|聖カピタニオ女子高等学校|校長ブログ

【朝礼の話⑤】加藤恵先生の思い出

校庭の金木犀

正門の脇の金木犀が満開

◇慰霊の集いで読み上げられる名前◇

 11月はカトリック教会では死者の月ということで、来週の木曜日に慰霊の集いが予定されています。毎年の慰霊の集いの中で「本校の関係者でお亡くなりになった方のお名前」が一人ひとり読み上げられます。その中には私がカピタニオに来る以前にいらっしゃった、一度も会ったことのない先生のお名前もたくさんあります。今ある学校の精神を作ったり繋いだりした、その方たちは過去の人ではなく、私たちの心の中で一緒に生きている人だなと私は思っています。

◇加藤恵先生のご葬儀で◇

 今日はその中のおひとり、私が新任時代からお世話になった英語の先生、加藤恵先生の話をしたいと思います。2019年の11月に突然の訃報を聞きました。カピタニオを定年退職され、十年ほどが経っていました。お葬式に参列した際、弟さんが最後、挨拶をされ、「姉の人生にとってカピタニオ高校は本当に大きな存在でした。」とおっしゃっていました。

◇カピタニオの第2回卒業生として◇

 恵先生はカピタニオの2回生です。足に障害を抱えていらっしゃって、ずいぶん辛い思いをされたと思います。中学の時にカピタニオというキリスト教の学校が出来たと聞いて、心の支えになるのではないかと思って入学したそうです。3年間先生たちには本当にお世話になったと恵先生はよく言っていました。

 恵先生は必死に勉強して南山大学の英米学科に進学します。当時はカトリック推薦とかもない時代です。大学時代の経験で私がよく聞かされたエピソードがあって、お葬式の時に弟さんも話されていました。大学の先生に出身高校を訊かれ、「聖カピタニオ女子高校」と答えた時に、新設校だったこともあって、大学の先生が「どこだね、その学校は? 聞いたこともないな」と言われた。恵先生は愛する母校をそんなふうに言われて悔しくてたまらなかったようです。

◇カピタニオの英語の先生として◇

 大学卒業後、恵先生は英語の教員としてカピタニオに戻ってきます。ここまでの話でたぶん優しい穏やかな先生を皆さんは想像したかもしれません。実はそうではありません。迫力があって豪快で口が少し悪い。今ならコンプライアンス的にアウトという言動もあった気がします。さっきの大学の先生の話をする時も「悔しかったですわ。」みたいではなく、「くそっ!と思った」と言っていました。

 特に英語の勉強に関しては本当に厳しくて、授業でも予習して臨まない生徒はいなかったですね。お葬式の時、弟さんが恵先生が自宅でテストの採点していた時の様子を話していました。答案に向かってよく怒っていて「〇〇さん、何でこの問題ができんのォ?」などと言っているので、弟さんが「そんなに言わなくても」と理由を訊くと「この子はもっとできる子なの。」と力説する。自分がご苦労された分、生徒が努力を惜しむことについて自分のことのように悔しかったんだと思います。若い頃は「このくらいでいいか。」と自分をセーブしてしまいがちなんです。そんな生徒たちの力を何とか引き上げよう、背中を押そうという情熱を持っていた、厳しくて優しい先生でした。

◇「ちびたち」に込められた思い◇

 恵先生は生徒の話をする時「生徒たち」と言わず、だいたい「ちびたち」と言ってました。幼い子供のことを親しみを込めていう「ちびっ子」のちびです。自分より背の高い高校生に「ちびたち」は変な気がしますが、何て言ったらいいか、子供でもあり、可愛い後輩でもあり、生徒でもある、未熟ゆえにこれから成長する、伸びしろがいっぱいある親愛なる存在という響きがこもっていました。

 慰霊の集いで読み上げられる一人ひとりの先生にそれぞれのカピタニオへの思いや物語があります。もちろん会ったこともない人だから自分とは関係ないよと言うこともできます。そういった歴史みたいなものから自分を切り離して生きることもできます。でも、そういうことを感じながら生きる人生の方がより豊かになるのではないかと私は思います。皆さんは、どうでしょうか。

