「聖バルトロメア・カピタニオ」 タグの記事
愛に生きる
爽やかな5月になりました。この時期は、創立記念日を迎える準備の歌声が聞こえてくる毎日ですが、今年は新型コロナウイルス感染拡大予防の休校措置のために、歌声は聞こえてきません。
新型コロナウイルスが世界中に拡大し、報道番組では「中止したことはこれまでなかったこと・・・」という表現をよく耳にします。「ラ・カリタ」の歌声が校舎に響かない創立記念日は、初めてであり二度とこのようなことが起きないように祈りたいですね。
本修道会(幼き聖マリア修道会)が創立されたのは、1832年イタリアの北部ローベレという小さな町です。聖バルトロメア・カピタニオと聖ヴィンチェンツァ・ジェローザが、「あがない主の娘」として十字架上のイエスのように人々の救いのために「血を流すほどに愛する」生き方をする特徴の修道会を始めました。
現在、全世界の人々は新型コロナウイルス感染拡大で苦しんでいます。私たちの修道会の歴史を振り返ってみても、同様なことが起きていたことを、理事長Sr.フランチェスカからお話を伺いました。
修道会が創立された4年後の1836年、ローベレにコレラが大流行しました。聖バルトロメア・カピタニオが他界した後、聖ヴィンッチェンツァ・ジェローザと6人の若いシスターたちが、聖バルトロメア・カピタニオの遺志を引き継いで修道生活を始めていた時でした。
この時は、ローベレで小さな小学校を始めておりました。子どもたちの一部は寮生活をしていましたが、聖ヴィンチェンツァは子どもたちを自宅に帰らせ、空いたスペースを貧しくて病院へ行けない人々を収容し世話をしていました。コレラ患者の世話をする時に、世話をするシスターたちにも感染するリスクが高かったので、院長の聖ヴィンチェンツァは、
『私はこれから患者さんの世話をしに行きますが、感染の恐れがあるので皆さんは自由にしてください。』
と呼びかけました。が、6名のシスターたちは感染者の世話をし続けました。コレラが終息を迎えた時には、誰一人感染していませんでした。彼女たちの行動を揺るがないものにしたのは、イエスのみ言葉
「わたしの兄弟である最も小さい者の一人にしたことは、私にしてくれたことなのである。」(マタイ福音書25章40節)
でした。その生き方が多くの実を結び、今も私たちの心に受け継がれています。
今も感染者のそばで自分を顧みず献身的にお世話をしてくださっている医療従事者の方々のことを、思い起こしながら祈りましょう。そして、自分の命、他者の命の大切さをしっかり考え、今私たちが感染を拡大させないことを考えて行動できるようにいたしましょう。
目に見えない宝物
3月20日~29日、20名の生徒たちとイタリアの研修旅行に行ってきました。
ローマに到着し、迎えのバスに乗り込みホッとしていたら、雨がポツポツ。
宿泊先の修道院のホテルに近づき始めた頃には、土砂降りの雨に混じりあられも降ってきました。
石畳のローマの道を重いスーツケースを引っ張りながら歩くこと10分。やっと修道院のホテルに到着。
出迎えたシスターたちは、ずぶ濡れの私たちのことを心配し、生徒たちの重いスーツケースを各部屋に運んでくださいました。
このシスターたちの親切に、生徒たちはとても癒されたようでした。
イタリア滞在中の雨をこの時一気に頂いたようで、翌日から帰国するまで傘に一度も触れることがありませんでした。
イタリア滞在中の記録は、毎日Facebookに投稿されていましたので、私は生徒たちの様子から気づかされたことを紹介します。
「神様と出会った人たち」の生き方から、私たち一人ひとりにとって必要なものが与えられる旅行になればと祈りながら、10日間を過ごしました。
アッシジで聖フランチェスコ大聖堂を訪れ、彼がキリストと出会い、この世のものから離脱していく様子がジョットの描いた壁画から伝わってきました(写真撮影は禁止なのでお見せできなくて残念)。
また、中庭にある聖人のご像にはいつも生きている白いハトがいて、当時の聖フランチェスコの姿を私たちに伝えているようでした。私たちはご遺体の前で、静かに祈りました。
聖クララ大聖堂の地下を降りていくと、聖クララのご遺体が安置されていました。とてもきれいなお姿でした。
また、同じフロアーの反対側に聖女が使用していた衣服や道具が展示され、当時の聖女の清貧の生活がよく伝わってきました。
その中でも印象的だったのは、聖女が聖フランチェスコと同じ生き方をするために彼から長い金髪の髪を切ってもらったその髪を見た時でした。
とてもきれいで柔らかな髪を見ると、聖女が神への愛を生涯捧げたいという決心が伝わってきました。
