「2019年08月」の記事
1歩目のSDGs
認定NPO法人アイキャンが主催している「中部SDGs for ユース2019」 のアクションプランのうちの2つ、本校が例年実施している絵手紙交換と、今年初めての「SDGsスクールアクション」に参加しました。
絵手紙は、1年生が夏休み前に取り組みました。
今回「SDGsスクールアクション」として、本校が行った活動は、学校近くを流れる水瀬川河川敷きのゴミ拾い活動です。
出校日(8月19日)に河川のゴミ拾いを呼びかけると、あっという間に23名の生徒が参加の意思表示をしてくれました。
8月21日(水)午前9時開始。
蒸し暑さの中、手にごみ袋を持ち通学路を歩いていると、道端に落ちているペットボトルや空き缶が目に留まり、それを拾うことから始まりました。
水瀬川に到着。
この河川の両側には桜の木が植えられており、桜が満開になる時期は本当にきれいな日本独特の景色を見ることができます。
夏なので両岸は草で覆われ、ごみが落ちていないように感じられましたが、草をかき分け進んでいくとペットボトル、缶、レジ袋が見つかりました。
見つけるたびに生徒たちの歓声。他には電池、ライター、毛染めスプレー、バケツ、傘などの日常品。
河川の傍には、「ポイ捨てはやめましょう」と書かれた看板があちこちに設置されているのを生徒たちは横目で見ながら、
「なぜポイ捨てするのかな?」
「ひとり一人が心がければ無くなるゴミばかりなのに」
とつぶやいていました。
中にはレジ袋が千切れているの見た生徒は、
「これが海に流れ、魚が食べるんだね!」
と魚のお腹からレジ袋が出たニュースが現実味を帯びた様子でした。
拾ったゴミの大半は、やはりペットボトル。
ゴミ拾いをした生徒たちは、この経験を通して「ゴミは、ゴミ箱へ」の当たり前のことをすることの大切さを実感したようです。
一人の生徒は、次の感想を述べてくれました。
「今日のボランティアを通して私が気づいたことは、私たちに拾える量のゴミだったということです。
ゴミ拾いをし終わった後、感想を述べるときに悪い所(例えば、各自の責任感のなさ等)に目がいってしまいがちになるけれど、私はよい方向に考えてみることも大事じゃないかと思います。
それは、日本は諸外国と比べて綺麗な国です。
街中にゴミが落ちている国がたくさんある中で、これだけゴミが少なくて綺麗な日本に住めるのは幸せだなと思うとともに、もっと自分にできることがあることを実感させられました。」
温暖化、異常気象、絶滅危惧種など地球環境の問題は、地球に住む私たち一人ひとりの生き方に原因があります。
そのことに気づくためにも、今回のように身近にできる河川のゴミ拾いの経験は、自分の生き方を考えるきっかけになった時間でした。
生徒たちの感想から、私たち大人の生き方が問われた感じがしました(痛い)。
家族の温かさ
「共にすごしましょう」が、今回の止揚学園訪問のテーマでした。
そのテーマのもと本校の23名の生徒たちは7月14日・15日の2日間止揚学園で良い経験をさせていただきました。
あいにくの梅雨空で、予定していたプログラムは空を見上げながら実施するかしないか、常に選択を余儀なくされた2日間になりました。
みんなが楽しみにしていた花火は、残念ながらできませんでしたが、その代わり、ホールで夏祭りにつきものの出店が3店あっという間に準備されたのには、びっくり!
