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【おすすめBOOK②】モンゴメリ『赤毛のアン』―紹介その2

 

ラベンダー

正門わきのラベンダーの花も咲いています。

◇アンの想像力と表現力の豊かさ◇

 先回に引き続き、今回も『赤毛のアン』の魅力についてお話しします。今回はこの小説の読みどころをいくつか紹介します。

 まずアンの想像力と表現力の豊かさを楽しんでください。想像力とは、目の前の現象のみでものを見るのではなく、目に見えない背景や未来を感じ、信じる力です。冒頭の場面ですぐに豊かな想像力が垣間見えます。マシュウが駅に来ているはずの男の子を向かいに行くと、アンが汽車から降りてプラットホームで待っています。アンは初対面のマシュウに饒舌に話しかけます。

 「お目にかかれて、とてもうれしいわ。もう、迎えにきてくださらないのじゃないかと、心配になってきたもんで、どんなことが起こったのかしらって、いろいろ想像していたところだったのよ。もし今夜いらしてくださらなかったら、線路をおりて行って、あのまがり角のところの、あの大きな桜の木にのぼって、一晩暮らそうかと思ってたんです。あたし、ちっともこわくないし、月の光をあびて一面に白く咲いた桜の花の中で眠るなんて、すてきでしょうからね。小父さんもそう思わない? まるで大理石の広間にいるみたいだと想像できますもの、そうでしょう? それに今夜いらしてくださらなくても、明日の朝はきっと迎えにきてくださると思っていたのよ」

 11歳の女の子とは思えない、想像力、表現力ですね。こうした力はどのように養われたのでしょう。おそらくアンにとって孤独や現実の厳しさから身を守る術でもあったのでしょう。それに支えられながら生きて来たのです。またその力は孤児院での豊富な読書体験によって培われたものと言えます。

◇腹心の友、ダイアナ◇

 プリンス・エドワード島に来てから、アンの現実の世界は大きく広がります。学校に通うようになり、ダイアナという優しい親友もできます。この土地に来る以前は、想像の中で作り出した友だちしかいませんでした。想像上の友達に名前まで付けて、語りかけていました。ちなみにケティ・モーリスという友だちは鏡に映った自分、ヴィオレッタはこだまです。現実の友、ダイアナと一緒に遭遇するエピソードの数々も読み応え十分です。

◇ギルバートへの秘めた恋心◇

 同級生の男の子ギルバートとの関係も読みどころの一つです。「気になる恋の行方」がこの小説を読み進める推進力となります。「出会いが最悪」というのもラブストーリーの定番です。会ったその日にギルバートに一番のコンプレックスでもある赤毛のことをからかわれ、アンは激怒し、石盤をギルバートの頭に打ちおろし、石盤真っ二つという衝撃的な事件が起きます。ギルバートにとっては拙い愛情表現だったのですが、完全にアンの地雷を踏んでしまったわけです。ギルバートはすぐに反省し、アンに許しを請うのですが、アンは決して許さないと心に誓い、一切ギルバートと口をきかなくなります。

 しかしその後も二人は密かにお互いを意識し合いながら過ごします。いわゆる「気になる存在」状態です。勉強でも一二を争うライバル関係になります。アンは学校の様子をよくマシュウやマリラに話しますが、何度も「ギル…」と言いかけて「学校の男の子がね」などと言い直します。こういう心情表現は実に巧みです。こういう状態がずっと続きますが、その後どうなっていくかは読んでからのお楽しみです。

校長 村手元樹

 *モンゴメリ(村岡花子訳)『赤毛のアン』(新潮文庫、新版2008)

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【おすすめBOOK②】モンゴメリ『赤毛のアン』―紹介その1

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 校庭のいたるところにツツジが咲きました。

◇ともに歩み、成長する小説◇

 『赤毛のアン』はビルドゥングス・ロマンの傑作と言えます。ビルドゥングス・ロマンは、教養小説、自己形成小説、成長小説などと訳されます。一人の主人公がさまざまな体験を通して、内面的に成長していく小説です。女の子を主人公としたビルドゥングス・ロマンもいっぱいあります。そういった小説をたくさん読んで、主人公とともに歩み体験し考えることで、ともに成長してほしいと思っています。『赤毛のアン』はこうした小説の中でも最もおススメの一冊です。

