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立ち止まって考える時間
今年は本校で2日間に短縮し、例年行われていた修養会の内容を無事行うことができました。講師の先生お二人にお越しいただき、もう一人の先生、止揚学園の福井先生はZOOMで参加してくださいました。
*学校で行われた修養会ですが、いろいろ勉強になりました。私は友人を作ることが苦手です。常に、いつか裏切られるかもと言う恐怖心があるからだと今日気づきました。自分を愛さないと、他者も愛せないので、まず自分を大切にしてみようと思いました。
*修養会を終えて、私は前の自分と大きく変化しました。瞑想を実際にたくさん行ってみて、自分の心を落ち着かせる行動ができてよかったです。また、名前の話が心に残っています。最近、何もできないことにイライラして、親に当たり散らしていました。そんな現状があるからこそ、心を込めて親が名前を付けてくれたことを知って、ちょっと泣きそうになりました。生涯変わらないものは名前だから、親から授かった名前をこれからも大切にしていこうと思いました。
*修養会で確かに得たものは、一つあります。それは自分で考える力です。これまで、こんなに長い時間にわたって話を聞き、感じたことを書き綴る事なんてありませんでした。前々から言われていた自分の心を素直に書く力は、少し身に付いたのではないかと思います。この経験を糧に、最後には自分に自信を持った堂々とした人間になれるよう頑張りたいと思いました。
*今まで自分の中だけで考えてきたことを、別の人の視点、それも今まで触れたことのなかった宗教という視点から考えられて、より自分の考えが深まりました。特に、マインドフルネス瞑想は、私の悩みにぴったりでした。未来の予定に振り回されている自分に、立ち止まる大切さは深く心に刺さるものがあります。動物としての人間よりも、他の動物とは違う人間として生きていきたいですし、そのためにはまず感情をすぐに表に出さず、行動にも出さないことを心がけて常に考えて動けるような人間になろうと思います。
*ブラインドウオークの体験をして、「相手を思いやる」と言うことを学びました。手を引く側の私は自分と相手の周りをよく見て、安全に行動するということが難しかったです。反対に、今度は手を引かれる側になった時、最初は怖かったけど、相手の行動から自分への思いやりが伝わってきて嬉しかったです。この経験は、神父さんが話してくださった「隣人を自分のように愛する」と言うことに繋がると思いました。
*この2日間でいろんな方のお話を聞いて、私はこれから生きていく中で目標が2つ増えました。まず1つ目は、自分の気持ちと正直に向き合って、心によい刺激を与える努力をすることです。心によい刺激が与えられたら自然と成長でき、心の穏やかな人になれると考えたからです。2つ目は、人の核心を突くような言葉を紡ぎだすことのできる力を持った人になることです。様々なお話を聞いて感動した場面や大切なことに気づかされた場面がたくさんありました。なので、私の言葉で人を救うことができたり、心を変えられる言葉を発せられる人になりたいと思いました。
*1日目、朝のSTで担任の先生に携帯を預けてから、私は凄く不安になった。携帯が自分の近くにないだけで不安になった自分を見て、「私は重度の携帯依存症だ!このままでは頭がおかしくなるんじゃないか?」と携帯を手放して初めて気づかされた。だから、これからは母と相談して携帯を使う時間を決めたので、取り返しがつかなくなる前に対応したいと思いました。
*初めての修養会を終え、「違いを認め合う友だち関係」を作るという言葉が印象に残りました。私はいつも自分の意見に自信が持てなくて、よく人の意見に流されていたけれど、違いを認め合う関係を作ることが大切と学び、自分の考えに自信を持つようにしようと思いました。友だちの意見もしっかり聞ける人になりたいです。
*「怒りのコントロール」の方法も知ることができたので、相手に怒りをぶつけてしまう前に呼吸法を活用し、心を落ち着かせるようにしたいです。そして、頑張っている自分を認めて、ストレスをため過ぎないように気を付けようと思いました。
落ち着きがなくなってきた1年生のこの時期に、各クラスで人間関係による問題が生じてきた時だったからこそ修養会を行うことができたことは感謝です。
2日間の非日常生活を経験し、立ち止まって自分と向き合う時間を持つことの大切さを、生徒たちの感想文から教えられました。
