|聖カピタニオ女子高等学校|豊かな人間性を持つために

みんなが生きていく中で知ってほしい事

hana_09今年はコロナ禍の中で心配したのですが、1年生も「いのちの学習」の授業を受けることができました。

ココカラウィメンズクリニックの伊藤加奈子先生にお話をしていただきました。1年生は「性の学習の総論」と言う形で、月経について、男女の関わり方、デートDV等についてお話をして頂きました。

 

 

 

この講演を始める前に先生は生徒たちに、「性教育は学問。科学的なことだから恥ずかしい事、いやらしい事でもない。」と前置きしてから始めてくださいました。これまでとは違う雰囲気で生徒たちは聞けたのではないかと思います。

 

*「性」に関するお話を聞く機会は中学でもありましたが、高校生としての視点からのお話として初めてなので改めてためになるお話でした。お話の中にあった「月経を遅らせるためのピル」ですが、私自身中学の時に泊りがけの行事に参加した時に、月経の特にしんどい日とかぶりそうだったので産婦人科で弱めのピルをもらって快適に過ごした身なので、ピルの使用についてあまり浸透していないことに少し驚きました。また、子宮頸がんワクチンについても、正しい知識を付けることは本当に大切なんだと思いました。私の場合、母は理解がある人でしたが、自分の体は自分で守るためにも、「なんだか話しづらい話題だから」と遠ざけずに、自分の方からも積極的に情報を集めていけるようにしたいです。

 

 

*「性教育」のイメージが変わりました。海外ではすでに性教育が小さなころから行われており、“学問”として扱われていることを知って、進んでいると思いました。性教育は恥ずかしい事ではないのですね。むしろ、よりよく生きていくための大切なことだと気づきました。

 

 

*“女性の在り方”とは、一体何だろう?一人の女性として気を付けなければならないことは何だろう?私は今まで男女の行為が恥ずかしいものだと思っていました。しかし、お話を聞いて恥ずかしい事ではないということに気づけました。私はお母さんに、いつも感謝しています。苦しく痛い時間を乗り越え、私の事を産んでくれたと思うと、やっぱりすごいとよく思います。

 

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*私たちの生きている時代では、もはや性別は男と女では収まらないところに来ているんだなと改めて思いました。LGBTという名称や自分の性別がわからない人、同性愛者が増えていることなどは知識程度で知っていましたが、そのことが原因で学校や社会へ出るのが辛くなったりしている人も増えている現実も知り、その様な人たちが安心して生活できるためにも、まず身近な私たちの態度をしっかりさせていかないといけないと思いました。

 

 

*一番印象に残ったのは、「デートDV」についてのお話でした。まず、デートDVとは、結婚していないけれど親密な相手からの暴力だと知りました。デートDVのチェックリストを見て、「相手の携帯を見る」という行為もデートDVに当たると知り、相手の気持ちを尊重しない行為はすべてデートDVになるのではないかと考えました。特に、「束縛の中の尊重はない。」という言葉が心に残りました。

 

 

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これまで生徒たちが受けてきた「性教育」と違う雰囲気で聞くことができたのは、伊藤先生がおっしゃった「性教育は、学問」という言葉によって、聞く姿勢が変えられたからではないでしょうか。

 

それと、本校の教育「自分を大切にする。好きになる。」ことを4月から耳にしてきたこともあり、自分の心身をどのように大切にしていけばいいのか、各自、自分なりの答えを見つけたいと思う気持ちからかもしれませんね。

色々な角度から新しい知識を得、「自分を大切にする生き方」を学んでほしいと願っています。

 

 

 

 

 

 

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立ち止まって考える時間

今年は本校で2日間に短縮し、例年行われていた修養会の内容を無事行うことができました。講師の先生お二人にお越しいただき、もう一人の先生、止揚学園の福井先生はZOOMで参加してくださいました。

止揚学園1

 

*学校で行われた修養会ですが、いろいろ勉強になりました。私は友人を作ることが苦手です。常に、いつか裏切られるかもと言う恐怖心があるからだと今日気づきました。自分を愛さないと、他者も愛せないので、まず自分を大切にしてみようと思いました。

 

 

*修養会を終えて、私は前の自分と大きく変化しました。瞑想を実際にたくさん行ってみて、自分の心を落ち着かせる行動ができてよかったです。また、名前の話が心に残っています。最近、何もできないことにイライラして、親に当たり散らしていました。そんな現状があるからこそ、心を込めて親が名前を付けてくれたことを知って、ちょっと泣きそうになりました。生涯変わらないものは名前だから、親から授かった名前をこれからも大切にしていこうと思いました。

 

 

