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叩けよ、さらば開かれん ―令和4年度3学期修業式のご報告―
今年も雪柳が咲きました。青い空と白い校舎によくマッチします。
◇修業式のようす◇
3月17日(金)修業式を行いました。修業式ではマスクをしながらでありましたが、久々に聖歌「鹿のように」と「校歌」のすばらしい合唱がカリタスホームに響き渡りました。また1年生普通コース(1年英語コースはオーストラリア留学中)と2年生の各クラスの室長が、クラスの1年をふりかえった反省・感想および新年度への抱負を述べました。
修業式後には、今年度いっぱいで退任される先生方の挨拶がありました。在校生への温かいメッセージ、ありがとうございました。2年生はその後、入学式の歌の練習をしました。コロナ禍でなかなか歌を歌えない状況であったとは思えない予想以上の出来映えに驚きました。新3年生が入学式に参列して新入生を迎えるのもコロナ禍以前の2019年以来となります。
以下は修業式で在校生の皆さんに伝えた私の話です。
◇一年間お疲れさまでした◇
今日は二つほど皆さんに言いたいことがあります。
一つ目は「一年間本当にお疲れ様でした」ということです。一年間学校に通うということはそんなに当たり前のことではないと思います。暑い日も寒い日も晴の日も雨の日も朝早く起きて、電車やバスに揺られ、坂道を登り、授業を一日受けて帰るというのは楽なことではありません。日々ちょっとした面倒なことや辛いこともあります。そういうことを乗り越えながら、よくここまで来ました。今日家に帰ったら、自分へのご褒美にプリンでも食べてください。高校生にとって休息も大事な仕事なので、春休みにしっかり鋭気を養ってほしいと思います。
◇卒業した先輩たちから後輩たちへのメッセージ◇
二つ目に言いたいことは、「今年度の反省を踏まえて、よりよい高校生活になるように新たな一年に向かって踏み出しください」ということです。今週月曜日のキャリアガイダンスで今年卒業した先輩たちがお話しに来てくれました。単に「合格体験談」というより、高校時代をどう過ごしたかという話でもあったかと思います。ぜひ自分の今の高校生活を再点検し、来年度をどう過ごすのかを考える参考にしてください。
今回の先輩たちの話の中で、印象に残った共通点をお話しします。一点目は、みんな確かなビジョンを持っていることです。ビジョンは「将来を見通す力」という意味です。高校生活をどう過ごすのかを広いスパン(時間の幅)で見るということです。二点目は、具体的な計画性と実践です。1年間ぐらいの長期的なビジョンを毎日のスモールステップの計画性に反映させ、実践することです。例えば一人の先輩は「長期」「中期」「短期」というように目標を設定したそうです。「長期」は志望校への合格。「中期」は何年生の何月までにこういう力をつける、とか、英検何級に合格するなど。「短期」は一日英単語200個覚えるなどの具体的な目標。つまり広めの展望を持って細かく計画するということです。
三点目は進路選択に際して情報収集をしっかりしていること。インターネットなどを通して綿密に調べると同時に、オープンキャンパスに参加したり、模擬授業を受けたりする。自分の目で見て、雰囲気を肌で感じることで、モチベーションもアップしたと言います。
◇叩けよ、さらば開かれん◇
先輩たちの話を聞いていてある聖書の言葉が思い浮かびました。「叩けよ、さらば開かれん」という言葉です。チャンスの扉は目の前にたくさんあります。既に単語集も持っているし、スタサプもあるし、質問があれば先生もいます。あとはその扉を叩くかどうかです。
もう一つ先輩たちが生き生きと話していたのを見て、受験勉強は辛いことも多いと思いますが、全体的に楽しかったんじゃないかなと感じました。受験勉強をそれなりに楽しんでいたんじゃないかなと。つらい経験だったら、自分の後輩たちにあんなに生き生きと話さないと思うんですね。私は常々、勉強は「楽しい」ものでなく、「楽しくする」ものだと思っています。自分なりの工夫を凝らして頑張って続けているうちに楽しさが生まれてくる。要するに頑張って勉強したあとに食べるプリンはすごく美味しいということです。
よい春休みをお過ごしください。
校長 村手元樹
ああ感謝せん ―令和4年度第58回卒業証書授与式ご報告―
