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碧い海と空の沖縄から学んだ平和?
前回に引き続き、生徒たちの修学旅行の感想を抜粋いたします。
修学旅行を終えて、私は命の大切さについて改めて気づかされました。これは戦争や平和だけを考えていっているのではなく、この修学旅行全体を見て出した結論です。
まず、戦争のことを考えました。たぶんこれは、ほとんどの人がいのちの大切さに気づくものだと思います。次に、死んでいく人々、鉄の玉などで奪われていく命。国のために戦わせておいて負傷して体が動かなくなったら殺してしまう命。
ひめゆり学徒隊の解散命令も、国から「あなた方の面倒は見きれません。自分たちでやってください。」と言われているようなものです。人が足りなかったら追加して・・・まるで燃料のように使い捨てているように感じました。
大切な命があまりにも軽く見えてしまう戦争。今の時代から見ると、人の命がどれだけ重たいものか、改めて気づかされます。
次に平和のことを考えました。平和祈念公園で、たくさんの命の大切さに気づかされる場所だと思いました。多くの人たちが飛び降りた崖や海のすぐそばの公園。“平和”という意味が込められた公園。そこには、たくさんの亡くなった方々の命が大切にされていることが実感できました。
過去と今の命を繋ぐ場所だとも思いました。戦争で戦った全ての人が命を懸けて繋いでくれた平和なんだと強く感じました。そして、他の命について考えました。他の命というのは、生きているのは人間だけじゃないという事です。
マングローブやカヌー体験で強くそう思いました。インストラクターの方がマングローブの説明をしている時、「いつまで続くかわからないけれどな」と目の前の木々を見ていった時やカヌーに乗って見た透き通った水、海底まで見える海を見た時、守らなくてはいけない命(自然)がここにもあるんだと思いました。
命の大切さに気づかせてくれた沖縄。「命どう宝ー命こそ最高の宝である」耳に何度も聞くフレーズですが、これって本当のことなんだと修学旅行を通して実感しました。「命どう宝」の精神で、これからも過ごしていこうと思います。
修学旅行で沖縄についてたくさんのことを学び、文化を知り、同時に自分自身も成長することができました。
1日目では、現在の沖縄にどれほど米軍基地が占???? めているかを学びました。ニュースで見ているだけでは普天間基地の大きさなどは想像がつきませんでしたが、実際にこの目で見ると、本当に町の中に基地があり、とても衝撃を受けました。周辺の住人の方々は騒音や戦闘機落下の危険と常に隣り合わせで生活しているんだと生で感じました。
2日目、戦争と平和について学びました。英語演習で少し習いましたが、戦争で亡くなった人たちがあんなにたくさんいるとは思いませんでした。戦争に関係ない人たちも巻き込んでしまった戦争は、もう二度と起こしてはいけません。
?南部まで追い詰められた人々が、実際に海に飛び込んだ崖を見て、いかに戦争が怖いかとてもよくわかりました。
「ひめゆりの塔」では、事前に見ていた映画に加えて、より詳しく「ひめゆり学徒隊」を知ることができました。当時は、戦争に日本が勝つと思われていて、その手伝いができることを光栄に思っていた女子生徒たちに驚きました。
しかし、実際は全然違っていて、毎日怪我をして苦しむ兵隊たちの世話をし、友達や先生が死んでいく中で必死に生きようとしていたことが分かりました。どれだけ怖かったでしょうか。
70年たった今でも戦闘機が空を飛び交っていたり、基地と隣り合わせだったり、戦争はまだ続いているかのように思いました。・・・今回の修学旅行で自分には関係ないと思っていた戦争についても、興味深く知ることができ、しっかりと考えることができました。
これらの学んだことを忘れずに、これからの生活に活かしていきたいです。
? 旅行を終えて一番思い出に残ったものは、証言ビデオと「ひめゆり平和祈念資料館」です。学校で見た映画よりも、比較にならないくらい衝撃を受けました。
証言ビデオで話された残酷な現実は、映画から想像していたものをはるかに超えていました。同世代の少女たちが、こんな目に遭っていた時代があったなんて恐ろしいと思いました。
資料館では一人ずつの死因を見てみましたが、自決も多いし、不明だったり、悲惨だったり、写真さえない人までいました。
今まで戦争というものに自分は関係なんてないとか、二度と起きてはいけないなんて、そんなの当り前だとか軽率な考えしか持っていませんでしたが、今回の修学旅行で、戦争や平和、人の命について深く考える事ができました。
この貴重な経験を修学旅行という思い出だけでは終わらせず、今後の生活や考えに活かしていきたいと思います。
修学旅行について、3回連続でお届けしました。いかがでしたでしょうか。
卒業生の皆さんは読みながら、自分たちの修学旅行について、そして、あの時感じたことを懐かしく思い出していらっしゃるのではないでしょうか。
今、世界中がテロの脅威を感じています。そして、身近にいる人に対して疑心暗鬼になりつつあるように感じます。世界中の教育現場で、いのちの大切さやお互いを思いやること、赦し合う事を教えれば、子どもたちが未来を変えてくれると信じています。
碧い海と空の沖縄から学んだ平和?
