「2022年04月」の記事
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【おすすめBOOK①】Sr.渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』
校庭に花水木も咲きました。
本との出会い
高校時代によい本とたくさん出会ってほしいと私は思っています。素敵な人との出会いと同じように、良い本との出会いも自分の世界を広げ、人生を豊かにしてくれます。読書家としても知られる上皇后の美智子さまは、子供時代の読書が自分に「根っこ」と「翼」を与えてくれたとおっしゃっています(*)。ちなみに美智子さまは青年期をカトリック学校で過ごされました。私が出会い、心に残った本を紹介していきたいと思っています。
Sr.渡辺和子
今回紹介する本の著者である渡辺和子さんも青年期をカトリックの学校で過ごし、洗礼を受けた後、岡山にあるカトリックの女子大学で長く学長を務められた方です。豊かな教養、さまざまな出会いや辛い経験の中から得た「知恵」は、私たちの人生や日々の生活について多くの示唆を与えてくれます。本校にもお話に来ていただいたこともあります。お亡くなりになられましたが、私たちはいまもSr.渡辺和子の多くの著作物からその知恵に触れることができます。私は最近、三十年以上前に発刊された『渡辺和子著作集』(全五巻)を入手しました。
『置かれた場所で咲きなさい』
この本はSr.渡辺和子が85歳の時(2012)に出版されました。まさに長く貴い人生で得たエッセンスが一冊に詰まった贅沢な本だと思います。「老人が一人亡くなることは、図書館が一つ亡くなるに等しい」という諺がアフリカにあるそうですが、まさにそれを実感します。多くの人々の共感を得て、現在300万部を越えるベストセラーとなっています。短いお話からなるエッセイ集なので、思いついた時にどこから開いても繰り返し読めます。一章読んでは心の中で温めるスロー・リーディングに適した本です。
王さまのごめいれい
もちろんSr.渡辺の体験談も参考になりますが、シスターが出会い、本に引用されている珠玉の言葉の数々も心に沁みます。その言葉と出会ってよかった!という気持ちになります。すぐれた先人たちの金言や詩のほかに、シスターの母の言葉や小学生が作った詩なども紹介されています。小学6年生の詩はこんな詩です。
「王さまのごめいれい」
といって、バケツの中へ手を入れる
「王さまって、だれ?」
「私の心のこと」
寒い朝、ぞうきんをゆすぐ。冷たい水の入ったバケツに手をいれなければならない。こんな時、誰しも心の中で「いやだなあ」と思う気持ちと「でもしないといけない」という気持ちとの葛藤があります。この詩に対してシスターは次のようにコメントしています。
実は、私たち一人ひとりの心の中にも、
この「王さま」は住んでおられるのです。
ためらっている私たちに、 善いことを
「しなさいよ」とすすめ、悪いことを
「してはいけません」と制止していて
くださるのです。
カピタニオの宗教の授業などで「良心の声」と生徒たちに伝えているのは、たぶんこの王様と同一人物だと思います。
校長 村手元樹
*講演「子供の本を通しての平和―子供時代の読書の思い出」(宮内庁のHPに全文記載)
渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎、2012)単行本
渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎文庫、2017)解説や後書きなどが付いています。
スモール・スクール スロー・スクール
校庭に山吹の花が例年より、たくさん咲きました。
聖カピタニオ女子高等学校はどんな学校か?と考える時、私は「スモール・スクール、スロー・スクール」という言葉を思い浮かべます。名が体を表すように本校は「カトリック学校」「女子校」という二つの大きな特色を持っています。「スモール・スクール、スロー・スクール」という理念はこの二つの特色に端を発したものに他なりません。
スモール・スクール
「スモール・スクール」(小さな学校)。カトリック学校の多くがそうであるように創立以来、小規模な学校づくりを目指してきました。目の行き届く、少人数による家庭的な雰囲気こそ、教育の原点であり、一人ひとりを大切にし、その個性が伸ばせると考えるからです。