令和5年3月2日、無事卒業式を行うことができました。夜から早朝にかけてパラついた雨模様も、式が始まる頃にはすっかり晴れ渡った好日となりました。ここ2年、感染症対策のため、在校生が参列できず、基本的には歌声もない卒業式でしたが、今年度は、2年生も参列し、卒業生とともに「ああ感謝せん」の歌声がカリタスホームに戻ってきました。来年度は1年生も加えて全校生徒で卒業を祝えるといいなと思います。
今年の卒業生が加わったことで、聖カピタニオ女子高等学校の卒業生は1万人を越しました。来年度、創立60周年も迎えます。長い時間をかけて多くの方が培ってきた伝統を守っていかなければならないと気持ちを新たにしました。
以下は卒業式で述べた式辞です。
◇式辞◇
まず日に日に春の訪れが感じられる今日のこのよき日に、保護者の皆様・ご家族の皆様のご列席を賜り、卒業式を行うことができますことに心から感謝いたします。保護者の皆様、お嬢様のご卒業をお祝い申しあげますとともに、ご入学以来、本校の教育方針に深いご理解とあたたかいご協力をいただき、本当にありがとうございました。そして卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
北山修さんという方の言葉を紹介するところから私の式辞を始めます。北山修さんは精神科医・臨床心理学者で、若い頃はフォークシンガーとしても活躍し、「あの素晴らしい愛をもう一度」という曲の作詞者としても知られている人です。
北山さんは「教師にとって生徒の前からいなくなるのも仕事のうちである」と言っています。教師の最後の仕事は生徒の前からいなくなることだ、ということです。心理学では「いなくなるから取り入れられる」という原則があるそうです。その人が本当に伝えたい大切なことは、その人がいつも目の前にいる状態ではなく、その存在がなくなり、心の中の存在となってから、徐々にそのイメージが相手の心の中に取り入れられ、内在化されるということです。私たち教職員にも、とうとうその最後の仕事をする時が来たようです。
思い起こせば三年前、皆さんの高校生活は、入学式を行なった翌日からいきなり1か月以上の休校、という始まりでした。それ以降も、カピタニオで思いっきり体験してほしかった多くの行事が、中止や縮小にせざるを得ない状況になりました。でも仕方ないでは片付けられない、皆さんにとっては一度きりしかない大切な高校生活です。予測困難な社会状況の中、皆さんの安心安全を守りつつ、何ができるのかを教職員みんなで、必死に暗中模索した三年間でもありました。「もっとこうすることができたのではないか」という反省や心残りもありますし、至らない点もたくさんあったと思います。
しかし、この三年の間にカトリック学校として教えるべきことは、皆さんにすべて教えたつもりです。自分および他者をかけがえのない大切な存在であると尊重し、その幸せを祈って過ごすこと。目に見えるものだけでなく、目に見えない背景や本質を見極め、周りに流されず自分の考えをしっかりと持つこと。自分の弱さを知り、自分が他者によって支えられていることを自覚し、感謝すること。そして自分自身も他者の支えとなるように努め、愛の実践をすること。周りの人と一緒に平和な社会を作る一粒の麦となること。そのためにこそ、学びが必要であること。そして何よりも愛の力を信じること。人として幸せに生きるために大切なことをこの学校でいろいろと学んだと思います。
とは言え、私たちはただ皆さんの心に種を蒔いたに過ぎません。皆さん自身がこれからの人生において、その種を大切に育て続けてほしいと思います。
皆さんに感謝したいことがあります。コロナ禍の中で過ごした高校生活でしたが、皆さんは誠実に学校生活を送り、地道な努力を惜しまず、できる限りのことを臨機応変に粘り強く行ない、制約が多い行事においても精一杯楽しもうとしてくれました。その姿は私たち教職員の救いにもなりましたし、励みにもなりました。後輩たちも同じ気持ちだと思います。
この三年間、制約が多いことを通してかえって、物事を深く考えたり、何かに強い感慨を抱くことも多かったのではないでしょうか。その意味では、この三年間がコロナ禍以前の当たり前のように過ごした高校生活に勝ることはあったとしても劣るとは思えません。より低く身を屈めた者がより高く飛ぶことができる。この高校生活が必ず次なる飛躍へとつながることを信じてやみません。
この先の人生においても、さまざまな困難があるでしょう。慌ただしい生活に疲れたり、壁にぶつかる時もあるでしょう。そんな時、立ち止まって高校生活で学んだことを振り返ってみてください。また何かに迷った時には学校を訪ねてください。自分の弱さを知り、自分一人だけで解決しようとせず、人の支えや助けを求める勇気を持つことも、カピタニオで学んだ大切なことの一つです。