?? 沖縄に未練を残しながら帰りの飛行機に乗り込んだ生徒たちは、この4日間の修学旅行の想い出を文字に書き表していました。
楽しかった沖縄の心のスナップ写真を、中部空港に着くまでの間整理しているように感じました。その想い出を抜粋して紹介致します。
平和教育に力を注ぐカピタニオの教育は、素晴らしいと思った。カピタニオの修学旅行だからこそ、これほど深い学びができたのではないかと思いました。
沖縄は3度目でしたが、来るたびに知らないことがたくさんあって、きれいな景色があって、やっぱりいいもんだなと思いました。
平和祈念公園に広がる礎の数には毎回ビックリするし、そこに刻まれた名前を一つひとつ見ていくたびに胸が苦しくなりました。
これだけたくさんの人が苦しい思いをしながら亡くなったのかと思うだけで、今、私が何不自由なく生活できることに申し訳なさを感じるのと同時に、70年前の歴史があったからこそ、今があるんだと気づかされました。
また、「ひめゆりの塔」は10年前に一度訪れたことがありますが、当時のことは何も覚えていませんが、ただひたすらに泣いていたことは覚えています。だから今回こちらを見学して、10年後の私が感じることの変化に気づくことができました。
私たちと同世代の生徒が戦争に動員され、たくさんの死を目の前でみてきました。自分のすぐそばで友達が亡くなっていく悲しみは、私にはまったく想像できません。キラキラした夢を持っていたのに、それが一瞬で潰されてムカつきました。
戦争が何より大嫌いです。私は絶対にやりたくないし、世界中から争いが無くなってほしいと思います。
それを実現するためには、やはり私たち一人ひとりがより一層戦争について考え、学び、自分の中で戦争することへの意見や平和への想いを、言葉として確立し、それを外に向かって発信していく。日本中の人が「戦争は嫌だ」と声をあげれば、少なくとも日本で戦争が起こる可能性はなくなっていくと思います。
「戦争をしたくない」と思うだけでなく、行動することが大切だと思いました。
4日目の「み言葉の祭儀」で神父様の読まれたマタイ福音書の真福八端は、とても心に響きました。
必ずしも貧しい人が不幸というわけではない。裕福な生活を送っている人が幸せを得るわけではない。心の優しい者が、幸せを得るんだと思いました。
この4日間を通して、修学旅行に関わってくださったすべての人に感謝の気持ちです。沖縄の文化に触れ、目で見て肌で体感することで、沖縄の素晴らしさ、戦場になったからこそ伝えられること。
様々なことを教わることができました。本当に平和について学ぶことができて良かったです。そして、戦争のない平和な日本であり続けてほしいと強く思います。
沖縄に実際に行ってみると、時間の流れがゆっくり流れているように感じ、やっぱり同じ日本でも違うんだなと思いました。
戦争の事について一番衝撃を受けたのは、私たちが今歩いているこの場所でたくさんの方々が亡くなったこと、そして、今もまだ地面の下には発見されていない骨があるという事を教えてもらった時でした。
その時は、何も罪のない方々が、日本のために頑張って戦ってくださったのに亡くなってしまった、そんな場所を平和に暮らせている私たちが歩いていて申し訳ない気持ちもありました。
また、そういう方々のお陰で、今私たちが平和に暮らせていることに感謝したいと思うと共に、戦争のない日本に生まれてくることができたので、生きたかったと思う方々の分まで、一生懸命に生きようと思いました。
私はこの修学旅行で戦争に関するものを自分の目で見ることができたので、沖縄に行く前と戦争に対する意識が変わりました。
いかがでしたか?生徒たちの感想は・・・。私自身キーを押しながら、目がウルウルしてきました。他にも分かち合いたい感想がありますから、次回掲載いたします。
碧い海と空の沖縄から学んだ平和?