他にも、止揚学園の福井先生のお話から、障がいを持った人への偏見がなくなり、相手をあるがまま認め合うことの大切さに気づき、止揚学園のボランティアにぜひ参加したいと思う生徒もたくさんいました。
今回、ZOOMで新しくなった建物を見学でき、止揚学園の方々も参加してくださり、より止揚学園の生き方が伝わっていたと思いました。
コロナ禍で思いっきり活動ができず、悶々とした気持ちで過ごしていたからこそ、立ち止まる時間を持つことによって、自分の心をリセットできた生徒たちもいましたが、まだまだ自分と向き合うことが怖く、自分から逃げている生徒もいます。
思春期真っただ中を過ごしている生徒たちが、本校での生活を通して「自分を大切にする」ことを学んでいってほしいと願うばかりです。
家族の温かさ
「共にすごしましょう」が、今回の止揚学園訪問のテーマでした。
そのテーマのもと本校の23名の生徒たちは7月14日・15日の2日間止揚学園で良い経験をさせていただきました。
あいにくの梅雨空で、予定していたプログラムは空を見上げながら実施するかしないか、常に選択を余儀なくされた2日間になりました。
みんなが楽しみにしていた花火は、残念ながらできませんでしたが、その代わり、ホールで夏祭りにつきものの出店が3店あっという間に準備されたのには、びっくり!
夕食後まだ雨が降っておらず、みんなで花火をする気満々だった時に、生徒たちも、その出店の準備に一役買い、アイディアを出しながら楽しめる出店を作ったのです。
学校では見られない生徒たちの様子に、生徒たちが潜在的にもっている才能に尊敬の念を持ちました(笑)。
この姿が学校でも出せるようになるといいのにと思いながら、思春期真っ只中で自分探しをしている生徒たちが自分を見つけてくれる機会になればと見ておりました。
参加した生徒たちはこの経験をお互いに深め合うために、夜、分かち合いをしました。その時の様子をまとめてお知らせいたします。
*止揚学園に参加したいと思ったきっかけは、修養会での、福井生先生が職員の人たちとともに脳に重い障害を持っている人たちと関わられたお話を聞いて、止揚学園の人たちに寄り添い、彼らの言葉にならない言葉を聞きながら生活している様子に感動したことです。
障害をもっている人たちのことを、「仲間」と呼んでいることに驚きました。
*以前ボランティア活動で障害者施設に行ったことがあったけれど、ここは家族のようにお互いを労わり合い、障害を一つの個性としてとらえているから職員の人たちは上から目線の話し方をしないし、子ども扱いにせず、一人の人として尊敬を持って接している。
職員と仲間の人たちの信頼関係がそこにあり、いわゆる健常者と障害者の壁がここにはない。
*日常生活で疲れていた。止揚学園の人たちの笑顔に触れたり、体の触れ合いを通して癒された。
止揚学園の人たちの笑顔に触れると、自分は毎日作り笑いをしていることに気づいた。
*今年で3回目の止揚学園。
1年目の時は怖いと思い会話ができる人としか話さず、2年目は話せない人のそばに行って関わるようにして、3年目は車椅子の人のそばに行って関わることができた。
*今回訪問は2回目になり、多くの気づきをしたくて参加した。
止揚学園の人たちが話せない分、その人たちの行動を見ながら何が言いたいのか心で感じるように聞く努力をしたら、相手と通じ合うことができて嬉しかった。
すべての行動に意味があると思った。ここでみんなと過ごしていると、自分はこれまで“いい子”を演じていたことに気づいた。だから苦しかった。自分らしく生きていきたいと思った。
生徒たちの分かち合いの中でよく出てきた言葉は、「温かい」「家族」「思いやり」の言葉でした。
血の繋がりがない人たちが相手を思いやりながら生活をしている場で共に生活させてもらい、家族について考える機会になったようです。
家にいるとき自分の家族に対する接し方について考えることもなかった生徒は、自分がどれだけ家族に支えられていたかに気づき、家に帰ったら感謝の言葉を伝えたいと思った生徒もいました。
今回参加した生徒たちは、止揚学園の方々とできるだけ多く触れ合いたいという気持ちがあったので、自発的に積極的に活動していました。
止揚学園の方々の素直さによって、生徒たちも素直な自分を発見する2日間になりました。
高校生の時期に、いろいろな経験をし、人と出会え、内なる世界を広げていくことは、人生の宝になりますね。
共に生きる喜び!
