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コロナ禍の行事
新型コロナウイルスの感染防止のために、学校行事の変更見直しが迫られています。そんな状況の中で、できないから中止ではなく、できることをしていく方針で、23日、24日学年別の学園祭が行われました。
1年生、2年生は巨大アートの作成、3年生は各クラスで動画作成に取り組みました。クラスで何か一つのことに取り組む姿に、本来の学校生活が甦ってきました。
雨天で順延の体育祭は、10月2日(金)秋晴れの下で、コロナウイルスを寄せ付けない熱気で行われました。
開会式の生徒会長の挨拶の時に、1,2年生の共同作品巨大アートのお披露目がありました。
8月から各クラスで貼り絵作成が始まり、生徒たちは期限まで必死に1cm四方の折り紙を決められたところに貼っていました。
ただひたすら作業に取り組んでいた生徒たちは、出来上がった巨大アートを見て「これだったのか!」と感嘆の声を出すはずでしたが、校長先生が巨大アートに感動し挨拶で「アマビエ」とつい口を滑らせてしまい、生徒たちの感動が今一つだったのは残念でした。
午前中の体育祭でしたが、生徒たちの表情にいつもの元気さが戻ってきておりました。
自席での応援と言われていましたが、友人、クラスの応援に熱が入っていました。当然の動きですね!
半日、自粛生活のストレスを吐き出すように弾けていました。
どの生徒たちの顔にも笑顔があふれ、新たなエネルギーをもらった記念すべき体育祭になりました。「アマビエ」が一日も早くコロナが終息するように、私たちを見守ってくれますように!
いのちの学習(1年生)
6月から平常授業が始まり、急に学校生活リズムに合わせなければならなくなった生徒たちの表情は、疲れ気味でした。しかし、徐々に学校生活にも慣れ友人もでき、本来の学校生活を過ごしている様子に、こちらも安心しました。
3密を避ける意味で、行事関係も見直さなければならないこの時期、1年生対象の「いのちの学習」を7月2日に実施することができました。今年の講演者は、ココカラウィメンズクリニック医師伊藤加奈子先生にお願いいたしました。1年生対象なので一般的な体のことについてポイントをつかみ、自分の体は自分で守ることをわかりやすくユーモアをもって話してくださいました。
その様子を、生徒の感想文から抜粋して紹介します。
・今日の講演会を聞いて、性はずっといやらしい事って思っていたけれど、「性」って漢字が心と生って聞いた時から、自分の中で性についての考え方が変わりました。・・・今の日本は、世界よりも遅れているから、より多くの人が性の正しい知識について、もっと知るべきだと思いました。
・日本はあまりこういった内容の事、今日みたいに詳しく教えることをあまりやりません。でも、こういうことはもっと早く知っておくべきだと思いました。そうすれば、高校生の予期しない妊娠などを防げたり、プラス面でもっとたくさんのことが良くなると思います。私は、そういう行動や言動に責任の持てる人になりたいと思いました。
・講演会で性の多様性やLGBT、ピルの話、妊娠、避妊、生理の話を聞いて、自分の性に対する知識の足りなさを痛感しました。また、困ったときは誰かに相談することの大切さを、改めて学びました。
・小学校や中学校では、男女別に分かれて、生理の授業を受けたり、保健所の方が性感染症について教えてくれたりしたけれど、下品なものというイメージが強く、現実のことだと思えないまま授業を受けていたけれど、今日の講演で、専門の先生のお話を聞くことで、身近に感じることができました。
・先生の話を聞いて、10代で妊娠する人が結構いることに驚きました。ですが、逆に考えると自分も妊娠する確率が十分にあるということなので、性行為など容易にしないように気を付けていこうと思いました。
・授業や道徳の時間に“命”や“性”について学ぶこともあったけど、実際に婦人科の先生に話を聞くことはなかったし、貴重な時間だったなあと思いました。きちんとした知識を持つことで自分も周りも助けられるかもと聞いて、これからも正しい知識を持ち続けていきたいと思いました。そして、私は少しLGBTに偏見があったのですが、決して悪い事ではないし、人間すべて同じなんて無理があるなぁと、この機会に少し理解が深まった気がしてよかったと思いました。
新型コロナウイルス感染拡大で、休校が余儀なくされ生徒たちは自宅に留まらなければならない時期が3か月もありました。その間、メディアで10代に妊娠が増加していることが報道されていることを知りました。
生徒の感想の中にあったように、男女とも正しい性の知識を持っていると悲しい結果に終わらなかったのかと思い、私自身教育者としての責任を感じました。性に対する正しい知識を持っていたら、自分の性とどのように向き合って生きていくのかをしっかりと考える姿勢が身についていくと思います。また、困ったときに相談できる大人の存在も必要だと思います。
本校の「いのちの学習」は、そのような思いをもって実施しています。
咲き誇る花々
今回の新型コロナウイルスの感染で、当たり前のことが当たり前に行われなくなってきたこの時期に、無事入学式を終えることが出来たことに、感謝せずにはいられません。
桜が満開の校庭、カピタニオガーデンには色とりどりのチューリップが咲き乱れ、在校生の代わりに新入生を歓迎しているように感じました。式が終わった後、咲き誇っている花々の前で、記念写真を撮る家族の姿がたくさんありました。
