「2015年12月」の記事
世界がちょっと優しくなれる日
???? 12月22日本校のクリスマス祝賀ミサが、名古屋教区長松浦悟郎司教様と瀬戸教会主任インマヌエル・ビン神父様によって行われました。
カリタスホームの中だけは、聖夜を思わせるような静けさ。3年生のキャンドルサービスが始まりました。
ハンドベルの音色が響き渡り、3年生の合唱が主の降誕の喜びを歌で私たちに伝え、ミサに入りました。
ミサの中で、松浦司教様は次のように話してくださいました。
「クリスマスの日は、世界のいたるところで心温まることが起こっています。クリスマスは、世界がちょっと優しくなる日です。
戦後、貧しい母子家庭の家で、子どもたちはいつもお腹を空かせていました。クリスマスの日にお母さんが子どもたちのために、カツ丼を準備してくれました。
子どもたちは大喜びでカツ丼を食べていましたが、ふっとお母さんを見ると、お母さんのカツ丼がありませんでした。『お母さんの分は?』と聞いた子どもたちに、『お母さんは大丈夫』と言いました。
2人の子どもたちは、その言葉を聞いて涙をこぼしながら、しょっぱいカツ丼を食べました。クリスマスの日は、そんなことが起こる日です。」と司教様は、私たちにお話をしてくださいました。
聞いていた私は自分が小さかった時のことと重なり、胸がいっぱいになりました。目から熱いものが込みあげ、近くにいた生徒に気づかれないようにと、そっと目頭を押さえました。
世界の中で争っている国々が、クリスマス停戦を迎える話を新聞で読んだことがあります。その最初のクリスマス停戦のお話を、松浦司教様は話してくださいました。
「1945年、ドイツ軍とフランス軍が戦っていました。クリスマスの夜、ドイツ軍の所に有名なテノール歌手が慰問に来て『きよしこの夜』を歌いました。その歌声は静かな夜空に響き渡り、フランス軍の所にも聞こえました。
彼らは手にしていた銃の代りにワイングラスをもってドイツ軍の所に行き、ドイツ兵も銃を置き皆でクリスマスを祝いました。これがクリスマス休戦の始まりです。夜が明けるとお互いの兵士たちは銃を持って、再び戦いを始めました。
クリスマスを祝う『せめてこの日だけは』が、毎日に続くように。子どもたちが幸せに暮らせるように、戦争がない日が続くようにと、クリスマスの日に確認をしましょう。
イエスの誕生によって、神があなたたちはひとりぼっちではないという事を私たちに示されました。神は私たちにご自分を差し出されました。神が駆け寄ってくださいました。
すべての人がこの日少しでも幸せになるように。そしてそれが続くようにと祈りましょう。」
クリスマスは、今や世界中でお祝いされています。松浦悟郎司教様のメッセージを聞いた私たちが心を合わせて、まず私の心が、そして世界の人たちの心が少しでも優しくなれるようにお祈りしましょう。
皆様の上に神様の祝福が豊かに与えられますように、お祈り申し上げます。良いクリスマスと良い新年をお迎えくださいますように。
「出会い」
クリスマスを迎える前の4週間を「待降節」と言いますが、この時期に本校では毎年恒例の奉仕活動を行っています。
今年はお天気にも恵まれ、滞りなく終えることができました。40の施設、募金活動、校内作業で奉仕活動に取り組んだ生徒たちは、今年のキーワード「出会い」を意識しながら取り組んでいたと思います。
募金活動は、「国境なき医師団」の活動支援のために、名古屋駅、栄、豊田駅の3カ所で行いました。多くの道行く方々が生徒たちの活動に立ち止まり、募金でご協力してくださいました。本当にありがとうございました。
募金に協力してくださった方々との出会いによって、生徒たちは「人々の善意」と出会えたと思います。合計金額は、311,999円になりました。
地域の施設に出かけて行って活動をした生徒たちは、各施設の方々の要望に応えた2日間だったと思います。施設の方々も本校の奉仕活動を楽しみに待ってくださっていると伺い、生徒たちもやりがいがあったと思います。
施設の方々との出会いは、生徒たちにとって「自分から出て相手の立場に立つ出会い」になったと思います。
校内作業の生徒たちは、クリスマスツリー、馬小屋、ステンドグラス、老人ホームのエプロン作り、花壇の整備、養護施設の子どもたちへのクリスマスカード作り、校内、校外清掃を行ない、地域の人々や全校生徒たちに「クリスマスの喜びを告げる出会い」ができたと思います。
実際に生徒たちはどのように感じたのか、生徒たちの声をお届けします。
*今回の奉仕活動のテーマ「出会い」にそって、たくさんのいい出会いがありました。