*修養会で確かに得たものは、一つあります。それは自分で考える力です。これまで、こんなに長い時間にわたって話を聞き、感じたことを書き綴る事なんてありませんでした。前々から言われていた自分の心を素直に書く力は、少し身に付いたのではないかと思います。この経験を糧に、最後には自分に自信を持った堂々とした人間になれるよう頑張りたいと思いました。

 

ミサ2

 

*今まで自分の中だけで考えてきたことを、別の人の視点、それも今まで触れたことのなかった宗教という視点から考えられて、より自分の考えが深まりました。特に、マインドフルネス瞑想は、私の悩みにぴったりでした。未来の予定に振り回されている自分に、立ち止まる大切さは深く心に刺さるものがあります。動物としての人間よりも、他の動物とは違う人間として生きていきたいですし、そのためにはまず感情をすぐに表に出さず、行動にも出さないことを心がけて常に考えて動けるような人間になろうと思います。

 

 

*ブラインドウオークの体験をして、「相手を思いやる」と言うことを学びました。手を引く側の私は自分と相手の周りをよく見て、安全に行動するということが難しかったです。反対に、今度は手を引かれる側になった時、最初は怖かったけど、相手の行動から自分への思いやりが伝わってきて嬉しかったです。この経験は、神父さんが話してくださった「隣人を自分のように愛する」と言うことに繋がると思いました。

 

 

*この2日間でいろんな方のお話を聞いて、私はこれから生きていく中で目標が2つ増えました。まず1つ目は、自分の気持ちと正直に向き合って、心によい刺激を与える努力をすることです。心によい刺激が与えられたら自然と成長でき、心の穏やかな人になれると考えたからです。2つ目は、人の核心を突くような言葉を紡ぎだすことのできる力を持った人になることです。様々なお話を聞いて感動した場面や大切なことに気づかされた場面がたくさんありました。なので、私の言葉で人を救うことができたり、心を変えられる言葉を発せられる人になりたいと思いました。

 

ブラインドウォーク2

 

*1日目、朝のSTで担任の先生に携帯を預けてから、私は凄く不安になった。携帯が自分の近くにないだけで不安になった自分を見て、「私は重度の携帯依存症だ!このままでは頭がおかしくなるんじゃないか?」と携帯を手放して初めて気づかされた。だから、これからは母と相談して携帯を使う時間を決めたので、取り返しがつかなくなる前に対応したいと思いました。

 

 

*初めての修養会を終え、「違いを認め合う友だち関係」を作るという言葉が印象に残りました。私はいつも自分の意見に自信が持てなくて、よく人の意見に流されていたけれど、違いを認め合う関係を作ることが大切と学び、自分の考えに自信を持つようにしようと思いました。友だちの意見もしっかり聞ける人になりたいです。

 

 

*「怒りのコントロール」の方法も知ることができたので、相手に怒りをぶつけてしまう前に呼吸法を活用し、心を落ち着かせるようにしたいです。そして、頑張っている自分を認めて、ストレスをため過ぎないように気を付けようと思いました。

 

ナデシコ(なでしこ・撫子)の育て方 | LOVEGREEN(ラブグリーン)

 

立葵(タチアオイ)の花言葉|花の季節や開花時期、種類は? - HORTI ...落ち着きがなくなってきた1年生のこの時期に、各クラスで人間関係による問題が生じてきた時だったからこそ修養会を行うことができたことは感謝です。

2日間の非日常生活を経験し、立ち止まって自分と向き合う時間を持つことの大切さを、生徒たちの感想文から教えられました。

 

 

グラジオラス - Wikipedia他にも、止揚学園の福井先生のお話から、障がいを持った人への偏見がなくなり、相手をあるがまま認め合うことの大切さに気づき、止揚学園のボランティアにぜひ参加したいと思う生徒もたくさんいました。

今回、ZOOMで新しくなった建物を見学でき、止揚学園の方々も参加してくださり、より止揚学園の生き方が伝わっていたと思いました。

 

 

コロナ禍で思いっきり活動ができず、悶々とした気持ちで過ごしていたからこそ、立ち止まる時間を持つことによって、自分の心をリセットできた生徒たちもいましたが、まだまだ自分と向き合うことが怖く、自分から逃げている生徒もいます。

思春期真っただ中を過ごしている生徒たちが、本校での生活を通して「自分を大切にする」ことを学んでいってほしいと願うばかりです。

 

 

 

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殻を破るいのちのパワー

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今年も愛知県に緊急事態宣言が出された中、5月14日(金)第58回創立記念日を迎え、これまでの歩みを神様と人々に感謝することができました。

 

 

DSC_5251このコロナ禍の中で例年通りの式典、「ラ・カリタ」を全校で合唱することはできませんでしたし、「み言葉の祭儀」の歌も演奏に代わり、司祭と典礼だけで生徒たちは一切声を出さないという内容でした。

しかし、カリタスホームは一つになり、カピタニオの偉業に感謝を捧げた祈りの雰囲気が漂っていました。

 

