一粒の麦|聖カピタニオ女子高等学校|豊かな人間性を持つために

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春の訪れ・・・

今年の冬は例年になく雪が降り、寒い日々を過ごしました。01_03r

その中で、春の温かな日々が訪れるように、3年生たちは新たな門出を迎える準備をしていきました。

 

 

220220225_022429743_iOS-min月25日は感謝ミサ。

コロナ禍の中で今年もカリタスホームで行いました。

司式は、春日井教会の北向神父様にお願いいたしました。

その中のお話を抜粋して紹介します。

 

 

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「・・・友達とはあなたの欠点を愛してくれる人(チャールズ・M・シュルツ)。

3年間でこのような友達をたくさん得たと思います。

思い出されるのは友達と共に歩んだ記憶が大半かもしれません。

授業や行事や部活動・プライベートで友情を育んできたことでしょう。

また同時に私たちは第3者の視点から見守ったり、アドバイスをしてくれる人もいたはずです。

この学び舎で進路だけではなく、一人の人間として3年間を過ごすかについて、先生方も腐心してきました。

振り返ってみれば、カピタニオ女子高等学校はそのようなことを大切にする場所であったことを、皆さんはお気づきになっていることでしょう。

 

・・・それはあなた方が社会の中で。

一粒の麦になるために必要なことだったから。卒業した後、種の栄養を使って種子が芽吹くように、大きく成長してほしいからです。

神様の愛はどんな時でも私たち一人ひとりに「あなたが大切だ」と言ってくれる愛です。

その愛を他の人にも自分にも向けてあげられるようになって、初めて私たちは一粒の麦になれるのです。・・・」

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20220225_014334017_iOS-min生徒達一人ひとりの表情を見ていると、神父様がお話してくださったように3年間で自分の種に必要な栄養を与えてきたことが分かります。

そこには入学時の幼さは見られず、これから先社会の中で自分らしく輝き、社会の一員として生きていく力を蓄えている女性の顔がありました。

 

 

 

 

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愛の軌跡

風薫る5月。さわやかな風が吹いていた5月14日(水)、第51回創立記念日をお祝いいたしました。

1806年、北イタリアのベルガモ県ローベレで誕生した聖バルトロメア・カピタニオ。聖女の生誕地を3月下旬、生徒たちと訪れました。ミラノからバスで約1時間半のところにあるローベレの街。山あいをぬって走っていくと突然視界が広がり、目の前に美しいイゼオ湖が見えてきます。私自身ここを最初に訪れたのは、1983年でした。それからたびたび訪れていますが、町並みはほとんどそのままです。聖女たちが生きていた頃から、そんなに変化はしていないように感じます。もちろん家は増築されていますが・・・・。

聖女たちの記念聖堂を出て、聖女たちの生家を訪問し、その後毎日祈りに通っていた教会、カピタニオが6年間勉強していた聖クララ修道院、当時の病院や刑務所跡を巡りながら、この石畳をカピタニオは何を考え歩いていたのかと、カピタニオの事を考えていました。生徒たちも同じことを、考えながら歩いていたようです。生徒たちにとって、カピタニオは自分たちと関係のない遠い存在でした。ところが、こうしてローベレの街を歩きながら、彼女が自分たちと同じように、自分中心で生きようとしている弱さと闘ったことや、葛藤しながら生きていたことがわかり、とても身近に感じ始めていました。そして、自分から逃げないで自分と向き合いながら生きていった姿勢から、生徒たちはこれからの生き方を学んだようです。

幼い時から神様から愛されていることを強く感じていたカピタニオ。その愛に応えるために、カピタニオは病気の人、刑務所にいる人、危険な道に行きそうな少女たち、孤独な人たちのために、自分にできることを誠実に愛の心を持って行いました。それは「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ福音書25章40節)の、み言葉を生きた方でした。その生き方をカピタニオに望まれたのは、神様です。その証拠に、1832年に創立された「幼きマリア修道会」は今も全世界20か国の地で、約4,300人のシスターたちが愛の奉仕をしています。そして、その生きた精神は、本校で学んでいる生徒たちにも受け継がれ、愛の実践が社会の至る所で行われています。

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネ福音書12章24節)。私たちも自分のわがままな声に従って生きるのではなく、神様の声である良心の声に従っていけば、愛の実を神様が結ばせてくださるでしょう。そのことを考えた、今年の創立記念日でした。