ローベレの街並みは、聖バルトロメア・カピタニオと聖ヴィンチェンツァ・ジェローザが生きた面影を今も漂わせてくれていました。
このような片田舎で生活したお二人が、まさか日本から自分たちを慕って訪れてくるとは想像もできなかったでしょう。
また、聖バルトロメア・カピタニオが勉強するために通っていた聖クララ修道院を訪れた際、思いがけない出会いをすることができました。
それは、修練女の4人の若者たちが聖クララと同じ生き方をするために修道会に入ったお話を聞くことができたからです。
彼女たちは医師や数学・物理の教師、専門性を持って社会に貢献しているにもかかわらず、心から呼びかける声に従いながら修道生活を始めた経緯を聞く機会が与えられました。
ローベレから車で10分の所に、聖バルトロメア・カピタニオのおばあちゃんの家があります。
今回運転手さんの間違いで、私たちは道の途中でバスから降ろされ10分以上路頭に迷っていた時にご親切な方に出会い、無事目的地の家に到着することができました。
おばあちゃんの家は中が改装され、現在は修道院と祈りの場になっています。
そこのシスターアニェージェから、聖バルトロメア・カピタニオがどうして人々を愛することができたのか、その秘訣を3つ教えてもらいました。
1つ目は、神様が創ってくださった大自然の素晴らしさに気づき、その偉大な庭に住まわせてもらっていることに気づくこと。
2つ目は、自分の心の深いところから聞こえてくる声に耳を傾けること。
3つ目は、自分を信じ、確信を持つこと。この3つを持つことによって、人々を愛することができたことを話してくださり、シスターは私たち一人ひとりの頭に手を置いて、そのような生き方ができるように祈ってくださいました。
ミラノにある本部修道院で、イタリア研修で得たものを分かち合いました。
ほとんどの生徒たちは、自分を知ることの大切さや自分を大切にすること、カピタニオの偉大さと本校の生徒である誇り、信仰や祈りの意味などが心に響いたようでした。
そして、この時期、この年齢だったからこそ、イタリア研修に参加できたことに心から感謝していました。
見えない宝物が、心の中にしっかりと納まったように感じました。
一粒の麦が地に落ちて
今年の本校の創立記念日は、5月13日(金)に行ないました。第一部、瀬戸教会主任司祭インマヌエル・ビン神父様によるみ言葉の祭儀が執り行われました。
第二部は、3月にイタリア研修旅行に参加した生徒たちからの報告が行われました。
この日は、保護者の方々、卒業生、旧職員の先生が参加して祝ってくださり、生徒たちにとっても励みになったと思います。毎年合唱する「La Carità」の歌声は、聴く人たちに感動を与え、心を清めてくれます。
み言葉の祭儀の中で、理事長Sr.フランチェスカは次のようにお話をしてくださいました。
「カトリック教会は今年“いつくしみの大聖年”をお祝いしています。聖バルトロメア・カピタニオの生活の基礎になっていたのは、この“いつくしみ”です。
彼女は神の愛を体験し、人々にその愛を注ぎました。そして、修道会の会員に“いつくしみの業”を行うように伝えました。
“いつくしみ”という言葉を言いかえれば、隣人愛、思いやり、奉仕、親切、憐れみ、ゆるし等です。いつくしみの実践の場は、家庭から始まります。
聖バルトロメア・カピタニオの父親は、酒乱で暴れ家族を困らせていましたし、妹も気が強く我儘な性格でした。
そのような家族に対して、彼女は父の弱さを理解し父親の傍に寄り添ったりして、置かれている家庭の中で毎日実践的な愛の業を行いました。
また、病気の人を看病したり、刑務所に収容されている人たちに慰めの言葉をかけに行ったりしていました。
このような愛の実践を行うために彼女はいつも神に、「あなたからいただいた命、健康、才能、目、手、足全て、人に役立つように努めます。」と神のいつくしみで人々に接することができるようにと祈っていました。
私たちも実践的な愛を生きるように呼ばれています。」
創立記念のお祝いが終わった後、ある教員が保護者の方から、次のようなことを聞いたと報告してくださいました。
「娘はこの学校に入学させてもらい、1ケ月しかたっていませんが、本当に変わってきました。挨拶を言えるようになってきたのです。
“お弁当がおいしかった!ありがとう。”とか、朝“おはよう!”と挨拶をしてくれるようになったのです。」この生徒も、聖バルトロメア・カピタニオの生き方を家庭で実践していると思うと、まさしく一粒の麦がまかれて実を結んでいますね!
