徒たちに体育祭をさせてあげたい」という教職員の温かい想いがじわっと伝わってきて頭が下がりました。
体育委員たちも早くから駆けつけてくれ、教職員と一緒にテントの設営に協力してくれました。私たちの願いが天に通じたかのように、風が雲を飛ばしてくれたおかげで、真っ青な透き通る青空になりました。
笑いあり涙ありの恒例の体育祭でしたが、3年生が気分の悪い1年生を見かけて救護の所に連れてきてくれたり、転んだ生徒に「大丈夫?」と声をかけている姿を見かけると、いつもと違う体育祭のように感じました。学年、クラスを超えて共に集うカピタニオ生の姿を見ることができました。
私たちの体育祭を応援しに来てくださったある中学校の先生が、「みんな幸せそうな顔をしている。」と小池校長先生に感想を述べていかれたことを聞くと、体育祭の陰で生徒たちのために働いてくださった教職員の想いが、生徒たち自身大切にされているという感覚として伝わったからだと思いました。