「2016年06月」の記事
楽しんできた感想!
本校の修養会は、掛川市にあるヤマハリゾート「つま恋」で行っています。
自然が豊かで、食事もおいしく、ゆったりとした空間があり、修養会の目的を果たすことができる良い環境で生徒たちは過ごしました。
その感想を抜粋して紹介します。
*私は今回の修養会で、いろいろな方のお話を聞いて、私には考えられないような考えを持つ人がたくさんいるんだと思い、私たちは反省し、見習わなければいけないなぁと思いました。
私たちは恵まれているからこそ、欲張らず、他のみんなで分け合う必要があり、皆のことを考えたり、皆と分かち合うことが大切なのかなと考えさせられました。
止揚学園の人たちは、私たちにない素晴らしい感性を持っているし、欲張らず、皆で喜びや悲しみを分かち合ってすごいなぁと思いました。
私も止揚学園の人たちを見習って、素晴らしい感性を持ち、他の人のことを考えて行動できる人になりたいと思いました。
*私は、この修養会で人が次にやるべきことを先に見込んで、考えられるようになったと思います。
怒りがある時は、一方的に怒りが出てしまっていました。でも、まず落ち着いて、自分の考えを良く考えて、自分の本当の心を知ることが大切なんだと気づきました。本当の本当の心の声を聴いて、行動できる人になりたいです。
お話を聞いていて、ハッとさせられる言葉がいくつもありました。なんだか自分も世の一部なんだと思うことができました。神父様の言葉に感動しました。
私は何を求めているのか、自分が壊れてきたことは何度もあったけれど、それが自分を作る一つの糧となっているような気がして感動し、親への感情もよく考えて発したいと思うことができました。
私は高校生です。視野を広げてみたら、良いことがあるような気がしてきました。
*私はこの非日常生活である「修養会」を通じて、自分の殻が破けた(?)ことが良かったです。
いろいろな先生、神父さんのお話を聞いて、今まで怖くて見れなかった自分の心の奥の奥みたいなところが見れたような気がしました。
どのお話も心にぐさぐさ響いて、正直「今の自分」はまだ、どんな人なのか完全にはわからないし、「どんな人になりたいのか」ということもよくわからないので、これからの日常生活で、「自分見つけ」をしたいと思いました。
*いいお話に共通するのは、「自分を内側から顧みること(内省)」「素直になること」「自分を見つめ、相手を見つめ、聴き、分かち合うこと」です。
どれも私が今まで生きてきた中であまりしなかったことや、小さい頃は素直だったけれど、今は素直になれないこともあるというように、忘れかけていたことを発見できました。
修養会の目的である、「お互いに尊敬と思いやりを持って接することの大切さに気づく」を身をもって感じることができたと思います。そして、お話と体験を通して「今の自分」に気づくことができました。
*私は、「自分の命」と「人を思いやる心」について深く考えさせられました。
どの話も私にとてもためになるお話ばかりでした。自分の命を大切にすること、人の命を大切にすること、人を思いやることなど。
生きていく上で、このような気持ちがないと人を傷つけたり、自分を傷つけてしまうので、深呼吸をしたり、また聞いたお話を思い出して、この修養会で学んだことを自分の支えにできたらと思いました。
*私は修養会を通して、少しだけ自分のことが分かったような気がします。
私は今まで、ただ自分のことが嫌いで、自分を見つめようとしていませんでしたが、この修養会で良いお話をいっぱい聞けて、しっかりと弱い自分を認め、自分自身と向き合うことが大切なんだと分かりました。
最近、ずっと周りの人と自分を比較して、自分の嫌いな所ばかり考えたりしてただ自分を嫌っていましたが、止揚学園の「弱いって素敵なこと」だというお話や、「強い者だけでは平和は生まれない」と言うお話を聞いて、少し励まされました。
弱い自分を認めて、しっかりと自分と向き合わないといけないなと思いました。
このように生徒たちの感想を読ませていただくと、非日常生活を過ごすことの大切さに気づかされます。
この3日間、これまで耳にすることのない内容のお話を聞いたり、顔と顔を合わせて話したり、自分の弱さに気づかされたり、赦し合ったり、の経験を通して、生徒たち自身が自分と出会う機会を上手くキャッチしていた様子が分かります。
古い自分を壊し、新しい自分を発見していく喜びを味わうことができたのではないでしょうか。学校に戻ってきた生徒たちは、口々に「楽しかった!」と言っていました。
楽しんできてね!
