エッセイ|聖カピタニオ女子高等学校|校長ブログ

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「置かれた場所で咲きなさい」という言葉の深い意味

MicrosoftTeams-image (21) カピタニオ像前のマーガレットです。

 以前、このブログでSr.渡辺和子の『置かれた場所で咲きなさい』という本を紹介しました。4月13日の新入生オリエンテーションの折にもこの本に触れ、このタイトルの意味について一緒に考えました。その時にした話をダイジェストで紹介します。

◇「置かれた場所」は受身表現(受動態)◇

 このタイトルはSr.渡辺が本当に辛かった時に、ある神父様から渡された英語の詩の一節だそうです。英詩を直訳すると「神様が私を植えた場所」となりますが、「置かれた場所」という訳は絶妙だと思います。「置かれた」は受身(受動態)です。「I was born.」(私は生まれた)も受身です。自分が自分の意思ではなく(あるいは自分の意思だけではなく)、たとえ神と呼ばなくても何か大きな力によってそこに存在しているというのは人生の真理です。だから私がここにいるのはある意味、自分(だけ)の責任ではないと言えます。いつの間にか人間としてこの世に存在し、日本に生まれ、いま愛知県のこの学校にいる、それはまさに「置かれた場所」です。

◇「咲きなさい」は能動態◇

 しかしこのタイトルは文の後半で「咲きなさい」と能動態に転じます。つまり今私がこの場所にいるのは自分の責任でないかもしれない。でもそれを今度は自分の責任として引き受けて能動的に生きるというのが「咲きなさい」が意味するところだと私は思います。「自分の人生を引き受ける」ことは「自己を肯定する」ことです。日本の若者は自己肯定感が低いとよく指摘され、社会的に重要な課題となっています。

◇「置かれた場所」で咲かないといけないのか?◇

 このような表面的な批判が本に対してあったようです。でもSr.渡辺はそんなことを言っているのではありません。もちろん現代社会では居場所を変更することは基本的に個人の自由です。どんな場所であっても我慢して生きなさいということではありません。実際シスターは文庫本の後書きで「どうしてもここでは咲けないと見極めたら、場所を変えたらいい。(そうして幸せになった人もいます)ただし、置かれた場所のせいにばかりして、自分が変わる努力をしなければ、決して幸せを得ることはできない」とおっしゃっています。明治になって居場所の自由を得た現代人がその代償として自分の居場所を失う孤独を味わうと予言したのは夏目漱石でした。

◇大切な出会いは受身から始まる◇

 実は「受身」ということにも大きな意味があるのです。自分がまだその価値を知らない、未知のものとの出会いは受動態であることが多いです。なぜなら人は価値の分からないものに自ら進んで取り組むことはあまりしません。たとえば授業も置かれた場所と言えるのですが、特に苦手科目や好きでない科目の授業は基本的に受身モードで辛い場所です。やらされている感が強く、時には「どうしてこんな科目をやる必要があるのか」と毒づいたりもします。なぜならその時はまだ価値が分からないからです。しかし後からその価値がわかるとその時はじめて自分の世界は未知のものに開かれ、広がっていくのです。

 だからその時の自分が必要と思うものだけに取り組むという姿勢では自分の殻は破れません。食べ物にたとえると「好きなものしか食べない」「食わず嫌い」という状態です。自分にとって将来本当に必要なものが何であるかはその時の自分には分からない。なぜなら自分の世界を広げてくれる未知のものは大抵自分の理解の外側にあるからです。

 未知のものに取り組まされることによって未知が既知に変わって初めてその必要性に気づくものです。お母さんが子供にニンジンを無理矢理食べさせるのは、子供には分かっていない価値を母親は分かっているからです。子供がニンジンの価値に気づくのは後になってからです。自分にとって本当に大切な出会いの多くは受身の状態から始まります。

村手元樹

 

 

 

 

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スモール・スクール スロー・スクール

MicrosoftTeams-image (11)校庭に山吹の花が例年より、たくさん咲きました。

 聖カピタニオ女子高等学校はどんな学校か?と考える時、私は「スモール・スクール、スロー・スクール」という言葉を思い浮かべます。名が体を表すように本校は「カトリック学校」「女子校」という二つの大きな特色を持っています。「スモール・スクール、スロー・スクール」という理念はこの二つの特色に端を発したものに他なりません。

スモール・スクール

 「スモール・スクール」(小さな学校)。カトリック学校の多くがそうであるように創立以来、小規模な学校づくりを目指してきました。目の行き届く、少人数による家庭的な雰囲気こそ、教育の原点であり、一人ひとりを大切にし、その個性が伸ばせると考えるからです。

 本校が創立された昭和38年は高度経済成長のただ中でした。大量生産・大量消費、大規模な開発が進み、「大きいことはいいことだ」が流行語となりました。このような時代に小ささのメリットを重視したことは、創立に携わったシスター方の慧眼の賜物と言えます。岡倉天心は名著『茶の本』(1906)の中で茶道の小さな世界に大きく深遠な人間性が宿っていることに触れ、「大きなものの小ささ」「小さなものの大きさ」を説きました。聖カピタニオ女子高等学校も雑踏のような環境ではなく、心安まる、静かで小じんまりした日常の中で大きく深遠な人間性を育む場所でありたいと考えているのです。

スロー・スクール

 「スロー・スクール」は「スロー・フード」から連想した言葉です。スロー・フードはファースト・フード(fast food)に対して食生活を見直す運動です。促成栽培のようなやり方でなく、落ち着いた環境で生徒たちがゆっくりじっくり成長していける学校という意味で私は「スロー・スクール」という言葉を使っています。「すぐ役に立つ勉強はすぐに役に立たなくなる」と言われます。受験など目先の必要性だけに囚われず、生涯にわたって「人生の礎となる知恵と教養」を身につけることを目指します。

 女子校であることも「スロー・スクール」と関連性があります。ジェンダーを意識してしまいがちな共学と違い、性別の縛りから解放され異性の目を気にせず自分と向き合える期間は貴重な経験です。またカトリック学校として本校では毎日、朝と帰りに祈りの時間があり、心落ち着けて静かに自分を振り返る時間です。宗教の授業や行事にも取り組みます。巷では昨今、都会の喧噪から離れ、休日に癒やしの時間と空間を求める、神社仏閣めぐりや坐禅体験といったツアーが好評を博しています。3年間を宗教的な雰囲気の中で過ごすことはもっと貴重な体験となり得るでしょう。

校長 村手元樹

 

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