最後に皆さんとの出会いに感謝するとともに、皆さん一人ひとりの前途に、神様の豊かなお恵みがあることを心から祈って、今日のはなむけの言葉といたします。
令和5年3月2日
聖カピタニオ女子高等学校
校長 村手元樹
卒業式の二日前、卒業感謝ミサも無事行うことができました。
【朝礼の話⑨】「最も大いなるものは愛」
マリア像の脇に乙女椿が咲きました。花言葉は「控えめな愛」です。
◇少女小説のヒロインの3つ目の共通点◇
先回先々回としてきた話の最終回です。『赤毛のアン』や『小公女』など、女の子の成長を描いた古典的な成長小説の主人公には特に重要な三つの共通する長所があると私は考えています。これはそれを書いた女性作家たちが自分の人生を通して学んだ生き方を読者たちに伝えようとしたメッセージです。またそういう生き方をすることで幸せな人生を歩んでほしいという願いでもあります。「賢さ」、精神的な「強さ」についてお話ししてきましたが、最後の三つ目は、「優しさ」です。「思いやりがある」という意味の「優しさ」です。形容詞で言うと「優しさ」という表現になりますが、「愛の心を豊かに持っている」と言い換えた方がはっきりするかもしれません。
◇主人公に「みなしご(孤児)」が多いのはなぜ?◇
これらの小説の主人公は「みなしご」であることが多いのですが、それはなぜでしょう。時代状況を反映しているとか諸説ありますが、私はこれらの小説のテーマが愛だからだと思います。愛の尊さを強調するため先ず愛のない状態を設定する必要があったのだと思います。親の愛を知らずに育った主人公が愛をつかんで幸せになるという展開です。
◇愛の心を育む必要条件◇
主人公が愛の心を育むには二つの必要条件があります。一つは愛されること。主人公に親以外の愛の手が差し伸べられ、愛されることによって彼女たちは人を愛することを覚えていきます。もう一つ大切な条件は、他者を愛するためには自分自身を先ず愛することが必要だということです。
◇「愛の実践」◇
宗教の授業で何十年も継続している「愛の実践」の発表があります。とても素晴らしい取り組みだと私は常々思っています。というのは、聖書に「最も大いなるものは愛」(コリント人への第一の手紙)とありますが、愛というものはもちろん目に見えないし、完全に言語化することも難しいわけです。だから具体的な実体験を通して、自分自身がうれしいと感じたことを人に行うことを繰り返しながら、徐々にイメージを深めて明確にしていくしかないもののように思います。
また、実体験するほかにも、愛をテーマにした小説を読んで、追体験することで「愛する」とはどういうことかの理解を深めることもできます。そういった小説もできるだけ沢山皆さんに読んでほしいと思っています。
以上、3回にわたってお届けしてきました話はもちろん単なる文学論ではありません。皆さんにも「賢さ」「強さ」「優しさ」を備えた人になってもらいたいというメッセージです。
校長 村手元樹
*2023.2.16 全校朝礼
*三部作の前の話も併せてお読みください。
【朝礼の話⑦】「賢い」ってどういうことだろう?|聖カピタニオ女子高等学校|校長ブログ (st-capitanio.ed.jp)
【朝礼の話⑧】「私は弱いときにこそ強いからです。」|聖カピタニオ女子高等学校|校長ブログ (st-capitanio.ed.jp)
【朝礼の話⑧】「私は弱いときにこそ強いからです。」
垣根から空に伸びあがった山茶花
◇少女小説のヒロインの2番目の共通点◇
先回の朝礼で『赤毛のアン』や『小公女』などの古典的な少女小説の主人公には特に学ぶべき三つの共通する長所があって、その一つ「賢さ」についてお話ししました。今日は二つ目の共通点の話をします。それは「強さ」です。もちろん体力ではなくて精神的に「強い」という意味です。主人公の女の子たちは皆、強い心を持っています。
◇「強さ」とは?◇
精神的な強さと言ってもいろいろありますが、その中でも大切なのは「粘り強い」「根気強い」、たとえすぐに成果がでなくても継続する強さ、サステナブルな強さです。もう一つ大切なのは、失敗してもくじけずに立ち直るレジリエントな強さです。いわゆる雑草のような強さです。
◇「強い」の反対は「弱い」ではない◇
今日私が一番言いたいことは「強い」の反対は「弱い」ではないことです。むしろ自分の弱さを認め、肯定するところから真の強さは生まれます。聖パウロは「コリント人への第二の手紙」の中で「私は自分の弱さを誇ることにします。…私は弱いときにこそ強いからです。」と言っています。この言葉には聖書的な深い意味がありますが、一般的にも言えることだと思います。先回、本当に賢い人は自分は賢くないという自覚をしている人だ(無知の知)と言いましたが、それと同様に本当に強い人は自分の弱さを自覚しているものです。