今年の入学生は、中学の卒業式も簡素化されて中学を去ることになった生徒達。そのような状況でも、しっかり生きていこうという力を感じました。
新入生誓いの言葉の中で、次のように誓いを立ててくれました。
「・・・本日は、新型コロナウイルスの影響を受け、大変な状況にもかかわらず、教職員はじめ関係者の方々のご配慮、ご尽力により、このような素晴らしい入学式を開催していただき心より感謝しています。・・・私たちを取り巻く環境は、今回のように様々な影響により、当たり前のことが当たり前にできず、先の見えない状況にあります。しかし、私たちは明るい未来のために何をすべきか、仲間と共に考え、優しさと思いやりをもって、一歩一歩確実に進んでいきたいと思います。・・・」
2020年の出来事があったからこそ、「私たちはこのように生きてこれた」と胸を張って言える人生を歩んでもらえるように、この3年間の学校生活で、生きていくために大切なものを見つけてもらえるように、私たち教職員は責任をもって教育に当たりたいと強く感じた入学式でした。
イタリアの現状から
毎日報道されている新型コロナウイルス、イタリアの死者は中国を抜く数になりました。これから先、イタリアはどのようになっていくのか不安を抱えて生活しているイタリアの人々。
そんな中、イタリアの様子が修道院に伝わりました。感動させられたお話があるので分かち合いたいと思います。
*感染拡大を防ぐために葬儀ができず、たくさんの棺が教会に安置されています。家族は亡くなった方に、最期のお別れができない状態です。
そんな中、一人の老神父(80歳代)が棺の前で祈りを捧げる時、棺の上にケータイを置き家族とともに祈りを捧げています。
イタリアは埋葬なのですが、今回のこのような非常事態なので火葬されます。ところが火葬場は日本のように多くありません。
軍隊が出動し棺を遠く離れた火葬場に運び始めています。だからこそ、この老神父の行為は、家族の慰めになっていることでしょう。
*今、教会でミサがあげられないので、神父様たちが屋上に上がりミサを捧げているのを、町の人々は窓を開けて神父様たちと一緒にお祈りをしているそうです。
人知を尽くしても見えない敵と戦っているこの時、人々のできることは心を合わせて祈ることだけですね。
*一人の女医さんが医療における自分の使命を果たしながら、もう一つの使命が私に課せられたと言っています。
それは、病人に会えない家族からの手紙を、女医さんが家族に代わって本人に渡すことです。
女医さんは「今の自分の使命はこれなのだ」と喜んで使命を果たしていると言っていました。
また、医療従事者と分かれば、ガソリンはタダにするところもあるそうです。
医療関係者も自宅に帰れずホテル住まい。家族にも会えず医療現場で不眠不休で働いている方々のことも心にとめておきたいですね。
モノと人が自由に行き来できるグローバル社会へと発展してきた世界、今や一国の問題だけで済まされず地球規模の問題へと発展していくことを、新型コロナウイルスは私たちに教えてくれました。
今回のこのようなことを通して、神様は私たちに何を教え導いてくださっているのかをしっかり受け止めたいものですね。
便利さ、発展を追求していく人類は、目に見えないものからの脅威をますますこれからも感じるようになるのでしょうか。
人類のおごりがこのような事態をもたらしたのであれば、私たちはもっと自然からの声を聴き、人類の自然に対する関わり方を謙虚に学び、自然との共生、お互いを労わり合う人間関係を作り上げていけるように祈りたいと思いました。
令和元年度終了
3月19日(木)は、令和元年の修業式が行われる予定でした。
本校は変則的に時間を設け、各自教室に置いてある新年度の教科書と担任の先生からもらう通知表を受け取り、すぐ帰宅の措置を取りました。
校舎内に久々の生徒たちの弾んだ声が響き渡り、校舎も本来の自分の姿に戻りホッとしているように思います。
今年度は5月に年号が「平成」から「令和」になり、学校でも書類の書き方などに戸惑ったりしていました。そのような状態から、徐々に日常生活に落ち着きが戻り何気ない普段の生活が始まりました。
そんな中、今度は気温の上昇に悩まされ、「異常気象」という言葉をよく耳にするようになりました。
相次ぐ台風の上陸で、多くの方々の日常生活が一瞬のうちに奪われてしまいました。日常生活が今も取り戻せていない方々も多く見えると思います。
やっと、日常生活を取り戻し生活をし始めたら、今度は新型コロナウイルスの感染拡大。
政府の方針を受けながら各行事の見直しを考えていると、3月から休校の措置。生徒たち自身、クラスの仲間との交流もできず、今年度を振り返る心の準備もしないまま、毎日の生活が有無を言わせず断絶され、令和元年度を終了することになりました。
登校してきた生徒達と話すと、「学年末試験がなくて残念!テストの準備をしていたのに・・・。」と残念そうに話した姿が印象的でした。
この不完全燃焼感を生徒たち一人ひとりが向き合い、自分なりに4月の新年度を迎える準備ができるエネルギーに変えてくれるように、祈っています。
想定外のことが起きたこの1年。今更ながら、日常生活を送ることは、「当たり前」ではないことを痛感させられました。
毎日放映されている各国の新型コロナウイルスの報道を見ていると、そのお国柄を感じますね。
特に、イタリアの人たちがバルコニーに出て国歌を斉唱している様子は、どんな状況にあっても希望をもって「今を生きる」ことの大切さを教えてくれます。イタリア人たちから学びたいと思いました(笑)。