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神の祝福が皆様に!
1年の締めくくりの紅白歌合戦とまではいきませんが、12月19日本校の音楽会が行われました。今年の歌声を聴いていると、歌詞に共通の言葉は、「道」と「希望」のように感じました。各クラスの前向きな生き方が、歌詞に表わされていたように思いました。お互いの声を聴き合いながら、自分の声を調節して一つのハーモニーを創り出していく合唱は、一人ひとりの心を一つにしてくれますね。
行事が盛りだくさんある2学期の締めくくりは、クリスマスミサです。今年も刈谷カトリック教会主任司祭フィリップ神父様に、ミサの司式をしていただきました。ステージは、モミの木とオーナメントを使用したオブジェでシンプルにそして上品に飾り付けました(笑)。ステージの準備は、教員が協力しながら飾りつけをします。まさに生徒たちへのプレゼントですね。
フィリップ神父様からユーモアたっぷりのお話の中で、今年は次のようなクリスマスメッセージをいただきました。
「・・・・人を愛した経験や、平和になった経験がある人は、人を愛することができるし平和を作ることができる。そして、今自分が選んで歩いている道は、好きだから今の生き方をしているのであって、どうしようもなかったから、これしかなかったからと生きているのではない。愛することは『信じること』『与えること』『許すこと』である。私たちに叶えられない夢はない。人間には何もできないことはない。それをイエスが私たちに教えてくださった。強い人とは、どんなことにも耐えられる人、自分に自信を持っている人であることをイエスは私たちに教えてくれたし、そのような生き方ができるように力を与えてくれた。」神父様は例えを使って次のように話してくださいました。「一人の絵描きが世界で一番綺麗なものを描きたくて考えていた。世界で一番綺麗なものは『希望』と思ったけれど、それをどのように表現すればいいか考えながら歩いていた。すると娘に出会った。娘は、世界で一番綺麗なものは『愛』と答えた。次に出会ったのは兵士だった。兵士は、世界で一番綺麗なものは『平和』と答えた。絵描きは全ての答えが抽象的なので、どのように描けばいいのか困り果てて帰路についた。玄関を開けると、可愛い孫が飛びついてきた。そして家族そろって夕食を食べている時に、絵描きは世界で一番綺麗なものは『家族』であることに気づいた。家族の中で私たちは『愛』『平和』『希望』を体験している。私たちにとって生きるために大切な場所は『家族』である。」とお話をしてくださいました。
ミサの終わりに歌う恒例の「ハレルヤコーラス」は、各学年の声が1つになり3部合唱の美しい響きとなって私たちにクリスマスの喜びを伝えてくれました。
今年は創立50周年の記念すべき年でした。各行事で合唱している曲は、シスターカテリーナ(イタリア人)が生徒たちに教えてくださったものです。その曲を歌うことが本校の伝統になっています。シスターカテリーナ(享年92歳)は、長い闘病生活の末11月にイタリアで帰天なさいました。私たちの歌声はきっと天国のシスターのところに届いたと思います。
マリア像前に作られる馬小屋(イエス・キリスト誕生場面)は、イタリア風の家に作り上げられました。毎年、社会で必要としている人々のためにと、お米や下着類など心温まる品物が、馬小屋のクリスマスボックスに入れてあります。その中に毎年のように文房具類を入れてくださる方があり、1年間準備してくださっている様子が伝わってきます。この文房具類は児童養護施設に、その他の品物はホームレスを支援している所に、それぞれ贈らせていただいてクリスマスの喜びを分かちあっております。
今年も本校は、たくさんの方々に協力、支援をいただきました。心より感謝申し上げます。新しい年、皆様の上に神様の祝福が豊かにありますように、お祈り申し上げます。
沖縄で誓った平和の祈り
11月4日?7日まで、沖縄の修学旅行へ行ってきました。初日から飛行機の出発は遅れ、沖縄は悪天候で飛行機は着陸ができず上空を何回も旋回してようやく着陸できたという状況でした。そのために体調不良を訴える生徒も出て、これから先の修学旅行が思いやられると思っていましたが、1晩ゆっくり休んだおかげで生徒たちも回復、お天気も回復し有意義な修学旅行になりました。
毎年、ひめゆり部隊の一員だった宮城喜久子さんから当時の状況についてお話を伺うのですが、長旅で疲れ気味にもかかわらず生徒たちは真剣に聞き入っていました。宮城さんのお話を伺っていると、今その状況が目の前に繰り広げられているような錯覚を起こします。「○○さんは、あそこでこのように言って亡くなったの」「兵隊さんは私たちにこのようにして欲しいと言いながら亡くなった」などと、とてもリアルなお話でした。翌日、ひめゆり資料館を訪れ、展示から語りかけてくる「平和への願いの声」を、一人ひとり丁寧に聞き取っているように感じました。
