「2017年06月」の記事
自分と向き合える勇気!
6月7日~9日、1年生の修養会が行われました。
今年は、石川県まで足を延ばしました。
1年生にとっては初めての校外での活動。期待と不安以上に、「修養会」という行事に「?」マークが大きかったと思いました。
止揚学園の園長福井生(いくる)先生は、幼い時から脳に重い障害を持った人たち(止揚学園の人たち)と生活をした体験から気づいたことをお話してくださいました。
競争することが大事なことではなく、みんなで一緒にすることの大切さ。
障害の有無に関係なく、相手に希望を与える言葉を言うこと。
心と心は繋がり、2つの心からみんなの心が繋がる。
同じいのちが与えられ、それが繋がっていることを具体的な場面を通して私たちに伝えてくださいました。
止揚学園で作られた歌を、西竹先生が歌ってくださり、優しい歌詞の意味に心が癒されたように感じました。
もう一人の講師、松本神父様から「自分壊し」のお話を伺いました。
人生で自分壊しは3回あり、1回目は母親の体から離れこの世界に誕生した時、2回目は、3歳頃保育園に行き始める時の母子分離、3回目は思春期の「今」。
今が自分壊しの時であることを具体的にお話してくださいました。
自分を壊さないと新しい自分が作れません。
神父様のお話から、これからの自分壊しの仕方を学び、自分を新しく作り変えていく希望を持つことができたのではないかと思いました。
そして、人生で与えられている課題、「私は誰?」の答えを見つけていくためにも、「選ぶことは、捨てること」を心にとめていくことで幸せになれることを学ばせてもらった貴重な時間でした。
この3日間の修養会で皆と関わりをもって生活ができたからこそ、自分のこと友人のことを理解できる機会が多く与えられたと思います。
人間は自分を正当化させるために、他者を非難する傾向があります。
そんな人間の弱さについても考えることができ、今後「どのような自分になっていきたいのか」、自分と向き合えた貴重な3日間になりました。
全てのことに、意味がありますね!
この経験を生かして、しっかりと思春期を乗り越えていって欲しいと祈るばかりです。
どの視点に立っていますか?
ある生徒が、登校中に起きたことを話してくれました。
「満員バスに乗っていた時、一人の女子生徒が発作を起こして倒れたのでバスが止まり、救急車に連絡してくださいと言われたが、誰もしなかったので私がしたんだわね。
救急車が来るまでバスは止まっていたから乗客の人たちはほとんど降りてしまったんだけれど、その女子生徒を抱えている人と私と数人の人たちだけが残ったんだわね。
乗客の人の中に、不満を吐き捨ててバスから降りていった人がいて嫌だった。」
と話してくれました。
同じ状況を、乗客の立場で見ると、
「今日は運が悪かった。時間に遅れちゃった。」
と言うようなことが言われ、
倒れた女子生徒の立場で見ると、
「可哀相に。だけど、助けてくれる人がいて良かったね。」
と言うようなことが言われるのではないかと想像しました。
そんなことを考えると、今、テロや殺人など暗いニュースばかりを見聞きするたびに、
「暗い社会になってきて、希望もなく将来心配だ。」
と暗い気持ちになりますが、
自分のことより相手のことを考えて生きている人の生き方を聞くと、
「人を助ける人がいて良かったね。希望があるね。」
と思えます。
暗い社会を作るのは、一人ひとりの人間の自己中心的な生き方です。
だったら、一人ひとりが
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしない。」
(マタイ福音書7章12節)
という今月のみ言葉を実践していくと、希望のある社会になりますね。
私は日常生活の中で、どの視点を見て生きているのか、考えさせられた生徒の話でした。