私が思う幼稚園児は、まだ小さく、言葉も可愛らしい話し方で、ただただ元気よく遊んでいるというイメージでしたが、教室に入ると先生のお話をよく聞いて、言われた作業をしっかりとこなしている姿に、とても驚かされました。
そのようになるまで、先生方の苦労があったんだろうなと思いました。一人であの人数のやんちゃな子どもたちの面倒を見るという大変さと同時に、先生方は本当に子どもが好きで可愛さに癒されているから頑張れるのだろうと思いました。(幼稚園)
*今回の奉仕活動では、出会いをテーマにした活動で、本当に数多くの方々と出会い素敵な時間を過ごすことができました。
私は子ども達と一緒にいる時間が長く、子ども目線で物事を考えたり、遊んだり、話したりすることで、今まで以上にいろいろな角度から物事を考えられるようになったのではないかと思います。子どもは予想のつかない行動や考えを持っているので、とても新鮮で懐かしく感じられました。(保育園)
*私なりに今回の奉仕活動を通じて感じた「出会い」は、「本当の愛の実践」との出会いでした。今までカピタニオに通っていて宗教の時間などを通して、カトリックの考え方などいろいろなことを学んできたけれど、「愛の実践」が具体的にどのようなことなのか、私ははっきりとつかみ切れていなかったと思います。
だけど、「身を削って人のためになることをする」のが本当の愛の実践なんだと気づきました。人のためになること、役に立つことをするのは素晴らしいことだと思うし、私も自分から進んで積極的に取り組んでいきたいと思いました。(校内作業)
*お年寄りのいる施設に行き、普段なかなか聞けないお話をたくさん聞けました。その中で、戦争の話もあって「怖い思いをした」と聞きました。中には、ラバウルに行って戦争をしてきたと言う人もいて、私たちの近くにも、あんな危険な場所で戦っていた人がいたのだと知りました。
日本も再び戦争をして、多くの民間人も巻き込まれるかもしれないと言われています。戦争体験を語れる人も減ってきているので、今のうちにたくさんの人に戦争についてお話を聞こうと思いました。おじいさん、おばあさんから色々なお話が聞けて嬉しかったです。(老人ホーム)
*今回、障害者の方々と一緒にお仕事をさせていただいたり、施設の部屋の掃除などをさせていただきに行きました。そこで、私は気づいたことがたくさんあります。
まずは、私たちを見かけたら、真っ先に挨拶をしてくれるところに驚きました。しかも、大きな声で元気に挨拶をしてくれたので、こちらも朝から元気になりました。
一緒に仕事をしてみて気づいたことは、障害者の方々でも自分ができることを探して一生懸命に生きていること、障害者同士だからといって、壁を作らず互いに笑い合って生活をしていること、周りの支えがあってこその自分達だと意識していること、仕事中は「こんなことはもうやりたくない!」などと投げやりな言葉は言っていないこと、感謝の気持ち「ありがとう」をしっかり伝えていることなど、たくさんの事に気づきました。
これらのことをまとめると、この施設の方々は、どの人も毎日笑顔で前向きに暮らしていることが分かりました。私もこの人たちのように、毎日明るく過ごしていけたらいいなと思いました。(障害者の施設)
*2日間病院に行って思ったことは、看護師さんはとても忙しい仕事なんだという事です。私の担当してくださった看護師さんも、私にやることの説明中にブザーが鳴るとすぐ飛んでいきます。
その姿を見て“すごいなぁ”と思ったし、私も頼まれたことを一生懸命にやろうって思えました。クリスマスツリーを飾っている時、おばあさんがニコニコ笑顔でこっちを見ていて、なんだか心が温まりました。
拭き掃除の時には、おじいさんが「今日は若い子がいるねぇ!ピカピカだねぇ!」って言ってくれました。一番最初の説明の時に看護師さんが、「お年寄りたちは、若い子がいるだけで元気をもらうんだよ。
もう、そこから始まっているんだよ。」と言っていたのを思い出し、こういうことなんだなって思いました。私は将来の夢で看護師にもなりたいなって思っていて、その思いが強くなりました。(病院)
ひとつの思いを共有して、全校生徒たちが取り組んだ奉仕活動で味わった苦労や辛さは、全世界の人々への目に見えない贈り物になってクリスマスの日に届けられることを信じています。
誰かのために取り組む時、自分の殻から出て新しい自分に成長することを経験することができたことでしょう。