◇作者のモンゴメリと訳者の村岡花子◇

 モンゴメリは1874年、カナダのプリンス・エドワードという美しい島で生れ育ちました。1908年『グリーン・ゲーブルズのアン』を出版し、たちまち世界的なベストセラーになります。1952年、村岡花子さんが英語から日本語に翻訳し、『赤毛のアン』という邦題を付けました。日本で海外以上のベストセラーになったのは、村岡さんの魅力的な翻訳に加え、この絶妙なタイトルの吸引力もあったと思います。ちなみに村岡さんをモデルにしたNHKの朝ドラ『花子とアン』が2014年に放映され、好評を博しました。

◇『赤毛のアン』の始まり◇

 物語はプリンス・エドワード島に暮らすマシュウとマリラという年老いた兄妹が畑仕事や力仕事を手伝ってくれる男の子を孤児院から引き取ろうと考えるところから始まります。手違いがあって孤児院から来たのはこの物語の主人公アン・シャーリーという十一歳の女の子でした。妹のマリラは一晩だけ泊めてすぐに送り返そうとします。この美しい島で暮らせると希望に胸を膨らませていたアンは一気に絶望の淵に立たされます。今まで親戚や施設をたらい回しにされていた子です。ここで気の弱い兄のマシュウはアンをこの家に置けないだろうかと気の強い妹に提案します。マリラは「置いとけませんね。あの子がわたしらに、何の役にたつというんです?」と突っぱねるのですが、マシュウは突然マシュウは思いがけないことを言い出します。

   「わしらのほうであの子になにか役にたつかもしれんよ」

 

◇役に立つとは?◇

 この発想の転換、何気にすごいと思いませんか? マリラが尋ねているのは「アンが私たちの役に立つか?」という質問なんですが、マシュウが答えているのは「私たちがアンの役に立つかも」という答えです。論理的にはおかしいですよね。案の定、マリラは「きっとあの子に魔法でもかけられたんだね。」と皮肉を言います。でもこれは無意識のうちにキリスト教の考え方の根幹を突いた言葉のように思います。人は何かの役に立つことによってのみ尊いのではなく、その存在自体が尊いという考え方です。この後、マリラは兄の意見を押し切り、孤児院との仲介役のスペンサー夫人のところへアンを返しに行きます。しかし、そこでのやりとりで結局自分の家へ連れ帰り、アンを引き取ることになるのですが、ここも感動的な場面です。読んでみてください。

◇無償の愛◇

 このように始まりからいきなり面白い! 一気に物語の世界に引き込まれてしまいます。アンは創造力豊かで、おしゃべりで、好奇心旺盛。一方、赤毛というコンプレックスや、身寄りがないという孤独も抱えています。愛情にも飢え、教育もしっかり受けてこなかった。この後、いろいろな失敗や挫折を繰返しながら、美しく感受性豊かな賢い女性へと成長していきます。

 その原動力はどこにあるかと言えば、やはりマシュウとマリラの無償の愛だと思います。「役に立つからいてもいいよ」ではなく、「たとえ何の役に立たなくても、あなたがここにいてほしい」という居場所がアンの自信の源となっているのです。

 本の最後の方で、マシュウがスペンサー夫人の間違いによってアンと出会えたことをつくづく感謝する場面があります。「あの子はわしらにとっては祝福だ。運がよかった、いや、神様の思し召しだ。」と。兄妹にとってもアンの存在自体がかけがえのない喜びとなったのです。

 今回紹介したのは「赤毛のアン」の魅力のほんの一部に過ぎません。まずは手に取ってみてください。

校長 村手元樹

*モンゴメリ(村岡花子訳)『赤毛のアン』(新潮文庫、新版2008)

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【おすすめBOOK①】Sr.渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』

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校庭に花水木も咲きました。

本との出会い

 高校時代によい本とたくさん出会ってほしいと私は思っています。素敵な人との出会いと同じように、良い本との出会いも自分の世界を広げ、人生を豊かにしてくれます。読書家としても知られる上皇后の美智子さまは、子供時代の読書が自分に「根っこ」と「翼」を与えてくれたとおっしゃっています(*)。ちなみに美智子さまは青年期をカトリック学校で過ごされました。私が出会い、心に残った本を紹介していきたいと思っています。