今年も滋賀県にある「止揚学園」を、22名の生徒たちと一緒に訪問することができました。
毎年感じることは、いつもと変わらぬ温かい心で迎えてくださることです。
大歓迎をして迎えてくださる止揚学園の方々に、緊張した面持ちの1年生たちはどのように接すればいいのか戸惑った様子でした。
彼女たちの思いは、脳に重い障害を持っている人たちの施設というイメージでいたので、このように温かく迎えてもらう事は想像もつかなかったと思います。
園長の福井生先生から
「願いは祈りになる。人間は独りだけで生きていくと孤立していく。仲間の人たちは一人では何もできないけれど、私たちに笑顔を与えてくれる。だから、仲間の人たちと共に歩んでいくことができ、みんなの命を守っていこうという1つの祈りになっている。」
というお話を伺った後、おいしい昼食の時間。
昨年参加した2年生の生徒たちは、止揚学園の食事のおいしさを知っているので、この食事時間を楽しみにしていました。
昼食のメニューは、冷やしそうめんでした。バナナの葉の上に並べられたそうめんを、おいしいつけ汁で頂き満足した後、先生たちの歓迎イベントが始まりました。
それはホールの中で、流しソーメン大会が始まったのです。生徒たちも加わり、大はしゃぎ。本当に楽しい食事でした。
ちなみに、夕食は「鶏ごぼう飯」、翌日の昼食は「酢豚」でした。本当においしいお食事で、皆の顔から満足の笑みがこぼれていました。もちろん私も生徒たちと同じです(笑)。
食後は、2年生による「エビ、カニダンス」が披露され、生徒たちは少しずつ止揚学園の仲間たちの中に溶け込み始めました。
止揚学園の先生の指導の下、生徒たちはプールで仲間の人たちと楽しそうに遊んでいました。
止揚学園の大きな目的は、夜の分かち合いです。生徒たちが体験して気づいたことを、皆で分かち合います。
止揚学園には、全国からたくさんの学校の生徒たちが訪れます。
それぞれの学校の特徴があるそうですが、聖カピタニオ女子高校と言えば「分かち合い」と、止揚学園の先生から言われ、私自身その言葉に驚かされました。
なぜなら、分かち合いは、生徒たちにとって必要と思いしていたことが、他の学校とは違うことに驚いたからです。これが本校の教育の特徴であることを、再確認できました。
1年生の生徒たちがこのイベントに参加した理由は、ほとんどが修養会でお話してくださった福井先生のお話を聞き、どのような施設なのか、自分の目で確かめたかったからと言いました。その感想をまとめて紹介します。
*脳に重い障害を持っている人たちのことを、「仲間の人たち」と言っていたことに驚いた。その言葉によって、止揚学園では、先生たちと障害を持っている人たちは「平等」なんだと思った。
中学校の時に行った他の施設は、利用者と指導者という立場がはっきりしていた。しかし、ここは相手の立場に立って話したりしている。
*脳に重い障害を持った人たちのいる施設だから、話が通じないと思っていた。
しかし、止揚学園の人たちは話せなくても、自分の思いを体で表現してくれたし、自分の方からいつも声をかけてくれた。
*私は他の施設に行った時、叫んでいる人を見て嫌な気持ちになり、そこで一緒に食事をしたり、そこの人たちがふれたものに触るのも嫌だった。
でも、ここに来て皆さんの温かい思いに触れ、以前のような気持ちがなくなっていた。
*私の親戚に障害を持っている子がいて、どのように関わればいいのかわからず、その子と関わることを避けていた。
しかし、ここに来て皆さんと接して、親戚の子との関わり方を学んだような気がしたから、今度から避けずに関わりを持つようにしようと思った。
*障害を持っている人に持っていた偏見が崩れた。
みんな自分を持って、それぞれ表現しているのを見て、私は自分を偽って生きてきたことに気づかされた。
自分を偽っていると疲れる。ここに来ると、素直な自分になれて嬉しい。
毎年訪れる止揚学園で、毎回新しいことを発見させてもらっています。
今回は、食後にみんなで交流する場があり、一人の人にマイクを向けてお話をする場面がありました。
その人はマイクを自分で持ち、自分の気持ちを言葉にならない言葉で表現した後マイクを離そうとせず、職員の方が何回かマイクを受け取ろうとしていましたが、言葉を強めるわけでもなく、その人が満足するまでマイクを持たせていました。
私はその様子を見て、その人を尊重するという意味を教えられました。
1泊2日の短い期間でしたが、生徒たちも私も共に生きることの幸せを体験できた時間でした。
止揚学園の仲間の人たちが素直に自分を表現でき自分らしく生きているのは、職員、利用者に関係なく、共に人間としてお互いを支え合って生きているところから生れてくるものだと学び気づかされた訪問になりました。
深い喜び!