沖縄の自然の美しさからは宮城さんの語られた悲惨さを想像することも難しい今、基地の問題、オスプレイの問題を、聞いたり見たりすると戦争は終わっていないような感じを受けました。浜辺で出会った一人の男性は、「孫たちの時代になるまで、なんとか基地を縮小させようと努力していた。それが解決できないまま、今度はオスプレイの問題です。」と悔しそうに語られました。昨日悪天候でなかなか空港に着陸できなかったことを話すと、「昨日は日曜日で良かったですよ。何回も空港上を飛行機が旋回できたのだから。平日だったら米空軍機が飛んでいる関係で、同じところで旋回できませんでしたよ。」と言われました。何も言葉にできませんでした。
修学旅行最終日、安里カトリック教会で平和のために「み言葉の祭儀」を行いました。マタイ福音書5章3節?12節のみ言葉は、私たちに幸いな生き方を教えてくれています。その中の一節に「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神を見る。」という言葉があります。
神は天地創造をした後、人間に自然界の世話をしてほしいと頼まれました。また、人は一人でいるのは良くないとパートナーである女性をお造りになり、お互いが助け合って生きるようにと願われました。聖書が教える平和とは、争いがないというだけではなく、この世に存在しているものが神の思いで生きているところに実現するものです。宮城喜久子さんは私たちに正しい教育を受け、正しい情報を見極めることの大切さをお話になりました。そして、宮城さんが今日まで生きてこられたのは、戦争がなかったからであるときっぱりとおっしゃいました。「平和をつくる人になってください」と言われた言葉は、私たち一人ひとりの心にしっかりと根を下ろしたと思います。沖縄修学旅行は、そのことを考える4日間になりました。
次回は、生徒たちの感想を掲載します。お楽しみに!
私が確立された授業
前回に引き続き、本校独自の授業「宗教」を3年間受けて、生徒の感想を抜粋したものを紹介します。同じ授業を受けても、受け取る生徒たちの個性が十分に表あ現されていて、高校生活でしっかりと「私を確立」し自分に自信が持てたことを知り嬉しく思いました。
*3年間を振り返ってみると「宗教」の授業は、キリスト教を学ぶものじゃなく、人間の生き方、人間性、自分を育てていく授業なんだと気づきました。そのことを強く思ったのは、2年生の「ものの見方」の授業です。たくさんの絵を見たり、他人から見た自分のイメージを教えてもらったりして、改めて自分というものを考えさせられました。自分が思っていた自分のイメージと他人が思っている自分のイメージは、一致しているものもあれば、正反対なものもありました。やっぱり自分で考えるだけでなく、客観的な意見も大切なものなんだと思いました。
*3年間の宗教を通して思ったことは、考え方が大きく変わったことです。最初は“つまらない”から始まったのに、今では自分の基盤となっている部分がたくさんあります。3年間でこんなにも変われるものかと思うくらい変わりました。ものの見方、許すこと、愛すること。3年間で宗教の授業から学んだことは言いきれませんが、良い人になろうとせず、ありのままの私でいようと思いました。今の自分への課題は許すことです。どんなに腹が立っても、許してほしい時がある限り、私は許していかなければなりません。そして、宗教を通して出会った多くの人や言葉を大切にして、卒業しても、この学校の生徒らしくいたいと思います。
*高校入学する前までは、一度も考えたことがないことを考えたり、自分と向き合ったこと、この学校に来て学べてよかった。もし、この学校に来ていなかったなら、自分と向き合える機会もないし、ものの考え方やいのち、生と死について真剣に考えることもなかった。宗教の授業で学んだことが自分の身になって、なりたかった自分に近づけたし、自分自身と向き合って変わることができた。また世界の状況や平和のために働いた人の話など、貧しい人たちの現状を知って、今自分に何ができるのかを考える機会があった。そんな時間がなければ考えることすらなかったことを、この授業を使って教えてもらい学んだおかげで、物事を深く考えられるようになった。
*自分について考える授業は、一番悩んだものでした。「自分て何?」何度問いかけても答えは出なかった。自分の中に知られたくない一面を持っていて、そんな自分が嫌で隠しながら生活しているような気になってしまったこともある。周りの多くの人に支えられて、学校では自分の机も椅子もあるし、大好きな家には家族がいる。この状況の中で、もっと自分を見つめなおして、しっかりとしたブレない軸を持った自分を見つけようと思った。これは、3年生になって将来を考える時期になった今、自分の中ですごく支えになっている気持です。飢餓や貧困で苦しむ人たちのことを考えるとなおさらである。この授業を受けてから私は東南アジアの方に目を向ける機会が増えた。将来は東南アジアに関わる仕事に就きたいと思った理由の一つに、この授業がある。