Sr.渡辺和子

 今回紹介する本の著者である渡辺和子さんも青年期をカトリックの学校で過ごし、洗礼を受けた後、岡山にあるカトリックの女子大学で長く学長を務められた方です。豊かな教養、さまざまな出会いや辛い経験の中から得た「知恵」は、私たちの人生や日々の生活について多くの示唆を与えてくれます。本校にもお話に来ていただいたこともあります。お亡くなりになられましたが、私たちはいまもSr.渡辺和子の多くの著作物からその知恵に触れることができます。私は最近、三十年以上前に発刊された『渡辺和子著作集』(全五巻)を入手しました。

『置かれた場所で咲きなさい』

 この本はSr.渡辺和子が85歳の時(2012)に出版されました。まさに長く貴い人生で得たエッセンスが一冊に詰まった贅沢な本だと思います。「老人が一人亡くなることは、図書館が一つ亡くなるに等しい」という諺がアフリカにあるそうですが、まさにそれを実感します。多くの人々の共感を得て、現在300万部を越えるベストセラーとなっています。短いお話からなるエッセイ集なので、思いついた時にどこから開いても繰り返し読めます。一章読んでは心の中で温めるスロー・リーディングに適した本です。

王さまのごめいれい

 もちろんSr.渡辺の体験談も参考になりますが、シスターが出会い、本に引用されている珠玉の言葉の数々も心に沁みます。その言葉と出会ってよかった!という気持ちになります。すぐれた先人たちの金言や詩のほかに、シスターの母の言葉や小学生が作った詩なども紹介されています。小学6年生の詩はこんな詩です。

   「王さまのごめいれい」

   といって、バケツの中へ手を入れる

   「王さまって、だれ?」

   「私の心のこと」

 寒い朝、ぞうきんをゆすぐ。冷たい水の入ったバケツに手をいれなければならない。こんな時、誰しも心の中で「いやだなあ」と思う気持ちと「でもしないといけない」という気持ちとの葛藤があります。この詩に対してシスターは次のようにコメントしています。

   実は、私たち一人ひとりの心の中にも、

   この「王さま」は住んでおられるのです。

   ためらっている私たちに、 善いことを

   「しなさいよ」とすすめ、悪いことを

   「してはいけません」と制止していて

   くださるのです。

 カピタニオの宗教の授業などで「良心の声」と生徒たちに伝えているのは、たぶんこの王様と同一人物だと思います。

校長 村手元樹

 

*講演「子供の本を通しての平和―子供時代の読書の思い出」(宮内庁のHPに全文記載)

渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎、2012)単行本

渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎文庫、2017)解説や後書きなどが付いています。

 

 

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スモール・スクール スロー・スクール

MicrosoftTeams-image (11)校庭に山吹の花が例年より、たくさん咲きました。

 聖カピタニオ女子高等学校はどんな学校か?と考える時、私は「スモール・スクール、スロー・スクール」という言葉を思い浮かべます。名が体を表すように本校は「カトリック学校」「女子校」という二つの大きな特色を持っています。「スモール・スクール、スロー・スクール」という理念はこの二つの特色に端を発したものに他なりません。

スモール・スクール

 「スモール・スクール」(小さな学校)。カトリック学校の多くがそうであるように創立以来、小規模な学校づくりを目指してきました。目の行き届く、少人数による家庭的な雰囲気こそ、教育の原点であり、一人ひとりを大切にし、その個性が伸ばせると考えるからです。

 本校が創立された昭和38年は高度経済成長のただ中でした。大量生産・大量消費、大規模な開発が進み、「大きいことはいいことだ」が流行語となりました。このような時代に小ささのメリットを重視したことは、創立に携わったシスター方の慧眼の賜物と言えます。岡倉天心は名著『茶の本』(1906)の中で茶道の小さな世界に大きく深遠な人間性が宿っていることに触れ、「大きなものの小ささ」「小さなものの大きさ」を説きました。聖カピタニオ女子高等学校も雑踏のような環境ではなく、心安まる、静かで小じんまりした日常の中で大きく深遠な人間性を育む場所でありたいと考えているのです。

スロー・スクール

 「スロー・スクール」は「スロー・フード」から連想した言葉です。スロー・フードはファースト・フード(fast food)に対して食生活を見直す運動です。促成栽培のようなやり方でなく、落ち着いた環境で生徒たちがゆっくりじっくり成長していける学校という意味で私は「スロー・スクール」という言葉を使っています。「すぐ役に立つ勉強はすぐに役に立たなくなる」と言われます。受験など目先の必要性だけに囚われず、生涯にわたって「人生の礎となる知恵と教養」を身につけることを目指します。

