「2020年03月」の記事
イタリアの現状から
毎日報道されている新型コロナウイルス、イタリアの死者は中国を抜く数になりました。これから先、イタリアはどのようになっていくのか不安を抱えて生活しているイタリアの人々。
そんな中、イタリアの様子が修道院に伝わりました。感動させられたお話があるので分かち合いたいと思います。
*感染拡大を防ぐために葬儀ができず、たくさんの棺が教会に安置されています。家族は亡くなった方に、最期のお別れができない状態です。
そんな中、一人の老神父(80歳代)が棺の前で祈りを捧げる時、棺の上にケータイを置き家族とともに祈りを捧げています。
イタリアは埋葬なのですが、今回のこのような非常事態なので火葬されます。ところが火葬場は日本のように多くありません。
軍隊が出動し棺を遠く離れた火葬場に運び始めています。だからこそ、この老神父の行為は、家族の慰めになっていることでしょう。
*今、教会でミサがあげられないので、神父様たちが屋上に上がりミサを捧げているのを、町の人々は窓を開けて神父様たちと一緒にお祈りをしているそうです。
人知を尽くしても見えない敵と戦っているこの時、人々のできることは心を合わせて祈ることだけですね。
*一人の女医さんが医療における自分の使命を果たしながら、もう一つの使命が私に課せられたと言っています。
それは、病人に会えない家族からの手紙を、女医さんが家族に代わって本人に渡すことです。
女医さんは「今の自分の使命はこれなのだ」と喜んで使命を果たしていると言っていました。
また、医療従事者と分かれば、ガソリンはタダにするところもあるそうです。
医療関係者も自宅に帰れずホテル住まい。家族にも会えず医療現場で不眠不休で働いている方々のことも心にとめておきたいですね。
モノと人が自由に行き来できるグローバル社会へと発展してきた世界、今や一国の問題だけで済まされず地球規模の問題へと発展していくことを、新型コロナウイルスは私たちに教えてくれました。
今回のこのようなことを通して、神様は私たちに何を教え導いてくださっているのかをしっかり受け止めたいものですね。
便利さ、発展を追求していく人類は、目に見えないものからの脅威をますますこれからも感じるようになるのでしょうか。
人類のおごりがこのような事態をもたらしたのであれば、私たちはもっと自然からの声を聴き、人類の自然に対する関わり方を謙虚に学び、自然との共生、お互いを労わり合う人間関係を作り上げていけるように祈りたいと思いました。
令和元年度終了
3月19日(木)は、令和元年の修業式が行われる予定でした。
本校は変則的に時間を設け、各自教室に置いてある新年度の教科書と担任の先生からもらう通知表を受け取り、すぐ帰宅の措置を取りました。
校舎内に久々の生徒たちの弾んだ声が響き渡り、校舎も本来の自分の姿に戻りホッとしているように思います。
今年度は5月に年号が「平成」から「令和」になり、学校でも書類の書き方などに戸惑ったりしていました。そのような状態から、徐々に日常生活に落ち着きが戻り何気ない普段の生活が始まりました。
そんな中、今度は気温の上昇に悩まされ、「異常気象」という言葉をよく耳にするようになりました。
相次ぐ台風の上陸で、多くの方々の日常生活が一瞬のうちに奪われてしまいました。日常生活が今も取り戻せていない方々も多く見えると思います。
やっと、日常生活を取り戻し生活をし始めたら、今度は新型コロナウイルスの感染拡大。
政府の方針を受けながら各行事の見直しを考えていると、3月から休校の措置。生徒たち自身、クラスの仲間との交流もできず、今年度を振り返る心の準備もしないまま、毎日の生活が有無を言わせず断絶され、令和元年度を終了することになりました。
登校してきた生徒達と話すと、「学年末試験がなくて残念!テストの準備をしていたのに・・・。」と残念そうに話した姿が印象的でした。
この不完全燃焼感を生徒たち一人ひとりが向き合い、自分なりに4月の新年度を迎える準備ができるエネルギーに変えてくれるように、祈っています。
想定外のことが起きたこの1年。今更ながら、日常生活を送ることは、「当たり前」ではないことを痛感させられました。
毎日放映されている各国の新型コロナウイルスの報道を見ていると、そのお国柄を感じますね。
特に、イタリアの人たちがバルコニーに出て国歌を斉唱している様子は、どんな状況にあっても希望をもって「今を生きる」ことの大切さを教えてくれます。イタリア人たちから学びたいと思いました(笑)。
感謝ミサ・卒業式
新型コロナウイルスの影響で、年度末の行事はすべて変更という事態になりました。
2月28日(金)全校生徒で行った卒業式の合同練習が、在校生と卒業生のお別れの会になりました。
その後、卒業生のみの卒業感謝ミサが、フィリップ神父様の司式で執り行われました。
「もし一粒の麦が死ななければ、それは一粒のままである。しかし、死ねば、豊かな実を結ぶ。」(ヨハネ福音書12章24節)
のみ言葉から卒業生に門出のお言葉をいただきました。
「麦で作られたものにパンがある。パンは麦の味はしないが、パンの味がある。
皆さんも各中学校からこの学校に入学して、3年間仲間と一緒に生活して、自分が造られてきたはずです。
ブドウからワインが作られます。その時に、少しお酒を入れるので、ワインになりますが、お酒を入れないと酢になります。
それと同様、勉強もそこに愛を入れると、喜び、希望に変わります。人生、教育はワイン作りに似ています。」
とこれからの人生を歩む卒業生たちに、「愛の心」をもって生きる大切さを話してくださいました。
2月29日(土)、第55回卒業式が執り行われました。卒業生と保護者、教職員がカリタスに集まり、例年と違う式次第で約1時間で式が無事終了しました。
この間、本当に温かいもので会場が包まれ、良い卒業式になりました。
これまで、当たり前にしていたことが、今回このような想定外のことが起こると、当たり前に感謝ミサをし、卒業式を迎えてきたことが、当たり前でないことに気づかされます。
そして、自分たちの計画通りに執り行うことが、幸せだと思い違いをしていたことにも気づかされました。
本当に大切なことは、「今を生きること」だけであることを実感させられました。
卒業していった生徒たちは、入学した時の修養会の会場変更を余儀なくされたことからスタートした学年でした。
そして、卒業式を含め他学年が経験したこともない行事を行うことによって得た気づきは、各自の歩むこれからの人生に大きな意味をもたらす生き方をしてくれることを祈っています。