本校が創立された昭和38年は高度経済成長のただ中でした。大量生産・大量消費、大規模な開発が進み、「大きいことはいいことだ」が流行語となりました。このような時代に小ささのメリットを重視したことは、創立に携わったシスター方の慧眼の賜物と言えます。岡倉天心は名著『茶の本』(1906)の中で茶道の小さな世界に大きく深遠な人間性が宿っていることに触れ、「大きなものの小ささ」「小さなものの大きさ」を説きました。聖カピタニオ女子高等学校も雑踏のような環境ではなく、心安まる、静かで小じんまりした日常の中で大きく深遠な人間性を育む場所でありたいと考えているのです。
スロー・スクール
「スロー・スクール」は「スロー・フード」から連想した言葉です。スロー・フードはファースト・フード(fast food)に対して食生活を見直す運動です。促成栽培のようなやり方でなく、落ち着いた環境で生徒たちがゆっくりじっくり成長していける学校という意味で私は「スロー・スクール」という言葉を使っています。「すぐ役に立つ勉強はすぐに役に立たなくなる」と言われます。受験など目先の必要性だけに囚われず、生涯にわたって「人生の礎となる知恵と教養」を身につけることを目指します。
女子校であることも「スロー・スクール」と関連性があります。ジェンダーを意識してしまいがちな共学と違い、性別の縛りから解放され異性の目を気にせず自分と向き合える期間は貴重な経験です。またカトリック学校として本校では毎日、朝と帰りに祈りの時間があり、心落ち着けて静かに自分を振り返る時間です。宗教の授業や行事にも取り組みます。巷では昨今、都会の喧噪から離れ、休日に癒やしの時間と空間を求める、神社仏閣めぐりや坐禅体験といったツアーが好評を博しています。3年間を宗教的な雰囲気の中で過ごすことはもっと貴重な体験となり得るでしょう。
校長 村手元樹
カピタニオの合言葉 ―令和4年度一学期始業式のご報告―
令和4年4月8日(金)、昨日の入学式に引き続き、晴天に恵まれ、全校生徒がそろって始業式を行い、今年度のスタートを切ることができました。始業式で生徒の皆さんに話した内容を以下に掲載いたします。新年度にあたってのメッセージです。お読みいただければ幸いです。
今年も校庭にこぶしの花が咲きました。
始業式での話
はじめまして。今年度から校長を務めることになりました村手です。前校長の小池先生から引き継いで皆さんと一緒に良い学校を作っていきたいと思います。よろしくお願いします。
ところで良い学校とはどんな学校でしょう。小池先生は「喜びの声が響き渡る学校」という合い言葉を示されました。私はあえて新たな言葉を示しません。なぜなら皆さんは、すでに共通の合い言葉を持っているからです。それは毎日朝と帰りに唱えるお祈りの言葉です。この祈りの言葉の中に、私が、というよりカピタニオがみんなに伝えたい大切なことは、すべて入っています。
この祈りの言葉は、世界中で多くの人が数千年に亘って唱えて来た「主の祈り」「アヴェマリアの祈り」そしてカピタニオのオリジナルの「授業前授業後の祈り」とで構成されています。「授業前の祈り」の中に「親、兄弟、先生、友だちと心から交わり、私の言葉や行いが人々を悲しませることなく、いつも人々の喜びとなりますように。」という言葉があります。この言葉の中に祈りのエッセンスはほぼ含まれています。「私の言葉や行いが人を悲しませず、人の喜びとなる」、ごく当たり前のことのようで、思った以上に難しい課題だと思います。私たちはしばしば知らず知らず人を悲しませてしまうことがあります。また何気なく掛けた、「おはよう」という朝の、たった一言が、声をかけた相手の一日を照らすことがあります。人間は大切なことをよく忘れます。だから毎日忘れないように祈る必要があるのです。
この祈りの言葉はこう続きます。「今日も一生懸命に生き、私たちが平和な世界をつくる一粒の麦となれますように、力をお与えください。」一粒の麦はカピタニオが最も大切にしているキーワードです。「一粒の麦、地に落ちて死ななければ一粒のまま残る、死ねば豊かな実を結ぶ」という聖書の言葉から来ています。「平和な世界をつくる一粒の麦」の「世界」は一見、地球規模の世界をイメージし、自分から遠いことのように思えてしまいますが、たとえば家族や学校、クラスも一つの世界です。一人ひとりがその中の一粒の麦です。その小さな世界の平和はたった一人の我儘な言動で壊れてしまうし、一人ひとりの協力で居心地の良い、平和な世界を作ることもできます。
平和は与えられるものではなく、作っていくものだと私は思います。よい学校もよい学年もよいクラスも誰かに与えられるものではなく、そのメンバーである一人ひとりが一粒の麦となって作っていくものではないでしょうか?