 女子校であることも「スロー・スクール」と関連性があります。ジェンダーを意識してしまいがちな共学と違い、性別の縛りから解放され異性の目を気にせず自分と向き合える期間は貴重な経験です。またカトリック学校として本校では毎日、朝と帰りに祈りの時間があり、心落ち着けて静かに自分を振り返る時間です。宗教の授業や行事にも取り組みます。巷では昨今、都会の喧噪から離れ、休日に癒やしの時間と空間を求める、神社仏閣めぐりや坐禅体験といったツアーが好評を博しています。3年間を宗教的な雰囲気の中で過ごすことはもっと貴重な体験となり得るでしょう。

校長 村手元樹

 

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カピタニオの合言葉 ―令和4年度一学期始業式のご報告―

 令和4年4月8日(金)、昨日の入MicrosoftTeams-image (10)学式に引き続き、晴天に恵まれ、全校生徒がそろって始業式を行い、今年度のスタートを切ることができました。始業式で生徒の皆さんに話した内容を以下に掲載いたします。新年度にあたってのメッセージです。お読みいただければ幸いです。

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         今年も校庭にこぶしの花が咲きました。

 始業式での話

 はじめまして。今年度から校長を務めることになりました村手です。前校長の小池先生から引き継いで皆さんと一緒に良い学校を作っていきたいと思います。よろしくお願いします。

 ところで良い学校とはどんな学校でしょう。小池先生は「喜びの声が響き渡る学校」という合い言葉を示されました。私はあえて新たな言葉を示しません。なぜなら皆さんは、すでに共通の合い言葉を持っているからです。それは毎日朝と帰りに唱えるお祈りの言葉です。この祈りの言葉の中に、私が、というよりカピタニオがみんなに伝えたい大切なことは、すべて入っています。

 この祈りの言葉は、世界中で多くの人が数千年に亘って唱えて来た「主の祈り」「アヴェマリアの祈り」そしてカピタニオのオリジナルの「授業前授業後の祈り」とで構成されています。「授業前の祈り」の中に「親、兄弟、先生、友だちと心から交わり、私の言葉や行いが人々を悲しませることなく、いつも人々の喜びとなりますように。」という言葉があります。この言葉の中に祈りのエッセンスはほぼ含まれています。「私の言葉や行いが人を悲しませず、人の喜びとなる」、ごく当たり前のことのようで、思った以上に難しい課題だと思います。私たちはしばしば知らず知らず人を悲しませてしまうことがあります。また何気なく掛けた、「おはよう」という朝の、たった一言が、声をかけた相手の一日を照らすことがあります。人間は大切なことをよく忘れます。だから毎日忘れないように祈る必要があるのです。

 この祈りの言葉はこう続きます。「今日も一生懸命に生き、私たちが平和な世界をつくる一粒の麦となれますように、力をお与えください。」一粒の麦はカピタニオが最も大切にしているキーワードです。「一粒の麦、地に落ちて死ななければ一粒のまま残る、死ねば豊かな実を結ぶ」という聖書の言葉から来ています。「平和な世界をつくる一粒の麦」の「世界」は一見、地球規模の世界をイメージし、自分から遠いことのように思えてしまいますが、たとえば家族や学校、クラスも一つの世界です。一人ひとりがその中の一粒の麦です。その小さな世界の平和はたった一人の我儘な言動で壊れてしまうし、一人ひとりの協力で居心地の良い、平和な世界を作ることもできます。

 平和は与えられるものではなく、作っていくものだと私は思います。よい学校もよい学年もよいクラスも誰かに与えられるものではなく、そのメンバーである一人ひとりが一粒の麦となって作っていくものではないでしょうか?

 かつて、ある神父様がこんなことをおっしゃっていました。「カピタニオ高校は、生徒たちみんなで、いい学校にしよういい学校にしようと努力している学校ですね。」おそらく、それは「私の言葉や行いが人を悲しませず、いつも人の喜びとなるように。」という願いを毎日ただ呪文のように人ごとのように唱えるだけでなく、生徒のみなさんが本当に心掛けてくれているからだと思います。今年度も豊かな実を結ぶようにともに頑張っていきましょう。

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