当日、聖カピタニオに捧げられたお花は、私たちの生活を支えてくださっている市役所・警察署・消防署・最寄駅等や中学校に感謝の気持ちと一緒に届けさせていただきました。
イタリア旅行パートⅢ
学校が始まり、3週目を迎えました。1年生は移動教室が分からず、教科書をかかえて右往左往状態でしたが、3週目に入り全学年落着き始めてきました。私たち教員も同じです。(笑)
今回は、イタリア研修の大きな目的であるローベレと、幼き聖マリア修道会の本部を訪問したことについてお話いたします。
聖バルトロメア・カピタニオと聖ヴィンチェンツァ・ジェローザの故郷、ローベレ(ベルガモ県)を訪れました。ミラノから山間を走りながら、バスで約1時間30分の所にローベレの街があります。
イタリアでも指折りの湖、イゼオ湖の湖畔にある小さな街です。2聖人たちが生きておられた時代は、貿易の要の街で栄えていたと聞いています。
バスを降りた私たちが最初に行ったところは、オアジと呼ばれている祈りの家でした。その建物は昔病院として使用されており、ボジオ神父様が聖バルトロメア・カピタニオにその病院の運営を任せた所です。
そこで働いているシスターは、私たちのために飲み物とお菓子を準備し大歓迎をしてくださいました。生徒たちはイゼオ湖の心地良い風に吹かれながらお菓子を食べ、ホッとしたひと時になりました。
ローベレの狭い石畳の道を歩いて、2聖人たちがお祈りに通っていたサンジョルジョ教会を訪問しました。
ここで祈っていたお二人は、日本から生徒たちが訪れて祈ってくれるとは思ってもいなかったでしょう。生徒たちにとっても、この片田舎で生きた2聖人と、このように出会っている不思議さを感じていたと思います。
教会を出た後、2聖人たちの生家へ行く予定だったのですが、私自身2年前の道を思い出しながら行きましたが結局道に迷ってしまいました。
一人の女性が私たちの様子を見て近づき、「どこへ行きたいの?私も教員をしていたからみんなが困っている様子が分かったわ!」と案内をしてくださいました。
色々歩いたおかげで、ローベレの方々と言葉を交わしたり、お店の様子も分かり、予定外の散策で生徒たちにとって自由時間を過ごすために、計画を立てるいい時間になったのではないかと思いました(笑)。
翌日の午後、幼き聖マリア修道会の本部(Casa Madre)を訪問しました。国籍が違う多くのシスターたちが、私たちを温かく迎えてくださいました。
中庭に面したところにテーブルとイスが準備されており、テーブルには日本で味わえないお菓子とジュースが載っていました。それを見た生徒たちは、実家に戻ってきた様子でホッとしていました。
おやつを頂いた後、今回の研修の分かち合いをしました。ほとんどの生徒たちはイタリアを訪れ、カトリックの精神に肌で触れたことで、イエス・キリストが本当に実在したということや人々の信仰心(絵画や建築物で表現されているものも含めて)の深さなどキリスト教に興味をもったということを分かち合ってくれました。
また、ミラノやローベレに行き、聖バルトロメア・カピタニオの偉大さを再認識し、本校の生徒であることに誇りを持ったようです。また、シスターたちの温かさに触れ、「イタリアにいたらシスターになってもいいな。」と言った生徒もいました。
イタリアをローマからミラノまで駆け抜けた旅行でしたが、イタリア人の陽気さに生徒たちの心も開かれていきました。
特に、フランシスコ教皇との謁見はとても印象に残ったようです。世界中の人たちから愛されている有名な教皇様を、世界から来ている人々と一緒に直に見ることができたことに興奮していました(私も含め、笑)。
目に見えるものから目に見えないものを見ることの大切さと、イエスのために自分の生涯を捧げたアッシジの聖フランシスコと聖クララ、聖バルトロメア・カピタニオと聖ヴィンチェンツァ・ジェローザ達の生き方から、人生を生きていく上で何を大切にして生きるべきか、また 自分にも与えられている使命に忠実に生きることが自分を活かすことにつながること、等に気づいた旅行になったと思います。