かつて、ある神父様がこんなことをおっしゃっていました。「カピタニオ高校は、生徒たちみんなで、いい学校にしよういい学校にしようと努力している学校ですね。」おそらく、それは「私の言葉や行いが人を悲しませず、いつも人の喜びとなるように。」という願いを毎日ただ呪文のように人ごとのように唱えるだけでなく、生徒のみなさんが本当に心掛けてくれているからだと思います。今年度も豊かな実を結ぶようにともに頑張っていきましょう。
校長ブログ始めました ―令和4年度第60回入学式のご報告―
今年度から聖カピタニオ女子高等学校の校長を務めます村手元樹と申します。
よろしくお願いします。
このブログでは、在校生の皆さん、卒業生の方、保護者の方、中学生ならびに保護者の方、地域の皆様等に本校について知っていただき、ともに歩んでいけるよう発信していきたいと考えています。
令和4年度4月7日(木)、グラウンドの桜も満開、天候にも恵まれるなか、無事入学式を行うことができました。入学式で述べました私の拙い式辞を以下に掲載させていただきます。新入生の皆さんに向けての私のメッセージです。よろしければお読みください。
入学式式辞
新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。今日から高校生活が始まります。
皆さんはいま、さまざまな具体的な期待と不安のなか、この場所にいると思います。しかし、この場所にいるということを少し大きな視点で考えてみましょう。
義務教育を終えて、皆さんは高校に進学することを選択しました。令和2年度のデータでは日本の高校進学率は98.8%。ほとんどの中学生が高校生になります。しかし世界に目を向けると、15歳以上で学校に通っているのは60パーセント台です。そのうち約1億2100万人の子どもたちは、それ以前の教育も受けられていません。理由は貧困、戦争、近くに学校がない、女の子に教育は必要がないという偏見などさまざまです。教育すら受けられず、字が読めない人も世界には多くいます。そして教育を受けられないことによって様々な不利益を被っています。このように高校に進むことは、世界的に見れば少しも当たり前のことではないことが分かります。
日本で高校に進むことも当たり前のことではありません。自分の力だけでは高校で学ぶことはできないからです。公的機関をはじめ社会の人々のさまざまな支援がなければ高校は成り立ちません。また何よりも保護者の方々の助けがなければ高校に行くことはできません。皆さんは高校に入学するに当たって「高校に行かせてくれてありがとう」という感謝の気持ちを保護者の方に伝えたでしょうか? もしまだ言ってなかったなら、今日帰ってから伝えてください。
感謝の気持ちを伝える日本語「ありがとう」は、「ありがたし(ありがたい)」という形容詞から来ています。「ありがたい」は「あることが難しい」、「めったにない」、「当たり前のことでない」普通に受けられるものではない幸運であることを意味します。
カピタニオの東側の坂道を本校では「感謝坂」と呼んでいます。この名前を付けたのは、かつての卒業生です。感謝の気持ちを持つことの大切さを後輩に伝えたかったのだと思います。感謝の気持ちは、自分が周りの人や物に支えられていること、自分がひとりではないことを自覚させてくれます。そしてそのことによって心強い気持ちにもなります。
またグローバルな視点で高校生活を考えることは、私たちに学ぶことの本来の意味を思い出させてくれます。途上国の人々はなぜ学校に通うことをそれほど願っているのでしょうか? 命を懸けて女子教育の重要性を世界に訴えかけたマララさんは「知識は力、教育こそが世界を変える唯一の解決策である」と言っています。自分の生活を豊かにするためには知識や考える力が必要だからです。また周りの誰かを助け、その人の力となるためにも、皆とともに平和で幸せな社会を作っていくためにも学問は不可欠です。助けたい誰かはまだ見ぬ大切な人かもしれません。そのために学校に通うのです。
