み言葉の祭儀|聖カピタニオ女子高等学校|豊かな人間性を持つために

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愛に生きる

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第59回創立記念日を、5月13日に全校生徒と教職員でお祝いをすることができました。

 

DSC_5481これまでコロナ禍で歌声なしの「み言葉の祭儀」を行ってきましたが、今年は「鹿のように」と「校歌」を全校生徒で合唱することができ、カリタスホームに生徒たちの歌声が戻ってきたことの喜びを、生徒以上に教職員が感動していたように感じました。

 

恒例の「ラ・カリタ」はCDで流しましたが、その歌声に生徒たちは感動し、来年は自分たちで歌いたいという望みを持ったようです。

 

「み言葉の祭儀」の中で理事長先生は、聖カピタニオが書いた日記と手紙から教えられた彼女の生き方を次のようにお話をしてくださいました。

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「彼女の生き方を一つのキーワードで表すと、それはです。

イタリア語でカリタと言います

彼女は神様に愛されて、その愛が溢れでていたから、皆にその愛を注ぎました。

愛に生きる、愛の実践をすることが、彼女の夢でした。

彼女にとってを生きることは抽象的なことではなく、具体的な意味を持っていました。

言い換えれば、奉仕をする人に仕える生き方でした。

家で積極的にみんなに仕えます。みんなの望み通りに行動をし、どんなことを頼まれても喜んでします。家の中でみんなに優しい言葉をかけたり、優しい態度で接したり、不機嫌な顔を見せないように努めます。

聖カピタニオにとって愛の実践をする場は、まず自分の家庭であることに気づかされました。

聖バルトロメア・カピタニオの偉大さは、新しい修道会を創立したことではなくて、毎日置かれている環境の中で、実践的な愛に生きたことです。

疲れを見せず、自分の利益を考えないで無償の愛の心をもって、短い人生のうちにたくさんの愛の業を行いました。

しかし、カピタニオは自分の弱さを感じて神様に次のように願いました。

神様、貧しい人々、病気の人のために、苦労、時間、面倒なことがあってもかまいません。あなたから彼らに仕える方法を学びたいのです。神様、広い心、寛大な心をお与えください。あなたの愛の一滴を頂ければ、私は何でもできます。あなたから頂いた命、健康、才能、目、手、足を全て人に役立つように使います。

一粒の麦のように、26歳の若さで亡くなった聖カピタニオは、今も自分の生き方を通して私達の生活を照らします。・・・」

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理事長先生は私たちに、今一人ひとりが置かれているところでカピタニオのように愛に生きる生き方を教えてくださいました。

式典後、1年生は出身中学へお花の鉢を、2,3年生の代表の生徒たちは、日頃お世話になっている施設へお花の鉢をそれぞれ届け、日頃の感謝の言葉を伝えるために出かけて行きました。

この行為を通して、生徒たちは自分一人で生きているのではなく、多くの方々の目に見えない愛のおかげで生かされていることを実感した一日になったようです。

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殻を破るいのちのパワー

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今年も愛知県に緊急事態宣言が出された中、5月14日(金)第58回創立記念日を迎え、これまでの歩みを神様と人々に感謝することができました。

 

 

DSC_5251このコロナ禍の中で例年通りの式典、「ラ・カリタ」を全校で合唱することはできませんでしたし、「み言葉の祭儀」の歌も演奏に代わり、司祭と典礼だけで生徒たちは一切声を出さないという内容でした。

しかし、カリタスホームは一つになり、カピタニオの偉業に感謝を捧げた祈りの雰囲気が漂っていました。

 

 

理事長先生は、私たちに次のようにお話をしてくださいました。

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「まず地に落ちた種を想像してみましょう。

種は地に落ちて、その落ちたところから逃げないで、落ちたところに留まります。

これはとても大事なことです。

人間は困難、苦しみに出会う時に、逃げたくなるでしょう。

嫌なこと、失敗を受け入れないで逃げるのは簡単ですけれども、それは前向きな姿勢ではないと思います。

バルトロメア・カピタニオの生涯を読むと、彼女も理想的な環境の中で生まれ育ったわけではありません。

酒乱の父親、我儘な妹がいたけれども、バルトロメアは自分のことを可哀想と思わないで、この状況に置かれた自分は何が出きるのか?

そして、周りの人の必要性を見ながら積極的に自分のすべきことを考えました。

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よく考えてみると、誰も自分の家族、生まれ場所を選ぶことはできません。

ちょうど、種のたとえのように、種も自分の落ちるところを選べません。

誰かが土の中に種を蒔いてくれるから、そこで実を結ぶことができます。

私たちは時々、違う家庭、違う学校、違うクラスだったら、私はもっと頑張れる、努力できると考えてしまいます。

しかし、このみ言葉は私たちに大事なことを教えてくれています。

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種の中に生命力があります。

冷たい土の中に落ちた時から闘いが始まります。

地に落ちて死ぬということは、自分の殻を破ることです。

そこから新しい芽が出ます。

土の暗闇の中でいろいろな養分が一緒に働いて、種は少しずつ違う形に変えられていきます。

 