聖バルトロメア・カピタニオへの祈り
今年も5月14日(木)に、第52回創立記念日を無事迎えることができました。外の暑さとは裏腹に、会場のカリタスホームの中は爽やかな風が式に参列している人たちの心の中を駆け巡っているように感じました。それは、1803年北イタリアのローベレで誕生した聖バルトロメア・カピタニオが神の愛に忠実に応えた聖霊の働きが、私たち一人ひとりの心にも語りかけているように感じられました。全校生徒たちと保護者の方々、卒業生、来賓の方々と心を合わせて感謝と世界の平和のためにお祈りいたしました。この祈りを必ず神様が聞き入れてくださり、人々の心を愛の心に変えてくださることでしょう。
み言葉の祭儀の中で祈られた共同祈願を紹介いたします。
*わたしがここ聖カピタニオ女子高等学校で学んだことは、勉強をとおして「人を思いやること」「どんなことにも挑戦すること」「女性としての強さ」など多くの大切なことを学びました。しかし、この地球上には学びたくても学べない人が、学校に通いたくても通えない子どもたちが、「女」だからと言う理由だけで学ぶ権利を奪われてしまう女性が大勢いることを知っています。私たちがこうして学校に通い学ぶことができることは決して当たり前のことではありません。どうか世界中の子供たちが自由に学ぶことができ、知識を身に着け、喜びや勇気、希望をもって生きていけますように。(生徒会長)
*カピタニオに入学して二回目の全校朝礼で、「当たり前を当たり前に」というお話をききました。そのことを考えなおしてみると、普通に学校に通えること。ご飯が食べられること。家に帰ると家族が待っていること。どれもがそうであると分かります。しかし、東日本大震災や四月に起きたネパールでの地震での被害をみると、当たり前を当たり前だと思ってはいけないと思いました。今日自分が過ごしている環境がとても幸せなことだとカピタニオに入学して改めて実感することができました。私はカピタニオで与えられた時間を、新しく出会えた人たちと一日一日大切に過ごしていきたいです。カピタニオでしっかり学び自信をもって社会に出ていきたいです。私たちが自分自身を誇れる人間になれるよう何事にも努力する力とみんなを愛する力をお与えください。(1年生代表)
*カピタニオ生となって、慣れなかった祈りも今ではさまざまな思いを込めて祈るようになりました。それは、「あなたが何気なく生きた一日は、昨日亡くなった人が生きたかった一日だということ」と言う言葉に出会ったとき、私の心に強く刻まれたからです。世界では宗教や民族間での紛争、領土をめぐる対立など目を覆いたくなるような争いが増し、また大規模な自然災害や環境破壊によって多くの尊い命が奪われています。このような世界の中で私たちはカピタニオの精神に生かされ、命を愛おしみ、人々に愛を持って奉仕できる人間に成長できるよう、一日一日を大切に過ごせますように。(2年生代表)
*聖女バルトロメ・カピタニオは決して恵まれた環境の中で育ったわけではありませんが、神様から与えられた才能と優しさで、様々な人々を救いました。子ども、病人、老人、貧しい人、特に危険に身をさらされている女性たちに、救いの為に手を差し伸べました。自分自身の命が短いと分かっていても自分のことを顧みず必要としている人々を大切にし、聖人への道を歩まれました。私たちも宗教の時間で学んだ愛の実践を通して、周りの人々を大切にし、思いやりをもって生きていくことができますように。(3年生代表)
この祈願文に表現されているように、生徒たちは聖バルトロメア・カピタニオに出会い、聖女の思いを受け止め、自分自身に問いかけながら生きている様子が伝わってきました。彼女たちの生き方が出会う人々に神の愛をもたらし、人々を幸せにすることでしょう。