◇自分の弱さを知ること◇
人間はもともと誰しも弱い存在です。自分一人の力では生きていくことはできないからです。今日の食事一つ取ってみても、生産者や食料を運ぶ人、調理する人がいなければ食べることはできません。お互い他の人の力を借りて助け合って生きているのです。自分の弱さを知ることは、自分が他者の力に支えられていること、それによって初めて自分が力強く立っていられることを認識することでもあります。
日本語に「心が強い」と書いて「心強い」という言葉があります。「私、心強いです」という時、「私は心が強いです」という自慢ではありません。「あなたがいるおかげで私の心は強くなります」という具合に必ずそこに他者が想定されています。この言葉は強さの本質を表していると思います。
◇卒業生のことば◇
こういうことはカピタニオ高校で皆さんに学んでもらいたいことでもあります。最後にある卒業生の言葉を紹介します。学校案内にも掲載されているのですが、学校に対する思いを語ってもらったインタビューの中での言葉です。
「私は今、東京で働いていますが、社会に出ると本当に多くの人と出会います。時には、お互いの考えが合わず自信を無くすこともありますが、自分と違う「他者」、そして他者と違う「自分」を素直に受け入れられるようになったのは、カピタニオで過ごした日々のおかげだと感じています。「気づき」を大切にしているこの学校で、私は自分の弱さや人のやさしさを知りました。そうした心の学びが、今の私の糧となっています。」
今日のお話は以上です。
校長 村手元樹
*2023.2.9 全校朝礼
【朝礼の話⑦】「賢い」ってどういうことだろう?
冬の寒さに負けずに咲く、地植えのパンジー(ルーチェ・ガーデン)
◇少女小説のヒロインの「賢さ」◇
今日は「『賢い』ってどういうことだろう?」というお話をしたいと思います。
女の子がさまざまな体験を通して、内面的に成長していく姿を描いた、優れた小説があります。例えば『赤毛のアン』や『小公女』、『足長おじさん』、『ハイジ』『愛の妖精』などです。このような小説から私たちは生き方を学ぶことができます。主人公にはいくつかの共通点があると思います。特に重要だと私が考える共通点が三つほどあります。その一つが「賢さ」です。
◇「賢さ」「wisdom」「sophia」◇
「賢い」にもいろいろな意味がありますが、ここで言う「賢い」とは、「思慮深い」「知恵がある」という意味です。英語で言うとwise(ワイズ)という単語に相当します。wiseの名詞形はwisdom(ウィズダム)、「知恵」とか「思慮深さ」と訳します。Wisdomは、ギリシア語ではsophia(ソフィア)という言葉に相当します。例えば上智大学の上智は優れた知恵ということで、海外では「Sophia University」という名で通っています。欧米では女の子の名前にも「Sofia」はよく使われていて、日本だと知恵子さんに当たります。賢い子になるようにとの親の願いが込められているのだと思います。
◇「賢い」とは要するに◇
さて「賢い」=「思慮深い」とは簡単に言うと考えが深い、浅くないということですが、では要するにどういうことでしょう。「考えが浅い」とは物事を一つの方向からしか見ない状態です。これが極端になると、一つの視点に偏る見方、つまり偏見となります。逆に「考えが深い」とは物事をいろいろな角度から見ることができるということだと思います。また、物事の、目に見えている部分だけでなく、目に見えない背景や本質を見極めることができるということです。
◇無知の知◇
一つ大切なことがあります。それは「自分のことを賢いと思っている人はだいたい賢くない」ということです。まだまだ自分には知らないことがたくさんある、自分は今こう考えるけど、もっと別の考え方もあるかもしれない、「私は賢くなるための努力をしている途中です」というのが、本当の「賢い」という状態だと思います。そういうことを最初に言ったのはおそらくソクラテスという哲学者です。その考え方を端的に表したのが「無知の知」という有名な言葉です。あるいは最近では「不知の自覚」とも言うようです。
私も皆さんに賢い人になってもらいたいという願いを持っています。
校長 村手元樹
*2023.1.26 全校朝礼
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