*キリスト教に含まれている「愛」に目を向けることで、生きていくうえで大切なことを学んだと思います。「命」や「愛」、「自分」など考えても考えてもきりがないようなテーマだったけれど、答えを出すのではなくて、考えることに意味があるのだと思います。自分を見つめて、自分について考えることで、相手の気持ちをちゃんと考えられる人になれるのだと思うし、自分のことをしっかり見つめられないときは、相手の気持ちも考えることができないのだと気づきました。
*宗教の授業を通して、すごく印象に残っていることが二つあります。一つ目は「一粒の麦」です。私はたった一粒の麦でちっぽけかもしれないけれど、たくさん集まれば大きな力になるということを考えさせられ、今、必要としていることはこれなんだと感じました。私もこれから社会に出ていくたった一粒の麦くらいちっぽけかもしれないけれど、少しでも力になれる、そして強い気持ちを持って歩んでいきたいなと思いました。二つ目は「ゆるす」ことについてです。パワーポイントを見て強く思ったことは、自分が許されるためにしていることはあるのかなと思いました。自分は何もしていないんだと考えさせられました。そして、自分が許さないことによって、相手の人生も性格も変えてしまうことがあるんだと考えさせられました。
*私は高校で宗教の授業を受けて、宗教への考え方が変わりました。入学前は、聖書にある考えを押し付けて、洗脳して、こういうふうにイエス様は凄いんだって、ひたすら語られるものだと思っていました。堅苦しくて、聖書を暗記しなければいけないとか。でも、この3年間で、もっと自由で個人個人の考えが尊重されるんだと気づきました。そして、イエス様や聖書を信じるも信じないも自由で、考え方を無理に変える必要はないのだと学びました。そのおかげか、私も聖書は自分自身のためになるものだと感じるようになり、疑ってばかりでなく信じることも大事なのだと気づきました。
1年生のときにした「愛の実践」の発表の経験は、卒業してからも忘れずに、それぞれの場所で実行されていることを耳にするたびに、「一粒の麦」になって世界の平和のために貢献している卒業生を誇らしく思っています。
思いを歌に込めて
12月20日(火)に、音楽会が行なわれました。各クラスが9月から選曲、アレンジとすべて自分たちの手で趣向をこらし作り上げた作品です。この時期は、4月から行事に取り組んできて、クラスの輪が徐々に出来上がりまとまってくる頃です。音楽会を迎えるまでにいろいろ問題を乗り越えてきただけあって、どのクラスも当日は澄んだ歌声のコーラスが聞けました。1年生からクラスが上がるにしたがって、歌声の透明感とクラスの一体感がでてきて、さすがに3年生の透明感は素晴らしかったです。世界でたった一つの作品を発表する音楽会でした。
12月22日10時から、クリスマスミサが本校のカリタスホームで行なわれました。「Christmas」は、Christ(キリスト)をmas(祝う)という2つの言葉で作られています。神は人間を愛するあまり神の御ひとり子イエス・キリストを、私たちに与えてくださいました。それは、人間と同じ姿になり、自分も人間と同じ苦しみを味わい、人間の代わりに罪の償いをすることを神は望まれました。私たち人類一人ひとりは、神から愛されている存在です。
本校で行われたクリスマスミサの司式をしてくださったのは、刈谷教会のフィリップ神父様でした。神父様はユーモアを持って私たちに「小学3年生の女の子が担任の先生に、クリスマスプレゼントを贈りました。そのプレゼントは小さな籠で、その中に人の目には見えず触れることができないけれど、一人ぼっちの時に慰めを与え、傷ついた時に癒しを与える女の子の愛が入っていました。イエス・キリストも馬小屋の中でお生まれになり、人生という籠の中で私たちの心を温め、癒してくださる方です。」という趣旨のお話をしてくださいました。心が温まり幸せな気分になれたひと時を、全校生徒、教職員、保護者の方々と共有できました。
ミサの中で歌った聖歌と最後のハレルヤコーラスは、カリタスホームの中にいる人々の心に響きわたり、それが世界の平和を祈る私たちの祈りとなって天に届いたように思いました。
今年は、3月11日に予測もしていなかった東日本大震災、そして9月の台風12号と、これまで人間が築きあげてきたものが、一瞬のうちに奪い去られてしまいました。自然の前で人間は無力であることを思い知らされた1年でした。しかし、この災害によって私たちの心に眠っていた愛が目覚め、災害の傷跡を癒し始めた1年にもなりました。やはり愛は、人間らしく生きるために必要なものですね。
今年1年、たくさんの方々の支えと励まし、協力によって無事終えることができることを感謝申し上げます。来年も皆様にとって希望のある良い年になりますようにお祈りいたします。