高校生活は順調なことだけではないと思います。思い通りにいかないことや、思い悩むこともあるでしょう。むしろ何かしらうまく行かないのが当たり前、うまく行ったなら感謝するという心構えを持ってください。さまざまな課題に直面した時、まず自分で解決策を探ることが必要です。人は成功より失敗から多くの事を学び、それが成長のチャンスとなります。でも一人だけで悩まず、家族や先生や友達に相談し、アドバイスをもらい、参考にすることも大切です。人に頼ることは悪いことではありません。頼るだけで感謝をしないことがよくないのです。自立とは一人で立つことではありません。感謝しながら他者と力を合わせて生きていくことです。自分の弱さを知り、助けを求める勇気を持つのが真の強さです。強がることは強さとは違います。それがカピタニオで学ぶ大切なことの一つです。
高校生活はチームプレイです。一人で試合をしているわけではありません。ここにいる先生たち・職員とともに皆さんの高校生活を全力で応援したいと思います。
高校3年間が充実したものとなるよう、一緒にがんばりましょう。ようこそカピタニオへ。
お世話になりました
「新しい朝がきた 希望の朝だ 喜びに胸を拡げ 青空仰げ…」
懐かしいラジオ体操の歌です。昨日をもって永年勤めさせていただいた聖カピタニオ女子高等学校を退職しました。感謝の言葉はつくせませんが、ローベレに投稿させていただいた文を掲載いたします。
大学四年の秋、学校案内と求人票を受け取ったことが聖カピタニオとの最初の出会いでした。女子校、カトリック校とは全くなじみがなかったのですが、面接試験の際、当時の理事長シスタージュゼッピーナから「本校の生徒は自信を持てない子が多い、ですが無限の可能性を持っています。このかけがえのない生徒たちの能力を引き出し伸ばすことに協力してもらえませんか」との言葉に、ぜひこのシスターの下で勤めたいと思い、以来40年の月日が経ちました。
学習活動はもとより、さまざまな体験を通して成長を期するよう、カピタニオは、行事を大切にしてきました。
就任当時は、一年生で能登での臨海学校、二年生では乗鞍で林間学校、そして三年生の六月には一週間の北海道修学旅行と、大自然の中での集団生活は、友情を育み、絆を深めました。
行事と言えば、耐寒訓練、マラソンテストがあり、身体も、頭もその持久力が求められました。就職指導を担当していたころは、ほぼ六割以上の生徒が希望をしていたので、一般常識テストを繰り返し、面接指導をしたりしながら、生徒一人一人に合う企業を模索しました。
英語科の教員であったためか、ニュージーランド、アイルランド、イタリア、インド、オーストラリアと様々な国々を訪れ、生徒とともに、現地の人々の温かさに触れたり異文化体験をすることができました。自分自身もホストファミリーとの生活を楽しみ、貴重な体験をすることができました。
授業では、黒板一面には書ききれないほどの長い英文を解釈するとき、その説明にうなずいてくれたりすると妙にうれしく思うこともありました。
校長になってからは、聖カピタニオの「私は常に平和な心を保ち 明るい笑顔と優しいことば 優しい態度で人に接したいと思います」というお言葉を心に留め、相手の喜びが、自分の喜びであることから、喜びの声が響き渡る学校を目指してきました。悩んだ時には、カピタニオだったらどうするんだろうと、自問しました。そんな私にとってシスタージュゼッピーナと、前事務長のシスター竹田は、聖カピタニオと聖ジェローザのようで、いつも心の支えとなりました。
中学の頃からなりたいと思っていた憧れの職業に就き、長く携わることができて、私は本当に幸せ者だと思います。出会った方々、全ての事柄に心より感謝申しあげます。ありがとうございました。 小池芳樹
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