校長 村手元樹

*2022.10.20 全校朝礼

 

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【朝礼の話④】沖縄の言葉の魅力

色づき始めた花水木色づき始めた、校庭の花水木

◇沖縄の言葉「しまくとぅば」◇

 私はいま沖縄を舞台にした朝ドラを視聴しています。そこに出て来る、沖縄の言葉には優しく温かい響きがあり、生きる知恵がいっぱい詰まっているなあと思ったので、ほんの少しだけ紹介したいと思います。沖縄のことばを「しまことば」と呼んでいます。正確な発音は「しまくとぅば」と言います。沖縄の言葉は、短い「お(o)」の母音がなく、「う(u)」に変わるという規則性があるそうです。「ことば」の「こ(ko)」は「く(ku)」に、「と(to)」は「とぅ(tu)」に変化します。

◇はいさい・めんそーれ・ちばりよー◇

 皆さんも聴いたことのある言葉がいくつかあると思います。例えば、「はいさい」、正式には男性が「はいさい」、女性「はいたい」と言うそうです。どんな意味か分かりますか? そう、「こんにちは」という挨拶です。「めんそーれ」聞き覚えありますか? これは「いらっしゃいませ」。「ちばりよー」は「がんばれ」。これは「気張る」から来ています。沖縄の言葉では「き」は「ち」になまるという規則性があります。

◇ちむどんどん◇

 朝ドラでおなじみの「ちむどんどんする~」、「ちむ」は「きも(肝)」から来ています。「きも」は古語で「内蔵」や「心」を表します。「きも」の「き」は「ち」に、「も(mo)」は「む(mu)」に変わり、「ちむ」になります。したがって「ちむどんどん」は「胸がドキドキする」「心がワクワクする」という意味です。

なんくるないさ

 さて皆さんに今日一番知ってほしいのが「なんくるないさ」という言葉です。聞いたことありますか。意味もなんとなく想像つきますよね。「自然と何とかなるさ」という意味です。「なんくる」は「自然と」「ひとりでに」という意味だそうです。この言葉、単なる気休めの言葉でなく、深い意味があることが今回朝ドラを見ていて分かりました。「なんくるないさ」は省略形で本来「なんくるないさ」の前にある言葉が付くようです。先週朝ドラを見ていましたら、主人公が「まくとぅそーけー・なんくるないさ」と言っていました。「なんくるないさ」は分かったのですが、「まくとぅそーけー」って何だ?と思ったわけです。

まくとぅそーけー・なんくるないさ

 調べてみると、「まくとぅ」は「まこと(誠)」が訛った言葉です。「まこと」の「こ」は「く」に、「と」は「とぅ」に変わり、「まくとぅ」になります。「そーけー」はよく分からないのですが、「まくとぅそーけー」とは「人として正しい行いをしていれば、」「誠実に努力していれば、」という意味です。

 つまり「まくとぅそーけー・なんくるないさ」は「誠実に努力していれば、自然にあるべきようになる」という意味の言葉だと分かりました。「なんくるないさ」は「必ず成功する」ということではありません。「誠実に努力していれば、神様があなたをよい方向に導いてくれますよ」ということだと思います。「人事を尽くして天命を待つ」という故事成語と同じような趣旨の言葉です。

 この言葉ぜひ覚えてください。

校長 村手元樹

*2022.9.29 全校朝礼(オンライン)

 

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【朝礼の話③】キャッツ解説 ―令和4年度芸術鑑賞のご報告―

名古屋四季劇場

ジェリクルキャッツたち、名古屋四季劇場に集まる。

◇キャッツのあらすじ◇

 今日は、先日皆さんと鑑賞したキャッツの内容についてお話します。ミュージカルは音楽、美術、文学などが融合した総合芸術ですが、今日は文学的な側面から私なりに感じたことを三つのポイントに絞って振り返ってみたいと思います。先ずあらすじを確認しておきます。「今夜は年に一度の特別な舞踏会。そこに集まったジェリクル・キャッツの中から、最も純粋な猫が一匹選ばれ、新しい人生を生きることを許される。果してその猫とは?」というのが大まかな筋です。