本校のマリア像の前の馬小屋やフェンスに飾り付けられているイルミネーション、3階の校舎の窓に飾られているイエス誕生光景のステンドグラスは、神様の御子がこの世界にお生まれになった喜びを、来校してくださった方々に伝えています。その喜びを、皆様と分かち合えたら大変嬉しく思います。ぜひ、お越しくださいませ。
笑いあり涙ありの講演会
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今年のPTA主催の講演会は、長崎南山中学校・高等学校校長の西経一神父様をお呼びして、テーマ「思春期の子どもを持つ親」のお話をしていただきました。
本校の保護者だけでなく、卒業生、一般の方々が大勢参加され、笑いあり涙ありの中に、人として生きるために大切なメッセージを頂きました。ここに要約して掲載いたします。
思春期は変わる時期で、「うざい」と言うのは当然。親自身もその時期があったのに、その事を忘れている。ペットには反抗期はなく、人間だけが持っている特徴。
この世は、やり取り交換が行われている世界。しかし、私たちが生まれてきたのは、やり取り交換のために生まれてきたのではないことを知っている。
赤ちゃんは、泣くことしかできない。無力で、差し出すものが何もない時に、親は世話をしてくださった。
3歳から5歳の子どもは、まなざしで母親に問いかける。「お母さん、どうして私が可愛いの?」と聞かれたら、「お前だから可愛いのだよ。」といっぱい、いっぱい伝えてあげてください。
「○○ができたからだよ。」「○○を取ったからだよ。」とやり取り交換の世界を伝えてはいけません。子どもがとった成績で上下を決めたり、勉強ができる、できないで良い、悪いと評価する。子どもが可哀相。
人間になるために勉強はするものです。成績のように変わるものを根拠にしてはいけません。命を削って命を懸けるのは、「無償の愛」です。
「愛」は出来事で、目には見えません。思春期の子どもは、読解力不足。例えば、ここにサンマが置いてあると、猫はこれを見て「サンマだニャ」としか思わないが、人間は漁師のこと、物流のこと、親が店に行って買って料理をしたことなど、サンマを見てその背景を読み取ることができる。
しかし、思春期の子どもは読解力が不足している。親のしていること気づかない。子どものためにやっても報われないことが多いのは、親です。「どれだけ母さんは苦労していると思っているの。」と言いますが、「報われないことは美しいこと」です。
「孝行したい時に親はなし」という言葉は、「お前たちが子どもに同じことをしてあげなさい」ということで、すべては報われません。愛は我が身を差し出す事です。
大変盛況な講演会でした。アンケートには「来てよかった」、「お話が聞けて良かった」、「参考になった」という声がほとんどでした。その中から一部の声を紹介します。
*反抗期など、日常子供がしていることを見ると、子どもの育て方が悪かったのかと悩むことが多いのですが、親とはそういうものかと温かいお言葉を頂き、悩み迷いが無くなりました。
*今の子どもへの思春期の時期の対応が、全て悪い方になってしまっていました。子どものこと(立場)を考え、自分も読解力を身につけて少しでも乗り越えて頑張りたいと思います。
*大変楽しく聴かせていただきました。目に見えないものを察する力を大事にしていきたいです。人間の人間たるゆえんですから。
*娘に読解力がついてほしいと切に思います。娘に振り回されていることを苦痛に感じ、腹立たしくもありましたが、「報われないこと」の尊さを知ることができて慰められ、恵まれました。
*娘から聞いていた通り、とても面白く、心に残るお話を伺え幸せでした。この学校に通え、親娘共に幸せでした。
*カピタニオに入ってから、食事の残りものを捨てることを嫌がるようになった。西神父様のお話を聴いて、娘がいろいろ考えるようになってきたのか・・・と感じました。神父様の言っていた親の嫌味は、まさにそのまま娘に言っていた。報われないと思いながらも、娘のために頑張らないといけないと思いました。
西神父様のお話を聴きながら、イエス・キリストの生き様が目に浮かびました。イエスは私たちに、「愛」を与え、生き、「愛」を教えてくださいました。
人間を育てるのは愛です。それも無償の愛です。子育てをしている親御さんたちにとって、「報いを求めない」という言葉が響いたようです。
やり取り交換の世界だけではなく、次元の違う世界の存在に気づくことで、目に見えない確かな報いをいただくことができます。それは、私たち教師にも言えることですね。