「2017年04月」の記事
アレルヤ!主は復活された!
4月16日(日)は、主イエス・キリストがよみがえられたことをお祝いする復活祭(イースター)です。
復活祭は毎年お祝いする日が違う関係で、クリスマスのように人々にあまり関心を持たれていないと思っていました。
ところが、前日の15日(土)に大型スーパーにお花を買いに行ったら、店内に「ハッピーイースター」の音楽が流れているのに驚きました。
私にとって「イースター」の言葉を知ってもらえるので嬉しいのですが、その意味を理解できる機会が与えられるといいなぁと思いながら店内を歩いていました。
ローマ・カトリック教会では、4月13日(木)から15日(土)を聖なる3日間として、特別にお祈りを捧げます。
13日(木)は、主の最後の晩餐を記念します。
14日(金)は、十字架上で亡くなられた主を記念します。
聖書では12時頃から午後3時ごろまであたりは暗くなり、3時に主は息を引き取られたと書かれています。
この時間は、生徒たちと掃除が終わり,帰りの祈りの時でした。
「今、主イエス・キリストが息を引き取られた時です。」
と言ったら、ある生徒が、
「本当にイエスはいたの?死んだ人間がどうして復活するの?」
とダイレクトに質問してくれました(笑)。確かに信じがたいでしょうね。
15日(土)は、墓に葬られたイエスを記念します。
この3日間のミサは、夜に行なわれます。
特に聖土曜日は、聖堂内を真っ暗にした中で「光の儀式」から始まります。
「暗闇は死の世界を表しています。
私たちは死の陰の谷を歩んで生きていますが、この世界をどのように生きていけばいいのかを、光で象徴される復活したイエス・キリストが身をもって教えてくださいました。
復活徹夜祭に復活のローソクに光が灯され、その光の後に私たちは行列しながら聖堂内に入っていきました。
私たちはいつもこの小さな光に照らされ導かれながら、暗闇の世界であっても希望を持って生きていくことができます。
約2,000年前にパレスチナで生きたイエスは、いつも社会の弱者、疎外された人々の傍で小さな光となって生きていました。
この小さな光は、今も人々によって灯されています。これがイエスの復活の意味です。」
と復活祭を多治見教会で祝った時に、竹谷神父様がお話をしてくださいました。
毎日、新聞、ニュースは、悲しい事件を報道し、それを聞くたびに、
「何を信じて生きていけばいいのか?人間らしさはどこに行ったのか?」
と怒りの気持ちがわいてきて叫びたくなります。
そんな時、自己中心的な生き方をしている人間が起こしている問題を解決する方法は、
「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛しなさい。」(ヨハネ福音書14章34節)
のイエスの言葉を生きるしかありませんね。復活祭では、祝福された卵を頂きます。
それは、自分の自己中心的な殻を破って、キリストの新しいいのちを生きることを意味しています。
だから、復活祭の時に卵の形をしたチョコレートが店頭に並ぶのです。
カピタニオファミリー
4月7日は全国雨模様。「雨が小降りになりますように」と祈っておりましたが、私の願いは叶えられず(修業が足りませんね。笑)、雨の入学式になりました。
桜も満開になり、温かな気温に誘われて花壇のチューリップは一斉に花を咲かせてきました。
春になると自然界の木々や草花が一斉に芽を出し、色とりどりの花が咲き、新しい環境に緊張や戸惑いを持っている私たちに希望を持たせ応援してくれているかのようです。
このように考えると、4月に入学式、入社式を執り行う日本人の感性は、理に適っているように思えるのは私だけでしょうか。
本校に入学してきた新入生の表情も緊張気味。
担任から名前を呼ばれ、「ハイ」と元気に応えていました。
新入生たちが「人格(ペルソナ)」をもった者として、今日から始まる学校での生活を通して、自分に呼びかけられる声(一人ひとりがこの世に存在した時から呼びかけられている声=神の声)に「ハイ」と応えながら自分らしく成長していくようにと、会場にいた私たちは祈りを込めてその様子を見ていました。
3年生の生徒たちの歓迎の歌声を聞き、一人ひとりに手渡されたローソクに「お互い助け合って、有意義な高校生活を送りましょう。」という願いを込めながら行なったキャンドルサービス。
カピタニオファミリーの一員となった新入生たちが、期待と夢を持って有意義な高校生活を送ることができますように。