◇ポイント①「死と再生の物語」◇

 ポイント①としてキャッツは「死と再生の物語」と言えます。孤独な娼婦猫グリザベラが、最後天に昇っていく姿、これは何を意味するでしょう? 死、天国に行く、成仏する、捉え方はいろいろ出来ますが、一つの終わりを意味します。同時に、再生、天国で暮らす、仏になる、転生など、始まりを意味しています。

 この物語の時間設定が夜であることも重要です。一日が終わり、眠りに就き、新たな一日が始まる、私たち人間も日々、終わりと始まり、小さな死と再生を繰返しながら生きているのです。主題歌「メモリー」も「デイライト 夜明けとともに 新たな命を 日はもう昇る」と歌っています。ちなみにキャッツで効果的に使われている「月」も死と再生の象徴となっています。満ち欠けがあり、30日周期で始まりと終わりが繰り返されますからね。

◇ポイント②「祝祭の物語」◇

 ポイント②、場面設定が「舞踏会」であることも大きな意味があります。舞踏会のような場を文学的には「祝祭空間」と呼んでいます。人生の節目、行事、儀式、具体的には入学式、卒業式、学園祭、結婚式などもそうです。その反対が普通の時、日常です。日本の文化では昔から「ハレ」と「ケ」という言葉で区別して来ました。晴れ舞台、晴れ着という言葉もありますね。

 ジェリクル舞踏会は、ジェリクル・キャッツたちのこれまでの人生を照らし出し、夜明けとともに新しい日常が始まります。私たち人間世界の卒業式も高校生活を照らし出し、新たな生活が始まる祝祭の場です。文学的には祝祭も死と再生の象徴と解釈されます。私たちはハレとケを繰返しながら生きているのです。皆さんもいま学園祭が終わり、日常を送っていますが、来週には体育祭というハレが待っていて、それが終わるとまた日常が訪れます。

◇ポイント③「救済の物語」◇

 最後のポイントはキャッツは「救済の物語」でもあるということです。グリザベラは、他の猫から蔑まれ、疎んじられる孤独な存在です。グリザベラが最後に歌う「メモリー」の、「お願い 私にさわって 私を抱いて 光とともに」という心の叫びのような歌声は皆さんも強く印象に残っていると思います。こう歌うと彼女を今まで遠ざけていた他の猫たちが近寄ってきてグリザベラの体を撫で、グリザベラは心の救いを得るわけですが、これは単なるスキンシップではなく、その人生に触れる、その人生を受け止め、抱きしめることを意味していると私は思います。ここで言う救済とは生きていてよかったという思いです。

 救済というとマザー・テレサのことが思い浮かびます。マザーは「死を待つ人々の家」を作り、道端に倒れ、誰にも顧みられることなく孤独に死んでいく人々を家に連れて帰り、介抱しました。手を握り、「あなたは大切な人です。神様から愛されています。」とマザーが言うと、その人たちは微笑んで小さくサンキューと言って息を引き取ったそうです。

 私たちも日々小さな救済をしたりされたりしています。奉仕活動で老人ホームに行った時、お年寄りが昔こんなことがあったよ、そうなんですね、そんなことがあったんですね、と話を聞いてあげて、その人生に触れることとか、友だちに励ましや慰めの声をかけるのも小さな救済かなと思います。

 以上、私はこんなふうにキャッツを見ましたが、皆さんはどうでしょう。何かの参考になれば幸いです。

校長 村手元樹

*2022.9.22 全校朝礼(オンライン)

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コロナ禍と青春 ―令和4年度2学期始業式のご報告―

MicrosoftTeams-image (31)真っ白になった本校舎

 にわかに秋の気配が感じられるようになりました。9月1日、2学期の始業式を予定通り行うことができました。新型コロナウイルスが高止まりしているのに加えて、熱中症の心配もある状況のため、始業式を放送で実施しました。生徒の皆さんに次のような話をしましたので、ご紹介します。