 

理事長先生は、私たちに次のようにお話をしてくださいました。

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「まず地に落ちた種を想像してみましょう。

種は地に落ちて、その落ちたところから逃げないで、落ちたところに留まります。

これはとても大事なことです。

人間は困難、苦しみに出会う時に、逃げたくなるでしょう。

嫌なこと、失敗を受け入れないで逃げるのは簡単ですけれども、それは前向きな姿勢ではないと思います。

バルトロメア・カピタニオの生涯を読むと、彼女も理想的な環境の中で生まれ育ったわけではありません。

酒乱の父親、我儘な妹がいたけれども、バルトロメアは自分のことを可哀想と思わないで、この状況に置かれた自分は何が出きるのか?

そして、周りの人の必要性を見ながら積極的に自分のすべきことを考えました。

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よく考えてみると、誰も自分の家族、生まれ場所を選ぶことはできません。

ちょうど、種のたとえのように、種も自分の落ちるところを選べません。

誰かが土の中に種を蒔いてくれるから、そこで実を結ぶことができます。

私たちは時々、違う家庭、違う学校、違うクラスだったら、私はもっと頑張れる、努力できると考えてしまいます。

しかし、このみ言葉は私たちに大事なことを教えてくれています。

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種の中に生命力があります。

冷たい土の中に落ちた時から闘いが始まります。

地に落ちて死ぬということは、自分の殻を破ることです。

そこから新しい芽が出ます。

土の暗闇の中でいろいろな養分が一緒に働いて、種は少しずつ違う形に変えられていきます。

 

私たちの中にも、このような力が十分あります。

今日、バルトロメア・カピタニオは福音の言葉を通して私たちに語り掛けています。

 

日常生活の中に、この種のように死ぬ機会がたくさんあります。

例えば、失敗、苦しみ、嫌なこと、悩み、自分と気の合わない人など、その時逃げないで、種のように忍耐を持って、希望を持って信じなさい

 

自分の中に生きる力があります。

そして、自分が置かれた場所で今ここで自分が自分になる場所であることを信じていけば、どんなに生きる喜びに満たされるでしょう。」

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私たち一人ひとりは、みんな違います。

違うからこそ、自分が自分になる勤めが私たちに与えられています。

今日の記念日を通して、バルトロメア・カピタニオの生き方から、自分と向き合い、自分を育てていく方法を学びました。

私たちの中には「いのち」があります。

このいのちは、成長するエネルギーを持っています。

だから、殻を破って伸びていくのですね。

この学び舎で共に過ごす仲間たちと、一人ひとりの個性を認め合い、育て合える学校生活を送りたいものです。

 

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カピタニオガーデンで芽吹く新芽

昨日と変わって、今日は澄んだ青空、心地よい陽の温かさと風が爽やかに吹く4月7日。第59回入学式を無事迎えることができました。

 

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IMG_3191[1]校庭の桜、カピタニオガーデンのチューリップは、新入生を迎えるために美しい姿を見せて待ってくれていました。

 

 

 

DSC_5119[1]真新しい制服に身を包み、緊張した面持ちで入学式に臨んだ新入生たち。担任から名前を呼ばれ、元気に応える姿から、しっかり頑張って行こうという思いが伝わってきました。

 

 

 

新入生の誓いの言葉から抜粋します。

「・・・私たち新入生は、今までとは全く異なる環境に身を置き、新たな一歩を踏み出したいという思いで今日を迎えています。

この聖カピタニオ女子高等学校で私には達成したい目標があります。それは、人のために率先して動ける人間になることです。そのためには、より一層勉学に励み、部活動や学校行事を通して、自信をつけていくことが大切だと私は考えます。

今から始まるこの三年間、新たな友と切磋琢磨し、他の学校では触れることのできない教科、宗教、女性学を始めとした多くの分野を通して、自分自身と向き合っていきたいです。・・・」

 

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入学式後、生徒たちを待つ保護者とお話をする機会がありました。その中で、入学式の感想を次のように述べてくださいました。

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・暖かな入学式でした。キャンドルの灯をお互いにつけあう時、学年の一体感を感じることができました。

・これまで聞いたことのないお話を聞けて、感動しました。

・一人ひとりを丁寧に見ていただける学校であることを知り、安心しました。

 

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と、お話をしてくださいましたが、保護者の方が入学して学びたいという思いが伝わってきて、私自身も入学式にふさわしい会話ができたことに喜びを感じました。

 

カピタニオの土壌に植えられた球根たちが、三年後にどのような花を咲かせていくのか、私たち教職員、保護者、そして、生徒たち本人も希望を持てた入学式でした。

 