夕食後まだ雨が降っておらず、みんなで花火をする気満々だった時に、生徒たちも、その出店の準備に一役買い、アイディアを出しながら楽しめる出店を作ったのです。
学校では見られない生徒たちの様子に、生徒たちが潜在的にもっている才能に尊敬の念を持ちました(笑)。
この姿が学校でも出せるようになるといいのにと思いながら、思春期真っ只中で自分探しをしている生徒たちが自分を見つけてくれる機会になればと見ておりました。
参加した生徒たちはこの経験をお互いに深め合うために、夜、分かち合いをしました。その時の様子をまとめてお知らせいたします。
*止揚学園に参加したいと思ったきっかけは、修養会での、福井生先生が職員の人たちとともに脳に重い障害を持っている人たちと関わられたお話を聞いて、止揚学園の人たちに寄り添い、彼らの言葉にならない言葉を聞きながら生活している様子に感動したことです。
障害をもっている人たちのことを、「仲間」と呼んでいることに驚きました。
*以前ボランティア活動で障害者施設に行ったことがあったけれど、ここは家族のようにお互いを労わり合い、障害を一つの個性としてとらえているから職員の人たちは上から目線の話し方をしないし、子ども扱いにせず、一人の人として尊敬を持って接している。
職員と仲間の人たちの信頼関係がそこにあり、いわゆる健常者と障害者の壁がここにはない。
*日常生活で疲れていた。止揚学園の人たちの笑顔に触れたり、体の触れ合いを通して癒された。
止揚学園の人たちの笑顔に触れると、自分は毎日作り笑いをしていることに気づいた。
*今年で3回目の止揚学園。
1年目の時は怖いと思い会話ができる人としか話さず、2年目は話せない人のそばに行って関わるようにして、3年目は車椅子の人のそばに行って関わることができた。
*今回訪問は2回目になり、多くの気づきをしたくて参加した。
止揚学園の人たちが話せない分、その人たちの行動を見ながら何が言いたいのか心で感じるように聞く努力をしたら、相手と通じ合うことができて嬉しかった。
すべての行動に意味があると思った。ここでみんなと過ごしていると、自分はこれまで“いい子”を演じていたことに気づいた。だから苦しかった。自分らしく生きていきたいと思った。
生徒たちの分かち合いの中でよく出てきた言葉は、「温かい」「家族」「思いやり」の言葉でした。
血の繋がりがない人たちが相手を思いやりながら生活をしている場で共に生活させてもらい、家族について考える機会になったようです。
家にいるとき自分の家族に対する接し方について考えることもなかった生徒は、自分がどれだけ家族に支えられていたかに気づき、家に帰ったら感謝の言葉を伝えたいと思った生徒もいました。
今回参加した生徒たちは、止揚学園の方々とできるだけ多く触れ合いたいという気持ちがあったので、自発的に積極的に活動していました。
止揚学園の方々の素直さによって、生徒たちも素直な自分を発見する2日間になりました。
高校生の時期に、いろいろな経験をし、人と出会え、内なる世界を広げていくことは、人生の宝になりますね。
依存の怖さ
期末テスト後、短縮授業の中で「薬物乱用防止教室」が開かれました。
生徒たちは警察官からのお話だと思っていたようですが、今年は岐阜ダルクから2人の女性がご自分の経験をお話してくださいました。
「薬物」という言葉を耳にしても、生徒たちにとって遠い存在、別世界の話と思って聞いていたようですが、自分たちの世界でも起こり得ることを知り驚いていました。
生徒たちの感想を抜粋して紹介します。
*今まで薬物依存、アルコール依存は身近なようで遠い存在だと思っていましたが、何かほんの少しのきっかけがあれば依存症になってしまうのだと理解しました。
悲しみや寂しさといった私たちの中にある負の感情を紛らわせるために使用したりすることもあり得ると思いました。(1年生)
*幼少期に辛い思いをした人は大きくなって犯罪の道に進んだり、ネットの危険な人と会ったり、薬物をやることで現実から少しでも離れたいんだなと感じる部分があった。
子供をそんな風にする親も最低だし、非行に走ってしまう子どもももったいないと思った。
