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声の力
前日の雨も上がり、3月2日第57回卒業証書授与式が無事執り行われました。
今年の卒業式は、1,2年生も参加して行われるのではないかという淡い期待を持っていましたが、やはりコロナウイルスには勝てませんでした。
昨年と違い保護者の参加人数を制限しませんでしたので、ご家族で参加してくださったご家庭もありました。3年間の集大成である卒業式に臨む生徒たちの表情は、生徒の顔から女性の顔に変化していました。
今年卒業していった生徒たちは、本校に入学し聖カピタニオ女子高校の生活を当たり前のように楽しんで過ごしていました。
1年生の時年間計画の行事は、全て行うことができました。
ところが、1年生の2月から当たり前の学校生活ができなくなってきました。コロナウイルスの感染が拡大し、その時からの異常事態は今も続いています。
その様な学校生活を経験してきたからこそ読まれた答辞が、例年とは少し違う趣の内容になっていました。
「・・・仲間と経験した高校生活での様々な行事。
私たちにとっての初めての音楽会は、この学校にとって最後の音楽会でした。
練習ではクラスで声を掛け合ことで自主性が生まれてきました。
本番、どのクラスもカリタスホームに響く歌声で、みんなで声を出して心を合わせて歌うことの楽しさを実感しました。
学年が上がり2年生。
もっと楽しい行事が私たちを待っているだろうと思った矢先、新型コロナウイルスの影響により、学校に登校するという日常ですら難しい状況に変わりました。
久しぶりに登校した時、グランドから聞こえるサッカー部の声、カリタスホームに響く歌声、お弁当の時間に仲間と話す皆の声、そこには何もありませんでした。
声の力が好きだった私にとって、それはあまりにも辛い事でした。
声が出せないこと、集まれないことへのもどかしさを多くの人たちが感じていたことと思います。
・・・正直すべての行事を経験できていない私たちの学年は、何か欠けたまま卒業してしまうのではないかと不安です。
沖縄で体験する命の大切さ、体育祭のプロムナードによって生まれる学年の絆、私たちにはわからないことです。
だからこそ、この学校でもう少しみんなと一緒に居たい、そう思ってしまいます。
でも、離れても、一緒にいる時間が違っても、何週間もみんなに会えない状況が続いても、出会えた時には笑顔になれるよう声を掛け合い、コロナに負けずに頑張ってこられたわたしたちなら大丈夫。
そう信じています。
・・・最後に、私はこの学校で気づいた声の力を胸に、仲間との思いで、行事が無くなり声を使う機会が減ってしまったことの悔しさ、すべてを持って夢に向かいます。
私たち卒業生は。それぞれの人生を今か今かと満開を待っている桜の花のように明るく、前を向いて歩んでいきます。・・・」
卒業式後、答辞を読む代表の生徒に私の感想を話しました。
その時彼女から返ってきた言葉は、
「参考のために前年度の答辞を見させてもらいましたが、私たちが経験していない行事のことが書かれていたので、自分の感じたことを書きました。」
でした。
カピタニオでの生活を十分できなかったことで、もしその行事に参加していたら自分の心も成長していたはずではないかという不安。
不完全燃焼状態で卒業していった生徒たちが、これからの人生でできることを精一杯に取り組んで、今、今生きている喜びを体験していくことを願って、送り出しました。
感謝ミサ・卒業式
新型コロナウイルスの影響で、年度末の行事はすべて変更という事態になりました。
2月28日(金)全校生徒で行った卒業式の合同練習が、在校生と卒業生のお別れの会になりました。
その後、卒業生のみの卒業感謝ミサが、フィリップ神父様の司式で執り行われました。
「もし一粒の麦が死ななければ、それは一粒のままである。しかし、死ねば、豊かな実を結ぶ。」(ヨハネ福音書12章24節)
のみ言葉から卒業生に門出のお言葉をいただきました。
「麦で作られたものにパンがある。パンは麦の味はしないが、パンの味がある。
皆さんも各中学校からこの学校に入学して、3年間仲間と一緒に生活して、自分が造られてきたはずです。
ブドウからワインが作られます。その時に、少しお酒を入れるので、ワインになりますが、お酒を入れないと酢になります。
それと同様、勉強もそこに愛を入れると、喜び、希望に変わります。人生、教育はワイン作りに似ています。」
とこれからの人生を歩む卒業生たちに、「愛の心」をもって生きる大切さを話してくださいました。
2月29日(土)、第55回卒業式が執り行われました。卒業生と保護者、教職員がカリタスに集まり、例年と違う式次第で約1時間で式が無事終了しました。
この間、本当に温かいもので会場が包まれ、良い卒業式になりました。
これまで、当たり前にしていたことが、今回このような想定外のことが起こると、当たり前に感謝ミサをし、卒業式を迎えてきたことが、当たり前でないことに気づかされます。
そして、自分たちの計画通りに執り行うことが、幸せだと思い違いをしていたことにも気づかされました。
本当に大切なことは、「今を生きること」だけであることを実感させられました。
卒業していった生徒たちは、入学した時の修養会の会場変更を余儀なくされたことからスタートした学年でした。
そして、卒業式を含め他学年が経験したこともない行事を行うことによって得た気づきは、各自の歩むこれからの人生に大きな意味をもたらす生き方をしてくれることを祈っています。
爽やかな笑顔、笑顔!
