「2017年05月」の記事
一粒の麦,海を越えて
5月12日(金)は本校創立54年を迎え、全校生徒、保護者、卒業生でお祝いをしました。
1部は「みことばの祭儀」、2部は昨年インド体験学習に参加した生徒たちによる報告会が行われました。
「みことばの祭儀」を司式してくださったのは、春日井教会主任司祭北向修一神父様です。
「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままである。死ねば、多くの実を結ぶ。」
(ヨハネ福音書12章24~26節)
の、み言葉を次のように話してくださいました。(抜粋)
「愛のない人生、花や実のつかない木のようなもの。」
(カリール・ジブラン)
木は、食べられる実をつけるのが最高で、食べられない実をつけるものなら、せめて花が美しいのがいい。
花すら咲かない木もたくさんあり、だからといって存在価値がないわけではないが、やはり人間から見ると、それは「寂しい」ということになります。
愛する人はいなくても生きられなくはないが、やはり愛する人と共に生きる幸福感は、豊かな人生にとって不可欠なものであるという意味です。
今日の聖書の箇所に出てくる麦は、神様が私たちに教えてくれる豊かな人生のたとえです。
現在の私たちにとっても一粒の麦とは、人間を生かすパンのもとになっています。
こんな小さな一粒の麦でさえ、たくさんの人を養い育てる力を持っているのです。
それならば神様がお創りになった人間にどれほどの可能性があるのでしょうか。
私たちは皆この地上に蒔かれた一粒の麦、自分の為だけに人生を使えば孤独なだけですが、隣人のために使えば大きな実を結ぶのです。
自分の殻を破って勇気を出して行ったことが、思わぬ結果を生むことがあります。
本校の修道会の創立者であるバルトロメアとジェローザは病気の人、刑務所にいる人など社会から疎外されている人たちに、自分ができる小さなことを誠実に愛の心を持って接していました。
弱い人、小さな人と寄り添いたいというその意志は海を越えてこの日本の地にまで及び、この聖カピタニオ女子高等学校においてたくさんの女子生徒にカリタ(神の愛)の精神を伝えています。
一粒の麦のように小さなことでも役に立ちたいという私たちの気持ちが、愛する心を育み、私たちの成長の中で、また隣人の中で豊かな実を結ぶのです。
北向神父様は、「一粒の麦」の生き方を具体的にお話をしてくださいました。
聖書に「私たちは神の似姿に創られている。」と書かれています。
私たちは一人で生きていけません。「共に生きる」ように神様は、私たちをお創りになりました。
人との関わりが希薄になっている現代、神様は創立記念日を通して「共に生きる喜び」を味わうように呼びかけておられるような気がしました。