 

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心に愛を注いだ修養会

2013年度修養会は、台風3号の接近が心配されましたが、学年主任の高山先生の3つのてるてる坊主のおかげで、6月12日?14日の3日間お天気に恵まれ、無事終わることができました。生徒たちと教員が心を一つにして、共に作り上げた修養会になりました。

その様子を、的確な言葉でみんなの前で話した実行委員長、副委員長の挨拶文を引用することでお伝えします。

 

 

【開会式での副実行委員長の挨拶】抜粋

修養会の目的は「カピタニオ生になる」ことです。良いお話を聞き、心の中に眠っている良いものに気づく。「私のこころ」と向かい、自分について考える機会を持ち、「今の私」に気づく。お互いに尊敬と思いやりを持って接することの大切さに気づく。私たちは大抵、携帯やテレビなど物が当たり前にあり、自由に過ごせるという日常の生活を過ごしています。携帯やテレビなど生活には絶対必要だと思い込んでいるものから離れ、非日常の中に目を置き、本当に必要なものと出会うのが修養会です。修養会は今の自分と向き合える絶好のチャンスです。この機会を無駄にすることなく将来にもつなげられるように一人ひとり頑張っていきましょう。・・・一人ひとりの意識を大切にし、良い修養会になるように頑張りましょう。そして、ここにいる全員が少しでも一粒の麦のような生き方ができるように、みんなでお祈りしましょう。・・・・

 

【閉会式での実行委員長の挨拶】抜粋

皆さんは、この修養会でどんなことを学び感じることができましたか。私は学んだことの中から二つのことを話します。一つ目は、自分の意見を持ち仲間と協力することの大切さです。これは、初日のグループワークから学びました。意見をまとめてくれる子や、みんなを笑わせてくれる子がいてくれたから、とても良い雰囲気で取り組むことができました。二つ目は、互いに思いやりを持つことの大切さです。これは、止揚学園の福井先生と西神父様のお話から学びました。私も目に見えていることだけでなく、目に見えないことも見ることができるようにして、思いやりの心が持てる人間になっていきたいと思います。・・・・皆さんも修養会で学んだ様々なことを活かし、愛と思いやりの心を持てるカピタニオ生になりましょう。・・・・

 

 

規律があり、生徒たちの笑顔、笑い声があり、私自身もゆったりとした修養会を過ごすことができました。携帯、テレビなしの非日常の生活から、生徒たちは人と関わることの楽しさを体験した事でしょう。修養会に出かける1年生を見送っていた2年生の生徒と交わした言葉、「修養会に行きたい。」「どうして?」「だって、いいお話が聞けるもん」。生徒の心に「良い話」の基準ができていることに喜びを感じ、生徒たちの長い人生の心の基盤をつくる一つの要因に修養会がなっていることを確信した瞬間でした。

 

 

 

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時間を超えて生き続けるもの

 

5月14日、本校は創立50周年を迎えることができました。50周年のありのままの姿を見ていただきたく、施設が不十分なことを承知で式典並びに感謝ミサは、本校のカリタスホームで行うことにしました。この日を迎えることができましたのも、教職員と生徒たちのおかげです。そして、私たちの目に見えないところで私たちを支えてくださっている多くの方々のおかげです。この多くの方々のおかげで、私たちは50年間学校の日々の営みを続けることができたのです。この世に存在している生徒たち一人ひとりは、神様から使命をもらっています。生徒に寄り添いながら、生徒たちが自分の使命を見つけ社会に貢献できる女性になっていく事を手助けできる喜び—-。その喜びを感じられた瞬間でした。

 

1803年北イタリアのローベレで生を受けたバルトロメア・カピタニオは、自分が生まれてきたことの使命に忠実に生きていきました。その結果、全世界20か国で聖女の遺志が奉仕の形で脈々と受け継がれています。その種がイタリアを遠く離れた日本でも実を結んでいるとは、聖女自身考えもしなかったことでしょう。神様のなさることは、人間の考えをはるかに超えていますね(笑)。

 