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ほっこりお話

今年はコロナ禍の学校生活で、沢山のことが制約させられた1年になり、満足できなかった1年になった人たちもいるかもしれませんね。そのような状況の中で、1年生の宗教の時間、各自行った「愛の実践」のほっこりしたお話を紹介します。

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*バスで小さい子に席を譲ったことです。譲った後、お礼を言われることはなく少しモヤモヤした気持ちになりましたが、窓の外を楽しそうに見ている子を見て、譲ってよかったなと思いました。お礼を言われたらもっと嬉しかったかもしれないけれど、相手に何かをして、それが相手を喜ばせることにつながったんだと貢献感を持てただけでも十分心が温まることに気づけました。その日は家に帰ってからもずっと幸せな気持ちで前向きに物事を考えることができたので、自分の気持ち次第で物事の捉え方は変わることに気づけました。

 

 

*私の行った愛の実践は、コンビニで男性が落とした小銭を拾ったことです。男性からお礼を言われた時、前よりも幸せを感じ明るくなりました。それと同時に男性にお礼を言われなかったらと想像しました。きっと私は“何だ、あの人”と少し不愉快な気分になったと思います。でも、思いやりがあり人のためにする行動で、見返りを求め承認欲求を満たそうとすると、せっかく良いことをしても逆にモヤモヤとマイナスな気持ちになります。「自分は相手の役に立ったんだ」と相手の反応にかまわず、自分の善い行いを肯定し、これからも愛の実践を続けていきたいと思いました。

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*外食時にジュースを持って転んでしまった小さい子の手助けをしたことです。その時に、私だけではなく近くに座っていた同年代の男の人2人もすぐ駆けつけてくれました。その後、その子は「ありがとう」と言ってくれて、私もその男の人たちも小さい子も笑顔になっていました。見て見ぬふりをするのではなく、すぐ駆けつける大切さ、そして「ありがとう」と言われたその一言で感謝される喜びの2つに気づきました。

 

 

*一人のおばあさんが重そうにして運んでいた荷物を持って、家まで送ったことです。私はそれを気に留めずに通り過ぎることだってできたし、自分はいいと思っても声をかけられた人にとっては、それが失礼だったり、迷惑だったりすることがあるかもしれません。そんな心配をしながら勇気を持って声をかけました。もし、そのまま通り過ぎていたら、通りすがりのただの他人でした。でも声をかけて関わったことで、他人だけれども、私にとってはただの他人ではなく、何か特別で共に生きる仲間になれることに気づきました。

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*私が行った愛の実践は、駅で倒れてしまった人のためにAEDを持っていったり、駅員さんを呼びに行ったことです。登校中ホームで並んでいたら、目の前の人がいきなり倒れてしまい、近くの人が「駅員さんとAED」と叫んでくれたので、沢山の人が近くにいたけれど自分が走ったほうが速いと思い動きました。はじめは怖くて少し固まっちゃいましたが、AEDを取りに行ったことで、その人が救われました。帰りにその駅員さんが「ありがとう。あの方は救われたよ。」と教えてくれて、自分にも人の命を救えるんだということに気づきました。

 

 

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他にも、ほっこりするお話がたくさんありました。コロナ禍で人との距離感、声を出すことなどが制限され、人との関わりが希薄になってきたこの時期に、生徒たちは自分ができることで、目の前で困っている人に手を差し伸べ、周囲を温かく照らしている様子が伝わってきます。

 

IMG_3088愛の実践をする意味を、聖書の「善いサマリア人」(ルカ福音書10章25~37節)のお話から学びます。「私の隣人とは誰か?」とイエスに質問した律法の専門家に対して、イエスはこのたとえ話を通して、「誰がその人の隣人になったか?」と反対に律法の専門家に聞かれます。そして、「行って、あなたも同じようにしなさい。」と私たちに言われています。

 

 

 

IMG_3090[1]困っている人がいても、誰かが助けるでしょう。または、めんどくさい、関わりたくない、見て見ぬふりをして通りすがることがあるかもしれません。生徒たちは、この愛の実践を通して、「隣人になる」ことの意味を理解してきたように感じます。助けを必要としている人のそばに自ら駆け寄り、自分ができることをしながら「主体的に生きる」生き方を学んだ一年になったのではないでしょうか。

 

 

 

各自が周りに目を配り他者を思いやる行動ができたら、どんな状況下でも手を取り合って困難を乗り越えていく社会ができるのだと、生徒たちの感想から学ばせてもらいました。

 

令和2年度を終了するにあたりコロナウイルス感染者も出ず、無事終了することができたことは、一人ひとりの心がけのおかげだと思います。新年度もコロナウイルスとの付き合いになっていくかもしれませんが、できないことで嘆くのではなく、できることを探し皆で新たな学校生活を作り上げていけたらと思っています。

 

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その様子をブログでお伝えしますので、今後とも応援よろしくお願いいたします。

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