私は結構へこみやすく、抱え込みやすい人間だから、いつ非行に走るかわからない。
いや、誰もが非行に走る確率は低いわけではない。
だからこそ、自分の意志をしっかり持って「断る勇気と絶対にやらない」ことを大事にして、今日聞いたお話を心に留めて生きていきたいと思った。(1年生)
*薬物を始めてどんどん止められなくなってしまって依存症になってしまうように、私はゲームセンターのユーフォーキャッチャーをやってしまうと歯止めが利かなくなってしまう。
「もう1回だけ」という誘惑に乗ってしまう。だから、最近は何円分だけにすると決めて、景品が取れなくても止めるように自分に言い聞かせている。
これからもユーフォーキャッチャーだけでなく、スマホやテレビなどが当たり前にある時代なので、自分で自分をコントロールできるようにしていきたい。(1年生)
*薬物乱用を経験した方のお話を聞くと知った時、目の前には穏やかで優しそうな方がお二人いたので、「えぇ~!この人たちなの?」と正直信じられなかったし、本当に誰でもなってしまうんだなと思い、すごく怖くなりました。
薬物はやくざのような怖い人たちのようなイメージがあり、これまで見てきた再現ドラマでも怖い人たちから薬物をもらっていたので、自分が接している普通の人たちが持っているかもしれないと思うと、人付き合いも慎重にしなくちゃいけないと思いました。(2年生)
*お二人の話を聞いて、特に様々な薬物を使用するまでに至ってしまう共通の原因は、家庭環境の問題と自分の弱いところを認める意識がないことだと知りました。
今までどういう気持ちで薬物を使用するのかわからなかったけれど、現実から逃げたくて使い、依存していくことが理解でき勉強になりました。
現実や自分の弱さを認められず、いくら辛くても逃げ続けて楽な方にいったり、依存したりせず、一人で抱え込んで歪んだ考え方になったりせず、周りの人に相談し、お互いに支えあいながら生きていくことが大切なのだと改めて思いました。(2年生)
*話をしてくださった二人の方は、どちらも身近な家族が関係していることを知って、少し切ない気持ちになった。
一番信頼できる家族が薬物の乱用を犯す原因になると、もう誰を頼ればいいのか分からなくなってしまうと思う。
「小さいころの自分は、親に嫌われたくないと思うから、嫌なことをいやということができなかった。」と聞いて、小さいうちからこんなに悩む人がいることを初めて知った。(2年生)
*講演をしてくれた二人のどちらも覚せい剤を使うに至る経緯は、心のどこかにある“むなしさ”だと思った。
家庭環境だったりプレッシャーに押し潰されたり、いろんな思いをするうちに、どこかに逃げたいと暗い方向にってしまうと、いずれ薬にたどりついてしまう。
私たちはスマホに依存しがちになっているけれど、やはり用がないのにSNSにしてもゲームにしてもスマホを使っているのは、心地よい避暑地に逃れているような感覚になってしまい、知らないうちに依存してしまうのではないかと考えました。(3年生)
生徒たちにとってこれまで受けてきた「薬物乱用防止教室」と違って、当事者の生々しい体験を聞くことができ、各自他人ごとではなく自分にも関わることだと危機感を感じていました。
中には自分と重ねるところがあり、聞くことが苦しかった生徒もいたのではないかと思いました。
生徒の感想にもありましたが、家庭の人間関係が子どもの成長の基礎を作ることをお二人のお話を聞きながら再確認させられました。
それと同時に、人間の神秘についても考えさせられました。
お一人の方は、「2回少年院、2回刑務所に入るほど、薬物が止められずにいました。そのような状況の時、新聞に書かれた『神は許す』という言葉に目が留まり、カトリックの洗礼を受けました。」とお話されました。
人間はどん底に落ちても、このままではダメだ!と立ち直るチャンスを待つ心を持っていることと、神様がそのチャンスをその人に与え続けていることを知らされました。
そして、最後の言葉、「私たちには現状維持という言葉はありません。前進するか後退するかの2つの道しかないのです。」がとても印象的で心に残りました。