私たちの中にも、このような力が十分あります。

今日、バルトロメア・カピタニオは福音の言葉を通して私たちに語り掛けています。

 

日常生活の中に、この種のように死ぬ機会がたくさんあります。

例えば、失敗、苦しみ、嫌なこと、悩み、自分と気の合わない人など、その時逃げないで、種のように忍耐を持って、希望を持って信じなさい

 

自分の中に生きる力があります。

そして、自分が置かれた場所で今ここで自分が自分になる場所であることを信じていけば、どんなに生きる喜びに満たされるでしょう。」

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私たち一人ひとりは、みんな違います。

違うからこそ、自分が自分になる勤めが私たちに与えられています。

今日の記念日を通して、バルトロメア・カピタニオの生き方から、自分と向き合い、自分を育てていく方法を学びました。

私たちの中には「いのち」があります。

このいのちは、成長するエネルギーを持っています。

だから、殻を破って伸びていくのですね。

この学び舎で共に過ごす仲間たちと、一人ひとりの個性を認め合い、育て合える学校生活を送りたいものです。

 

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高嶺山の実り

  この高嶺山に本校が創立されて、今年で56回目の創立記念日を迎えました。

5月14日(火)は曇り空で涼しい気候で有難かったのですが、式典が終わるころは土砂降りになり、参列してくださった方々や帰宅する生徒たちには申し訳ない気持ちになりました(私の日頃の行いが悪かったからでしょうか?笑)。

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DSC_2041 今年は10連休があり授業数も少ない中、4月に入学した1年生はイタリア語の「ラ・カリタ」をしっかり歌ってくれました。

4部合唱の歌声は、日本から祈りとなって世界中のカピタニオの施設に届くような迫力がありました。

歌っていた生徒たちも世界のカピタニオファミリーの一員として、聖バルトロメア・カピタニオの偉業に感謝を捧げていました。

 

 み言葉の祭儀の中で、理事長先生は聖女の生き方を次のように話してくださいました。

DSC_0252「聖バルトロメア・カピタニオはたくさんの友人を持っていて、その友人に励ましの手紙をよく書いていました。

その中でマリアンナに宛てた1827年1月12日の日付の手紙にこのように書かれていました。

『私は明日20歳になります。これまで神からいただいた恵みを私と共に感謝してください。そして私が神の愛から離れないように祈ってください。』

と言う短い文章から聖カピタニオの感謝する心が見られます。

また日記には次のように書かれています。

IMG_3473『私に対する神の愛が分かりました。永遠から私は限りない愛で愛されている。この素晴らしい体を造ってくださいました。私自身なんの値もないのに・・・・。』」

と理事長先生は聖カピタニオがすべてのことに感謝している様子を話してくださいました。

そして聖カピタニオにとって生きることは当たり前のことではなく、与えられた命、健康、才能、家族、教育などは、すべて神が与えてくださったものだから感謝しないではおられなかったのです、と当たり前のことが、実は当たり前ではないことを教えてくださいました。

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 自分の命に誠実に生きた聖バルトロメア・カピタニオの生き方は、まさに「一粒の麦」の生き方そのものでした。

神様は全ての人たちに、「あなたは私の愛する子」と呼びかけておられます。

そのみ言葉に応えるために聖女が行った行為は、自分の心の中の悪いものを取り除くことでした。

DSC_0229そのお陰で聖女の心は神の愛で満たされ、人々へと神の愛の奉仕を行うようになっていき、それが日本の地にも実りをもたらしてくれました。

私たち一人ひとりにも神様は、聖女と同じように語りかけてくださっています。

聖女の生き方から、その事実を教えてもらった創立記念日でした。

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一粒の麦が地に落ちて

P5120031    今年の本校の創立記念日は、5月13日(金)に行ないました。第一部、瀬戸教会主任司祭インマヌエル・ビン神父様によるみ言葉の祭儀が執り行われました。

 第二部は、3月にイタリア研修旅行に参加した生徒たちからの報告が行われました。

 

 この日は、保護者の方々、卒業生、旧職員の先生が参加して祝ってくださり、生徒たちにとっても励みになったと思います。毎年合唱する「La Carità」の歌声は、聴く人たちに感動を与え、心を清めてくれます。

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 み言葉の祭儀の中で、理事長Sr.フランチェスカは次のようにお話をしてくださいました。

P5120035 「カトリック教会は今年“いつくしみの大聖年”をお祝いしています。聖バルトロメア・カピタニオの生活の基礎になっていたのは、この“いつくしみ”です。

 彼女は神の愛を体験し、人々にその愛を注ぎました。そして、修道会の会員に“いつくしみの業”を行うように伝えました。

 “いつくしみ”という言葉を言いかえれば、隣人愛、思いやり、奉仕、親切、憐れみ、ゆるし等です。いつくしみの実践の場は、家庭から始まります。

 聖バルトロメア・カピタニオの父親は、酒乱で暴れ家族を困らせていましたし、妹も気が強く我儘な性格でした。

 そのような家族に対して、彼女は父の弱さを理解し父親の傍に寄り添ったりして、置かれている家庭の中で毎日実践的な愛の業を行いました。

 また、病気の人を看病したり、刑務所に収容されている人たちに慰めの言葉をかけに行ったりしていました。

P5120025 このような愛の実践を行うために彼女はいつも神に、「あなたからいただいた命、健康、才能、目、手、足全て、人に役立つように努めます。」と神のいつくしみで人々に接することができるようにと祈っていました。