学校を出発する時は雨に降られましたが、後の2日間はお天気にも恵まれ、規律のある1年生の修養会を無事終わることができました。
修養会を経験した先輩から修養会の印象を聞き、「行きたくない!」と思っていたり、スマホなし、お菓子なしで、これまで経験をしたことのない行事でイメージがつかず、「拘束されている、不自由」感で始まった修養会でした(笑)。
ところが修養会中、一人ひとりの笑顔が輝きはじめ、私自身にもみんなの喜びが伝わってきました。
実行委員会の時の生徒たちの感想を聞くと、
「スマホがないからすぐ寝れる。皆と話すのが楽しい。」
と非日常生活を楽しんで過ごしている感想を述べていました。
「これまで課外活動を終えて家に帰ってくると、つまらなかったと言っていましたが、修養会から帰ってきた時は、楽しかったと言っていました。」
と伝えてくださいました。
修養会は、2回の講話を聴く機会と、グループワークをして自分と向き合う、中身の濃い3日間でした。
しかし、生徒たちの一つひとつのことに取り組む姿は、みんな前向きで本当に楽しんで取り組んでいました。
初日の夜のグループワークの後の振りかえりの分かち合いで、グループメンバーの良い点、助けられた点を相手に伝えている場面を見ていると、どの生徒の顔も「みんなの役に立ったんだ。」という満足感でいっぱいの笑みを浮かべていました。
だから、「私はここにいてもいいんだ。」と思える気持ちが持てたのかもしれませんね。
それが、修養会をより良いものへと作り上げるきっかけになっていたように思いました。
止揚学園の福井先生は、脳に重い障害を持っている人たちとの関わり方から、相手に寄り添う事、相手のペースに合わせることの大切さを話してくださいました。
お話を聞きながら、私たちはついついスピード、便利さを追い求めるあまり、相手の心と出会っていないことに気づかされました。
2日目の金子神父様のお話で、聖書の人間創造物語から「人が独りでいるのは良くない」の意味を話してくださいました。
私たちは「親密な交わり」を求める存在として創造されているから、小さい時は母親との交わり、小学校からは友人たちとの交わり、成長するにつれて社会との交わりと、その交わりの過程を指で、手で、腕で円を作りました。
そして、神父様は「その円の中心に何を入れるのか?」と質問されました。
その円の内側から神様は、「あなたは私の愛する子」と呼びかけている声があり、この声が私たちの生きる土台であると教えてくださいました。
夕食後のミサの終わりの祝福の時に、神父様は一人ひとりの生徒の頭に手を置いて、「あなたは私の愛する子」と言ってくださいました。
本当の人間として成長するために、この声を聴きながら生きていくことの大切さをお話してくださいました。
この3日間、生徒たちと様子を見ていると、これまで体験をしたことのない修養会で、心の深いところからしみじみと湧き上がってくる喜びを体験しているように感じました。
この喜びこそが私たちを本当の自由へと導くことができます。
修養会を終えた生徒たちの顔から優しさが溢れでていました。
生徒たち一人ひとりが本当の人間として成長していくようにと、神様にお祈りするだけですね。
本当に、いい修養会を体験させていただきました。感謝です。
魂のふれあい
7月15日~16日、滋賀県東近江市佐野町にある止揚学園に行ってきました。
今年の参加者は、1年生だけのグループになりましたが、まとまりもよく積極的に活動をしていました。
生徒たちは止揚学園のお話を修養会で聞いているので、ある程度のことは想像して来ていると思いますが、知能に重い障がいを持っている人たちの施設へ行くのは初めてなので大変緊張した様子でした。