創立記念日当日は、生徒たちのおもてなしの心が校内に溢れていました。式典のステージは、50本のユリで本校の歴史を表し、緞帳が上がるとそこには校舎が建設される前の青々とした高嶺山をイメージできるように緑を多く配しました。クラスの宗教委員の手によって捧げられた色とりどりの花は、生徒たちを表しています。校舎にいのちを与えるのは、生徒たち一人ひとりです。さまざまな花で飾られたステージに更にいのちを与えてくれたのは、生徒たちの歌声でした。歌声が一つになり会場の人たちを温かく包み込んでくれ、一人ひとりの心に神の愛が注がれたように感じました。まさにカリタスホームに大輪の愛の花が咲き誇り、カリタスホームの屋根や壁を吹き飛ばしそうな迫力を感じました(笑)。

 

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「一粒の麦」の生き方の模範を見せてくださった聖バルトロメア・カピタニオに倣い、私たちは聖女の遺志を継ぎながら学校に新たなページを作り続けていきます。時代は変化していきますが、その中でカピタニオ生たちは変わらない愛の奉仕を社会で生き続けていくことでしょう。

 

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「愛の詩」をそよ風にのせて

5月14日(月)、本校創立49回目を迎えました。午前9時30分、マドレーの鐘の鳴り響く中、みことばの祭儀が始まりました。全校生徒による聖歌「主イエスの愛は?メドレー?」の合唱に合わせ、宗教委員、生徒会執行部、校長先生、理事長先生から聖カピタニオにお花が捧げられました。

司式は、瀬戸教会主任司祭 北向修一神父様です。神父様が朗読なさった福音箇所は、聖カピタニオの生涯を表すヨハネによる福音12章24節?26節「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する人は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」(新共同訳)が朗読されました。

その後、理事長Sr.フランチェスカが聖カピタニオの生き方について、次のようにお話をしてくださいました。

『今日は、世界中のカピタニオファミリー何十万人もの人々が、一斉に聖バルトロメア・カピタニオを讃えてお祝いしています。聖カピタニオの故郷ローベレでは、一日中多くの人々が教会を訪れ、聖カピタニオの偉業を讃え、お祈りをささげています。私たちは聖人の生き方から与えられるメッセージを考えたいと思います。キーワードは「愛」(Carita)です。カピタニオは神様に愛されて、その愛に溢れて、人々にその愛を注いでいました。それは“愛の実践”という具体的な生き方で表されました。彼女は17歳で聖クララ修道院での勉強を終え、家に戻った時に「家の中で積極的にみんなに仕えます。自分に仕えられることを避けるようにします。みんなの望み通り行動し、どんなことをたのまれても喜んでします。家の中で家族にやさしく言葉をかけたり、優しい態度で接したり、不機嫌な顔を見せないで、強い言葉を使わないように努力します」。彼女にとって愛の実践の場は、まず自分の家庭であることに気づきました。

聖カピタニオの偉大さは、毎日置かれている環境の中で、子どもたちを教育し、病人を看病し、牢獄の人を慰め、貧しい家を訪問し悩みを聞いてあげる実践的な愛に生きてきたことです。一粒の麦のように、彼女は26歳の若さで亡くなりましたが、今も自分の生き方を通して私たちの生活を照らしてくれます。そうして、私たちもその光をいただいて、日常生活において、カピタニオのように実践的な愛に生きるように呼ばれています。』という内容のお話しでした。

各学年の代表者による共同祈願が行われ、世界の平和と私たちが自分の置かれたところで愛の実践ができるようにと祈りました。

み言葉の祭儀の閉祭の歌は、「La Carita」の全校生徒による大合唱で終わりました。4月に入学したばかりの1年生は、数時間で合唱ができるまでに曲と歌詞を覚えてくれました。毎年、1年生には感心させられます。本校に入学できたことに自信と誇りが持てたように感じられました。終了後、出身中学校にお花を届け恩師に感謝の言葉を述べるために出かけていきました。

みことばの祭儀の後に、今年3月23日~4月1日に行われたイタリア研修旅行の報告会が行われ、生徒たちは自らの言葉で聖カピタニオや聖ヴィンチェンツァの故郷の紹介をしてくれました。イタリアのローベレというカピタニオ誕生の地を実際に訪れて、カピタニオの生き方や彼女が発しているメッセージ、足跡などをその心に鮮烈に刻んだ生徒たちの言葉には、この研修体験の貴重さ、感動の大きさがあふれていました。

次回は、中学校訪問をした1年生の生徒たちの感想を紹介いたします。

 

 

 

 

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