 私たちも実践的な愛を生きるように呼ばれています。」

 

 

 創立記念のお祝いが終わった後、ある教員が保護者の方から、次のようなことを聞いたと報告してくださいました。

「娘はこの学校に入学させてもらい、1ケ月しかたっていませんが、本当に変わってきました。挨拶を言えるようになってきたのです。

 “お弁当がおいしかった!ありがとう。”とか、朝“おはよう!”と挨拶をしてくれるようになったのです。」この生徒も、聖バルトロメア・カピタニオの生き方を家庭で実践していると思うと、まさしく一粒の麦がまかれて実を結んでいますね!

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 当日、聖カピタニオに捧げられたお花は、私たちの生活を支えてくださっている市役所・警察署・消防署・最寄駅等や中学校に感謝の気持ちと一緒に届けさせていただきました。

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碧い海と空の沖縄から学んだ平和?

?? 沖縄に未練を残しながら帰りの飛行機に乗り込んだ生徒たちは、この4日間の修学旅行の想い出を文字に書き表していました。

 楽しかった沖縄の心のスナップ写真を、中部空港に着くまでの間整理しているように感じました。その想い出を抜粋して紹介致します。

 

 

P1010526 平和教育に力を注ぐカピタニオの教育は、素晴らしいと思った。カピタニオの修学旅行だからこそ、これほど深い学びができたのではないかと思いました。

 沖縄は3度目でしたが、来るたびに知らないことがたくさんあって、きれいな景色があって、やっぱりいいもんだなと思いました。

P1010662 平和祈念公園に広がる礎の数には毎回ビックリするし、そこに刻まれた名前を一つひとつ見ていくたびに胸が苦しくなりました。

 これだけたくさんの人が苦しい思いをしながら亡くなったのかと思うだけで、今、私が何不自由なく生活できることに申し訳なさを感じるのと同時に、70年前の歴史があったからこそ、今があるんだと気づかされました。

 また、「ひめゆりの塔」は10年前に一度訪れたことがありますが、当時のことは何も覚えていませんが、ただひたすらに泣いていたことは覚えています。だから今回こちらを見学して、10年後の私が感じることの変化に気づくことができました。

 私たちと同世代の生徒が戦争に動員され、たくさんの死を目の前でみてきました。自分のすぐそばで友達が亡くなっていく悲しみは、私にはまったく想像できません。キラキラした夢を持っていたのに、それが一瞬で潰されてムカつきました。

 戦争が何より大嫌いです。私は絶対にやりたくないし、世界中から争いが無くなってほしいと思います。

 それを実現するためには、やはり私たち一人ひとりがより一層戦争について考え、学び、自分の中で戦争することへの意見や平和への想いを、言葉として確立し、それを外に向かって発信していく。日本中の人が「戦争は嫌だ」と声をあげれば、少なくとも日本で戦争が起こる可能性はなくなっていくと思います。

 「戦争をしたくない」と思うだけでなく、行動することが大切だと思いました。

 

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P1010526 4日目の「み言葉の祭儀」で神父様の読まれたマタイ福音書の真福八端は、とても心に響きました。

  P1010566必ずしも貧しい人が不幸というわけではない。裕福な生活を送っている人が幸せを得るわけではない。心の優しい者が、幸せを得るんだと思いました。

 この4日間を通して、修学旅行に関わってくださったすべての人に感謝の気持ちです。沖縄の文化に触れ、目で見て肌で体感することで、沖縄の素晴らしさ、戦場になったからこそ伝えられること。

 様々なことを教わることができました。本当に平和について学ぶことができて良かったです。そして、戦争のない平和な日本であり続けてほしいと強く思います。

 

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P1010526 沖縄に実際に行ってみると、時間の流れがゆっくり流れているように感じ、やっぱり同じ日本でも違うんだなと思いました。

P1010525 戦争の事について一番衝撃を受けたのは、私たちが今歩いているこの場所でたくさんの方々が亡くなったこと、そして、今もまだ地面の下には発見されていない骨があるという事を教えてもらった時でした。

 その時は、何も罪のない方々が、日本のために頑張って戦ってくださったのに亡くなってしまった、そんな場所を平和に暮らせている私たちが歩いていて申し訳ない気持ちもありました。

 また、そういう方々のお陰で、今私たちが平和に暮らせていることに感謝したいと思うと共に、戦争のない日本に生まれてくることができたので、生きたかったと思う方々の分まで、一生懸命に生きようと思いました。

 私はこの修学旅行で戦争に関するものを自分の目で見ることができたので、沖縄に行く前と戦争に対する意識が変わりました。

 

 

 いかがでしたか?生徒たちの感想は・・・。私自身キーを押しながら、目がウルウルしてきました。他にも分かち合いたい感想がありますから、次回掲載いたします。

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