最後の曲がり角を曲がると20m先にカラフルな建物が見え、その玄関先で止揚学園の人たちが思い思いに手を振って
「いらっしゃい!」 「待っていました!」 「ようこそ!」
と声を上げ私たちを大歓迎してくださいました。
ありのままの私たちを丸ごと受け止め大歓迎してくださっている様子に、生徒たちの心も開かれ、
「こんにちは!」
と声を上げ手を振り始めました。
オリエンテーションで、職員の田村先生が私たちにお話をしてくださいました。
田村先生は、
「私は誰?何のために生きているの?人間とは何か?と言う疑問を持ちながら生きてきて、この止揚学園に来て私は、一人の人間として受け入れられました。
いのちそのままを生きている脳に重い障がいを持っている人たちと一緒に生きて、出会って、自分の殻を破ることができました。
この施設は、命を守るために職員が心を一つにしているからチームワークが生まれます。」
とご自分がこの施設で働くことになった経緯やご自分の心の内を話してくださいました。
2日間止揚学園の方々と共に、食事の準備やお風呂、野菜取り、花火、プール遊びをしていくうちに、生徒たちの表情がどんどん変わっていきました。
それと同時に、積極性も出てきました。
止揚学園の方々のために準備していった「妖怪体操」を最初に踊った時は、恥ずかしがりながら踊っていましたが、最後には元気よく顔の表情も活き活きとして踊っていました。
また、止揚学園の方々を喜ばせるために何をしたらいいのか、チームで自分たちができることで相手を喜ばせることは何かと話し合っていました。
生徒たちが夜の分かち合いで話したことは、
・言葉を話すことのできない方々が自分の意思を、自分ができることで伝えようとしてる姿に感動した。
・自分はいつも相手が来るのを待っていた。自分たちが使える能力を一生懸命に使っている生き方を見て、自分はそんなに真剣に毎日を過ごしていないことに気づかされた。
・障がいを持っている人たちに偏見を持っていた。一緒に過ごして、自分たちと同じ人間であることを知った。
・私はいつも人から何かをしてもらう事を待っていた。ここの人たちは、いつも人のことを考えて声をかけてくれるので優しいと思った。
自分もこれから積極的に人と関わりを持とうと思った。
・ここの人たちと生活し、自分の殻を破れた気がした。人を怖いと思っていたけれど、その気持ちが薄れてきた。
・今まで自分のことしか考えていなかったし、人の目をいつも気にしていた。自分の素が出せなかった。
ここの人たちは、自分が思うことを素直に出しているのを見て、自分もこれから人の目を気にしなくてもいい生き方ができるような気がした。
止揚学園に来て、まだ半日しか経っていないのに、生徒たちの魂が癒されている感じがしました。
その様子を見ながら、私は魂の本来の働きに気づかされました。
神から一人ひとりに与えられている魂は、他者のことを思いやる=愛の働きがあります。
脳に重い障がいを持っている止揚学園の人たちは、私たちのように話したり、考えたり、自分の行動を自発的にする力が弱い分、魂の働きに忠実に動いているように思いました。
私たちは自分の行動を支配できるので、魂の本来の働きより自分の考えの方に囚われてしまいます。
そのため、かえって不自由な生き方をしているのではないかと思いました。
「私たちは障がいを持っている人たちから、生き方を教えられます。」
という言葉に感動した生徒がいましたが、こちらに来て、その言葉が真実であることを確信しました。
本来の魂に触れたから、私たちの魂が癒されるのですね!
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