6月8日(水)の朝、修養会に向けて廊下を右往左往している私に、廊下で出会った在校生たちは、「修養会に行くのね。いいなぁ!楽しんできてね!」と声をかけられました。
それも出会う生徒たちが口をそろえて「楽しんできてね!」と。バスに乗り込もうとしている私たちに向けて教室の窓から、「行ってらっしゃい。楽しんできてね!」と見送られました。
「楽しんできてね!」と暖かい言葉をかけてくれた生徒たちにとって、非日常生活の修養会は「本当に楽しかった」経験だったのでしょうね。
携帯、お菓子無しで、お話を聞くだけの修養会の日程を見ると、生徒たちは「楽しみ」という言葉から程遠いイメージを持ち、暗い気持ちになっています(笑)。
その生徒たちが修養会を体験すると、「つまらない」から「楽しい」に変わるのは何なんでしょうね。
修養会にお呼びする講師の方々は、今年は止揚学園の福井光子先生と松本神父様でした。
福井先生のお話の中で、「弱いことって素敵!弱さは人と人を結びつけるからです。そして豊かな心が育っていきます。
弱いことを大切に!」とこれまで人に弱さを見せない生き方をしてきた生徒たちにとって、この言葉は心にグッときたようでした。そして、止揚学園を訪れた小学生のお話がありました。
「小学生が止揚学園にやってきて、おやつの時間の時、小学生は自分の好きなおやつをわれ先に取り、止揚学園の人たちは何も取れませんでした。算数の割り算を勉強するのは、皆に平等に配るためです。
奪い合うと物が足りなくなります。分かち合いをするために、割り算を学んでいます。」この生き方は、現在の私たちの生き方を見つめ直すきっかけになりました。
もう一人の講師松本巌神父様は、園長時代の子どもたちとの会話から「神の存在」、「どうして人は生きるのか。」と言う質問に、幼稚園児に話すように具体的にお話してくださいました。
そして、0歳から24歳までを6年間ずつ区切り、その年に「いのちの宿題」があることを、図に書いて説明してくださいました。「いのちの宿題」と言う言葉を聞いた時、いい言葉だなぁと感心しました。
特に、乳児期と思春期は自分壊しの大切な時で、「今の自分を壊さないと自分を新たに作ることができない。」ことを私たちに話してくださいました。
そして、私たちは自分を評価するために他者と比較しがちで自己嫌悪に陥りがちですが、スヌーピーを例にとってくださり、「『I am OK 。 You are OK。』の心構えになれば、自己肯定感が育つ。
何故なら、自分が生きているということは、『You are OK』というしるし。その為に、内省できる人になってください。
反省は、自分の外にある物さしではかりますが、内省は、基準が自分の心の中にあり心の動きを感じとれる人になりなさい。』とお話をまとめてくださいました。
修養会では、お話を聞きながら自分の心の動きを書き留めますが、まさしく松本神父様がお話してくださった「内省ができる人」になりつつあることに気づかされました。
だから、自分の心と向き合い、自分のことに気づき安心できるのでしょうね。
「不安」「つまらない」から「安心」「喜び」へと心が変えられ、次元が違う「楽しさ」の体験を、2年生、3年生ができたから「楽しんできてね!」という言葉を発することができたのだと思うと、高校1年生で行う修養会の意義を、また深められました。
次回は、生徒たちの心の変化をお伝えします。お楽しみに!
軽快なリズムで!
6月に入り衣替えの時期になり、夏服になった私は少々寒さを感じているくらい、5月下旬の真夏日から解放されホッとしております。創立記念日からブログが滞っているので、気になっていました。皆様も待っていらっしゃるのでは・・・と思っております(笑)。
5月27日(金)、各クラスの思い思いのクラスTシャツを着た生徒たちの日頃(?)の業とチームワークが試される球技大会が行われました。
今年は生徒会の企画で、姉妹クラスをくじで決めてお互いに応援し合うことになりました。私は救護席に座っていましたので、生徒たちの様子が違っていたことを感じました。
まず、かつては他のクラスを応援するという光景はあまり見られませんでしたが、今年は学年を超えて応援し合う姿を見てほのぼのとさせられました。
今の社会は競争社会で、人を蹴落として生きる生き方が肯定されることも多いです。その中で、他クラスのためにみんなで「がんばって・・・。ナイス!」と声をあげていたり、決勝戦で負けたクラスが勝ったクラスに手を差し伸べて「ありがとうございました。」と爽やかに感謝をしている姿からも、今年の球技大会は、勝敗にこだわる場面もありましたが、球技大会を楽しんで和気あいあいとした空気が流れていたように感じました。
恒例の3年生の踊りは、「パーフェクト ヒューマン」。軽快な音楽に合わせて、3年生の有志たちに交じって学年主任の伊藤先生と寺嶋先生がサングラス姿で踊る姿に感心。
特に伊藤先生はリズムに乗って軽快に踊ってくださり(それが本当に上手。腕の開き方、リズムの取り方など、見せてあげたかったです。)、見ている私たちに喜びを与え、球技大会に花を添えてくださいました。
忙しい先生なのに、いつ生徒たちと一緒に練習をし息を合わせていたのかと思うと、生徒たちの為なら何でもしようという先生の熱い思いが伝わってきた今年の球技大会でした。