11月8日(日)雨の中部空港を飛び立ち、碧い海、夏の太陽に迎えられて沖縄空港に無事降りたつことができました。
気温は、27度。空港から嘉数高台公園に直行。
今話題になっている普天間基地とオスプレイ、翌日見た嘉手納基地の広さと戦闘機の数々、生徒たちにとって基地問題を身近に感じられ、各自考える機会になりました。
翌日、平和祈念公園にある「平和の礎」を訪れ、沖縄戦で亡くなられた礎に刻まれている方々の名前を見ながら、尊い命を奪われた人々の事を考えました。
こうして名前が刻まれていることによって、その方々の生きた証が永遠に残り、私たちに戦争の無残さ、愚かさを伝え、二度と同じ間違いをしないようにと私たちにメッセージを送っているように感じました。
それは、「ひめゆり祈念資料館」を訪れた時も同様でした。一昨年まで、実際にひめゆり部隊に参加していらっしゃった方のお話を伺うことができましたが、昨年から証言ビデオを鑑賞しています。
生徒たちは事前学習として「ひめゆりの塔」の映画を見ていましたので、証言ビデオで話されている場面を思い出しながら鑑賞していました。
鑑賞後、資料館の方が補足でひめゆり部隊の方々がお話していらっしゃったことを、私たちに次のように伝えてくださいました。
「私たちは一日も早く戦争が終わるように、日本の平和のために戦争に喜んでいきました。しかし、私たちが想像していた以上に戦場はひどく、人の殺し合いだけでした。絶対に、戦争をしてはいけません」。
戦争を体験した方々が、戦争の悲惨さ、人間性が失われる状態を、私たちに語り伝えてくださっている意味を、しっかり受け止めていきたいものです。
「ひめゆり平和祈念資料館」の展示物を一つひとつ丁寧に見ている生徒たちは、彼女たちの犠牲を無駄にしないように展示物から語られている言葉を必死に聴き取っていました。
平和をつくるのは、私たちです。私たちはもっと、過去から学ぶ必要があると思います。その一端を担っているのは、学校教育だと思っています。
平和教育の後、沖縄の美しい自然に思う存分浸り満喫しました。
最終日、安里カトリック教会で主任司祭古川神父様の司式で平和のためのみ言葉の祭儀を行い、世界平和のために、そして修学旅行で出会った方々のためにお祈りを捧げました。
修学旅行実行委員長から、「教科書に平和の礎が1ページしか載っていません。“百聞は一見にしかず”という言葉通り、この旅行で平和について考えさせられました。
この経験を活かして、私たちは平和について考えられる大人になりましょう。」と平和をつくる約束をしてくれました。
? 学年主任の伊藤先生は、まず修学旅行に携わってくださった方々全ての人たち、特に旅行に参加させてくださった保護者のために感謝の心を持ちましょうと呼びかけ、出発前に生徒たちにした3つの願い、?挨拶する事、?人の話を聴くこと、?沖縄を満喫しよう、を各自が意識を持って考え行動している姿を見て、生徒たちに感謝したいと挨拶を締めくくられました。
沖縄は特別な土地柄です。豊かな自然の恵みを受け、昔から営まれている文化を大切にし、お互いに助け合いながら生きてきた沖縄の人々。
皆が平和で安心して生活できる権利が与えられているのに、基地問題や他国間の力関係の狭間で生活している人々の生活は、私たち一人ひとりに“平和とは何か?”を考える機会を与えてくれているように思います。
今回の修学旅行を通じて、生徒たちがどのように受け止めたのか、次回お知らせいたします。
沖縄で誓った平和の祈り
11月4日?7日まで、沖縄の修学旅行へ行ってきました。初日から飛行機の出発は遅れ、沖縄は悪天候で飛行機は着陸ができず上空を何回も旋回してようやく着陸できたという状況でした。そのために体調不良を訴える生徒も出て、これから先の修学旅行が思いやられると思っていましたが、1晩ゆっくり休んだおかげで生徒たちも回復、お天気も回復し有意義な修学旅行になりました。
毎年、ひめゆり部隊の一員だった宮城喜久子さんから当時の状況についてお話を伺うのですが、長旅で疲れ気味にもかかわらず生徒たちは真剣に聞き入っていました。宮城さんのお話を伺っていると、今その状況が目の前に繰り広げられているような錯覚を起こします。「○○さんは、あそこでこのように言って亡くなったの」「兵隊さんは私たちにこのようにして欲しいと言いながら亡くなった」などと、とてもリアルなお話でした。翌日、ひめゆり資料館を訪れ、展示から語りかけてくる「平和への願いの声」を、一人ひとり丁寧に聞き取っているように感じました。
沖縄の自然の美しさからは宮城さんの語られた悲惨さを想像することも難しい今、基地の問題、オスプレイの問題を、聞いたり見たりすると戦争は終わっていないような感じを受けました。浜辺で出会った一人の男性は、「孫たちの時代になるまで、なんとか基地を縮小させようと努力していた。それが解決できないまま、今度はオスプレイの問題です。」と悔しそうに語られました。昨日悪天候でなかなか空港に着陸できなかったことを話すと、「昨日は日曜日で良かったですよ。何回も空港上を飛行機が旋回できたのだから。平日だったら米空軍機が飛んでいる関係で、同じところで旋回できませんでしたよ。」と言われました。何も言葉にできませんでした。
修学旅行最終日、安里カトリック教会で平和のために「み言葉の祭儀」を行いました。マタイ福音書5章3節?12節のみ言葉は、私たちに幸いな生き方を教えてくれています。その中の一節に「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神を見る。」という言葉があります。
神は天地創造をした後、人間に自然界の世話をしてほしいと頼まれました。また、人は一人でいるのは良くないとパートナーである女性をお造りになり、お互いが助け合って生きるようにと願われました。聖書が教える平和とは、争いがないというだけではなく、この世に存在しているものが神の思いで生きているところに実現するものです。宮城喜久子さんは私たちに正しい教育を受け、正しい情報を見極めることの大切さをお話になりました。そして、宮城さんが今日まで生きてこられたのは、戦争がなかったからであるときっぱりとおっしゃいました。「平和をつくる人になってください」と言われた言葉は、私たち一人ひとりの心にしっかりと根を下ろしたと思います。沖縄修学旅行は、そのことを考える4日間になりました。
次回は、生徒たちの感想を掲載します。お楽しみに!