2022年3月|聖カピタニオ女子高等学校|豊かな人間性を持つために

「2022年03月」の記事

声の力

P3020645-min前日の雨も上がり、3月2日第57回卒業証書授与式が無事執り行われました。

 

 

 

今年の卒業式は、1,2年生も参加して行われるのではないかという淡い期待を持っていましたが、やはりコロナウイルスには勝てませんでした。

P3020548-min昨年と違い保護者の参加人数を制限しませんでしたので、ご家族で参加してくださったご家庭もありました。3年間の集大成である卒業式に臨む生徒たちの表情は、生徒の顔から女性の顔に変化していました。

 

 

 

今年卒業していった生徒たちは、本校に入学し聖カピタニオ女子高校の生活を当たり前のように楽しんで過ごしていました。

1年生の時年間計画の行事は、全て行うことができました。

ところが、1年生の2月から当たり前の学校生活ができなくなってきました。コロナウイルスの感染が拡大し、その時からの異常事態は今も続いています。

 

その様な学校生活を経験してきたからこそ読まれた答辞が、例年とは少し違う趣の内容になっていました。

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「・・・仲間と経験した高校生活での様々な行事。

私たちにとっての初めての音楽会は、この学校にとって最後の音楽会でした。

練習ではクラスで声を掛け合ことで自主性が生まれてきました。

本番、どのクラスもカリタスホームに響く歌声で、みんなで声を出して心を合わせて歌うことの楽しさを実感しました。

学年が上がり2年生。

もっと楽しい行事が私たちを待っているだろうと思った矢先、新型コロナウイルスの影響により、学校に登校するという日常ですら難しい状況に変わりました。

久しぶりに登校した時、グランドから聞こえるサッカー部の声、カリタスホームに響く歌声、お弁当の時間に仲間と話す皆の声、そこには何もありませんでした。

声の力が好きだった私にとって、それはあまりにも辛い事でした。

声が出せないこと、集まれないことへのもどかしさを多くの人たちが感じていたことと思います。

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・・・正直すべての行事を経験できていない私たちの学年は、何か欠けたまま卒業してしまうのではないかと不安です。

沖縄で体験する命の大切さ、体育祭のプロムナードによって生まれる学年の絆、私たちにはわからないことです。

だからこそ、この学校でもう少しみんなと一緒に居たい、そう思ってしまいます。

でも、離れても、一緒にいる時間が違っても、何週間もみんなに会えない状況が続いても、出会えた時には笑顔になれるよう声を掛け合い、コロナに負けずに頑張ってこられたわたしたちなら大丈夫。

そう信じています。

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・・・最後に、私はこの学校で気づいた声の力を胸に、仲間との思いで、行事が無くなり声を使う機会が減ってしまったことの悔しさ、すべてを持って夢に向かいます。

私たち卒業生は。それぞれの人生を今か今かと満開を待っている桜の花のように明るく、前を向いて歩んでいきます。・・・」

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卒業式後、答辞を読む代表の生徒に私の感想を話しました。

その時彼女から返ってきた言葉は、

「参考のために前年度の答辞を見させてもらいましたが、私たちが経験していない行事のことが書かれていたので、自分の感じたことを書きました。」

でした。

カピタニオでの生活を十分できなかったことで、もしその行事に参加していたら自分の心も成長していたはずではないかという不安。

P3020656-min不完全燃焼状態で卒業していった生徒たちが、これからの人生でできることを精一杯に取り組んで、今、今生きている喜びを体験していくことを願って、送り出しました。

 

 

 

 

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春の訪れ・・・

今年の冬は例年になく雪が降り、寒い日々を過ごしました。01_03r

その中で、春の温かな日々が訪れるように、3年生たちは新たな門出を迎える準備をしていきました。

 

 

220220225_022429743_iOS-min月25日は感謝ミサ。

コロナ禍の中で今年もカリタスホームで行いました。

司式は、春日井教会の北向神父様にお願いいたしました。

その中のお話を抜粋して紹介します。

 

 

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「・・・友達とはあなたの欠点を愛してくれる人(チャールズ・M・シュルツ)。

3年間でこのような友達をたくさん得たと思います。

思い出されるのは友達と共に歩んだ記憶が大半かもしれません。

授業や行事や部活動・プライベートで友情を育んできたことでしょう。

また同時に私たちは第3者の視点から見守ったり、アドバイスをしてくれる人もいたはずです。

この学び舎で進路だけではなく、一人の人間として3年間を過ごすかについて、先生方も腐心してきました。

振り返ってみれば、カピタニオ女子高等学校はそのようなことを大切にする場所であったことを、皆さんはお気づきになっていることでしょう。

 

・・・それはあなた方が社会の中で。

一粒の麦になるために必要なことだったから。卒業した後、種の栄養を使って種子が芽吹くように、大きく成長してほしいからです。

神様の愛はどんな時でも私たち一人ひとりに「あなたが大切だ」と言ってくれる愛です。

その愛を他の人にも自分にも向けてあげられるようになって、初めて私たちは一粒の麦になれるのです。・・・」

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20220225_014334017_iOS-min生徒達一人ひとりの表情を見ていると、神父様がお話してくださったように3年間で自分の種に必要な栄養を与えてきたことが分かります。

そこには入学時の幼さは見られず、これから先社会の中で自分らしく輝き、社会の一員として生きていく力を蓄えている女性の顔がありました。

 

 

 

 

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