2月の下旬から卒業式に向けて、3年生たちは心の準備をしていきます。
その一環として行われるのが、布池カトリック教会で行われた卒業感謝ミサです。
3年生と参加希望の保護者と共に、3年間の学校生活で目に見えるもの、見えないもの、それぞれが頂いた数多くのものを心に留めながら神様に感謝を捧げました。
感謝ミサを司式してくださったフィリップ神父様のお話を抜粋いたします。
「教育は自分を幸せに、人を幸せに、世界を幸せにします。教育で得た知識は、人のために使うようにと自分の心の奥から聞こえる声が教えてくれます。
その声に従って、人を愛してください。愛するとは、与えること、、赦すこと、繋がりを持つことです。
恐れがあってもそれを乗り越えて、人を信じてください。隣の人と繋がり、そこに喜びを感じます。
人と関わることで、喜びを感じるために、教育でその事について学ぶのです。
『一粒の麦』の生き方をこの学校で学んだ皆さんは、麦の穂のように一人で生きているのではなく、人と繋がって生きています。
他者と繋がっている自分の存在を認め、また相手も受け入れ、お互いに存在しているだけで幸せを感じられるのは、教育の力です。」
神父様から3年間学んできた生き方のまとめのお話を聞き、3月2日の卒業式を迎えました。
当日は肌寒く感じられましたが、晴天で澄んだ青空が卒業する生徒たちの心を表しているかのようでした。
担任の先生から一人ひとりの名前が呼ばれ、「ハイ」と答えて卒業証書を校長先生から受け取っている生徒の様子を見ながら、18年間こうして多くの人たちから自分の名前を呼んでもらい、自分から出て歩んできた道。
この道は、「自分になる道」。
思春期の多感な時期、本校での生活を通して「自分というかけがえのない存在」に気づくと同時に、自分は他者との繋がりで支えられてきたことにも気づかされ、感謝の気持ちが一人ひとりの心から湧き上がってきたような卒業式でした。
式後、それぞれの先生の所に行き、自分がどれだけ迷惑をかけたか、どれだけ忍耐を持って関わってもらっていたのかを自分の言葉で先生方に感謝の言葉を述べている光景を見ていると、彼女たちの高校生活は、充実した日々であったことを物語っているようでした。
だから、爽やかな笑顔だったのですね。この爽やかな笑顔を見させてもらえる教育現場に身を置ける私も、彼女たちに感謝です!