◇真っ白になった本校舎◇

 おはようございます。

 いよいよ2学期となりました。皆さんにご不便をおかけしましたが、夏休みに行った本校舎の塗装工事が無事終わり、本校舎が見違えるように白くなりました。白は清潔感、新たな始まり・可能性をイメージさせる色です。新たな気持ちで頑張っていきましょう。

◇仙台育英高校野球部の監督の言葉◇

 さて、この夏を振り返ってみると、私はいろいろ心に残る言葉に出会いました。そのうち、二つ皆さんと共有したいと思います。まず甲子園で東北勢初の優勝を果たした仙台育英高校の須江監督の優勝インタビューの言葉です。話題になったので、知っている人も多いと思います。「新型コロナウイルスの感染に翻弄され、それを乗り越えての優勝した3年生にどんな言葉をかけたいですか。」と質問され、「今の高校生活っていうのは、僕たち大人が過ごしてきた高校生活とは全く違うんです。青春って、すごく密なので。でもそういうことは全部ダメだ、ダメだと言われて。活動してても、どこかでストップがかかって、どこかでいつも止まってしまうような苦しい中で。でも本当にあきらめないでやってくれたこと、でもそれをさせてくれたのは僕たちだけじゃなくて、全国の高校生のみんなが本当にやってくれて。(中略)本当に、すべての高校生の努力のたまものが、ただただ最後、僕たちがここに立ったというだけなので、ぜひ全国の高校生に拍手してもらえたらなと思います。」という答えでした。

 「全国の高校生」は野球をやっている高校生だけを指した言葉ではないと私は思います。皆さんもコロナ禍の中で勉強、部活、受験、行事などいろいろなことを頑張ってくれています。皆さんがボランティア活動を行った先からも「本当に助かりました」と感謝の言葉をいただきました。拍手を送りたい気持ちです。

◇青春は密◇

 「青春は密」という言葉も印象的でした。自分の高校生活を振り返って果して密(充実)だっただろうか?と反省したんです。何事も当り前だと思ってありがたみも感じずただ毎日を何となく過ごしていたような気がします。

 残念ながら人間は自分の生きる時代を選ぶことはできません。戦争中に青春時代を過ごした若者もいます。時代を嘆くより、その時代の中でどうすれば、より充実して生きられるのかを考えることの方がはるかに重要だと思います。

◇カピタニオの今年の卒業生の言葉◇

 私がこの夏、心に残った言葉のもう一つは、本校を今年卒業した皆さんの先輩がオープンスクールで中学生に話してくれた言葉です。彼女も高校2年生3年生をコロナ禍の中で過ごしました。高校についていろいろ説明した最後に、卒業式の時にクラスの仲間と撮った写真をスライドで見せながら中学生にこのようなメッセージを伝えてくれました。「(~中学生の皆さんに一番伝えたいこと~)私が一番大切だと思うことは、誰とどんな環境で何を学ぶかだと思っています。私はこの高校で最高の友達と学んで、先生になんでも相談して、なんでも質問して、この高校でしか学べないことを学びました。私はこの高校時代が最高だったと心から思います。」

◇大切なのは、誰とどんな環境で何を学ぶかを意識すること◇

 最高の高校時代だったと振り返ってくれて私は何か救われたような気持ちになりました。ただそれは「最高の高校時代だった」というより、彼女が「最高の高校時代にした」のだと思います。だからここに来れば誰でも最高の高校生活を送れるよと中学生に言っているわけでは全くありません。「なんでも相談した」という表現でその途上でいろんなことに悩み、壁にぶつかりながら歩んだ高校生活だったことが読み取れます。苦しみを伴わない最高の高校時代なんてないと思います。そもそも困難を乗り越えることがなかった高校生活は密とは言えません。そして彼女がなぜ最高の高校生活にできたかというと、「誰とどんな環境で何を学ぶか」を常に意識して高校生活を主体的に送ったからに他なりません。