立ち止まる勇気
3月3日、本校第50回の卒業証書授与式が執り行われました。天気予報は曇りマークでしたが、おかげさまでお天気にも恵まれました。卒業生はとてもさわやかな表情で、学び舎を巣立っていきました。
3年生は2月の最後の週から登校し、卒業に向けて毎日準備をしてきました。高校生活を締めくくる時間を過ごす中、ある生徒は1年生の時トイレ掃除をさぼっていたことを、掃除担当者の所に来て謝ったそうです。また、ある生徒たちは、2年生のある教科の授業を真面目に受けず態度が悪かった自分たちを認めて、教科担当者の所に行ってお詫びをしたそうです。自分のとった行動を個人的に反省して黙っていることもできたのに、生徒たちは感じたことを行動に表わし、わざわざ相手を探して自分の思いを伝えたことに感動しました。他にも生徒たちは卒業するにあたって、次のステップを歩むために後悔をしないように3年間の学校生活を振り返り、迷惑をかけたことやお世話になったことを手紙や言葉でしっかりと相手に伝えて卒業していったのではないかと思います。自分の間違いを認め謝ることは、自分を客観的に認め謙虚さがなければできないと思います。生徒たちはこれからの人生を歩むうえで大切なことを学んでいったような気がします。これこそ3年間の教育の実りだと思いました。
私たちは時間の流れの中で生きています。昔は通過儀礼が行なわれ、人生の節目で過去の自分の姿、そしてこれから歩む自分のあるべき姿を確認することができました。しかし現代は忙し過ぎるのか、立ち止まる時間も見いだせず、まるでベルトコンベアーに乗って生きている感じがします。人生の節目に立ち止まって自分の生き方を見ながら、次のステップに生きようとする自分を意識することは、自分を1歩1歩確実に成長させていけると思います。本校で「自分を大切にする」ことを学び、この3年間の自分の歩み方を振り返る勇気を彼女たち自身が身につけてくれたことを嬉しく思いました。彼女たちはこれからも人生の節目で立ち止まりながら、きっと自分の道を確実に歩んでいくことでしょう。そして、自分の花をしっかりと咲かせてくれることでしょう。
旅立ちの日
3月2日(土)第48回卒業授与式が行われ、卒業生は3年間の学び舎を巣立っていきました。卒業式を迎えるにあたって、2月27日(水)布池カトリック教会にて、保護者の方々とご一緒に3年間の高校生活への感謝の祈りを捧げました。ミサの司式をしてくださった刈谷教会主任司祭フィリップ神父様から卒業生に向けてお話をしてくださいました。その内容をまとめてみました。
「私はTV番組の『渡る世間は鬼ばかり』が大好きで、よく見ています。鬼に出会った時の対処の仕方に3通りあります。1つ目は、自分が悪いと言って自分を責める。2つ目は、鬼に立ち向かって戦う。3つ目は、鬼を思いやる方法で関わる。鬼の対処の仕方は、この学校の3年間の教育で学んだと思います。自分を信じること、相手を許すこと、自分を与えること、この3つを忘れないで愛の心を持って生きて行ってください。」
お話の後、1年生の時の修養会で神父様から一人ひとり神様の祝福をいただいたように、この感謝ミサでも巣立っていく一人ひとりに神様の祝福をいただきました。
卒業式当日の3月2日(土)は、卒業生の旅立ちを祝福するかのように、前日からの雨も上がり青空になりました(寒風は吹き荒れましたが)。
キャンドルサービスの前に朗読される「光の言葉」の中に、宗教の授業で聞いた「自分を好きになりなさい。そして自分を大切にしなさい。」の言葉が印象に残っているという内容がありました。答辞では「I love you because ?you are you 」を用いながら、ありのままの自分を好きになろうとしてきた内容が話され、女性として成長してきた3年間の高校生活が見事に表現されていたことに心を打たれました。
卒業式が終わった後、卒業生たちは先生たちと記念写真を撮り、それぞれ感謝の言葉を述べていました。その中である卒業生は私に、「この学校に来て、自分がやりたいと思って手を上げたことに対して、誰からも○○死ねと言う言葉を聞くことがありませんでした。だから、自分がやりたいことをすることができ自信がつきました。この学校に来て心の傷がいやされました。」と言ってくださいました。また、ある人は「私は志望していた公立高校を失敗し、母親を追い抜けない自分にがっかりして何をやるにも無気力でした。ところがこの学校で、自分は自分、人と違っていいんだという事を聞くにつれて、私は母親のようにならなくてもいいんだ。私は私なんだ!と思えるようになってから、心が軽くなってきました。この学校に入学できて本当に良かったと思います。この学校のおかげです。」と感謝の言葉をいただきました。
自分の事ばかり考えて不平、不満を言っていた事が多々あった入学当初の姿から、素直に自分の成長を認め、そのことに対して感謝の言葉を心をこめて述べることができる女性へと成長した姿を見ることができました。私たちにとって3年間の苦労が報われ、幸せな気分に浸ることができたひとときでした。卒業生が自分を信じ、自分に与えられている道を歩んでいけますように。卒業生の幸せをお祈りしております。