 私は彼女とそんなに接点はなかったのですが、受験の時、スクールバスの2便で帰ると決めて、放課後学習室で勉強して、先生に質問に来る姿もよく見かけました。いま自分がいる環境の中で、自分が何を誰とどうできるかを必死に模索していたことは容易に想像できます。

 いろいろと不自由なことや苦労が多い毎日ですが、卒業の時に「いい高校時代だったな」と思えるように一つ一つ取り組んでいきましょう。

校長 村手元樹

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始業式の夕方、美しい虹が架かりました。

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健康に関する意思決定と行動選択 ―令和4年度夏休み出校日のご報告―

鱗雲

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども・・・

 残暑お見舞い申し上げます。8月18日、出校日でした。登校時間はあいにく激しい雨に見舞われ、午後からは晴れるという天候でした。昨今の不安定な気候、猛暑による熱中症の危険に加えて、新型コロナウイルスも高止まりが続くという状況で、健康には細心の注意が必要だと思い、朝の放送で生徒の皆さんに次のような話をしました。(一部補った部分もあります)

◇NHKラジオ高校講座「保健」を聞く◇

 おはようございます。雨の中、登校お疲れ様でした。

 夏休みもあと2週間となりました。2学期のスタートを良い形で迎えられるように有意義に過ごしてください。

 修業式でも言いましたが、まずは一番大切なこと、引き続き体調管理には十分気をつけて過ごすことです。先日たまたまNHKラジオの高校講座の保健の授業を耳にしたのですが、その日のテーマが「健康に関する意思決定と行動選択」でした。講師は大学の先生で、聞き役がタレントの壇蜜さんでした。健康に関する正しい情報を踏まえて、何に気を付けてどう過ごすかを自ら考え、行動を選択すること。そういう意味では毎日が保健の勉強だなと改めて思ったわけです。

◇「運動」「栄養」「休養」「時間管理」◇

 昔から夏バテという言葉があるように、高温多湿の夏はもともと体調をくずしやすいので、保健の授業で習うように、「適度な運動」「栄養」「休養および睡眠」「規則正しい生活および時間管理」を心掛けることが大切です。そういう意思決定と行動選択が感染症対策や熱中症対策にもなります。またそれが日々の活動を充実させることにも繋がってくると思います。

◇私の夏休みの過ごし方◇

 私自身も夏休みをそんなふうに過ごしています。「規則正しい生活」「無理をしない」が目標です。早寝早起き。睡眠をしっかり取る。朝日を浴びる。(人間は思う以上に生物です。太陽とともに起き、太陽とともに休むというのが体にいいのは自然の摂理なのかもしれません)朝食を食べる。文部科学省も「早寝早起き朝ごはん」を推奨していて、就寝リズムや朝食摂取が学力とも関係しているデータを公表していますよ。

 水分をこまめに取る。できるだけ野菜を食べる。仕事の合間に適度な休憩を入れる。頭が疲れたら私はよくチョコレートを食べます。疲れが癒やされる、集中力を高める、脳を活性化するなどさまざまな効果があると言われています。また幸せホルモンと言われるセロトニンの分泌を促すので、心なしか幸せな気分になります。もちろん食べ過ぎはよくないので、量には気を付けています。

◇無理をしない◇

 無理をしないということですが、昔だと庭に雑草が生えていると今日やってしまおうと炎天下で何時間も草取りをしてくらくらとしていましたが、最近は本当に危険なことだと思い、リスクをおかして1時間より30分で2日間やればいいのではないかという考え方になってきました。少し頭がよくなってきたんですね。

 「無理をしない」ということは「努力を惜しむ」ことではなく、要するに「理屈に合った、合理的な努力をする」ということです。時間管理をして計画的に持続的に行った方が結果的に効率がいいことが多いです。いわゆる「サステナブル」です。

 草取りに限らず仕事や勉強も同じ。健康に気を付けながら、さまざまな活動をできるだけ無理せずサステナブルに楽しく進めてください。

校長 村手元樹

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