「2022年10月」の記事
【朝礼の話⑤】加藤恵先生の思い出
正門の脇の金木犀が満開
◇慰霊の集いで読み上げられる名前◇
11月はカトリック教会では死者の月ということで、来週の木曜日に慰霊の集いが予定されています。毎年の慰霊の集いの中で「本校の関係者でお亡くなりになった方のお名前」が一人ひとり読み上げられます。その中には私がカピタニオに来る以前にいらっしゃった、一度も会ったことのない先生のお名前もたくさんあります。今ある学校の精神を作ったり繋いだりした、その方たちは過去の人ではなく、私たちの心の中で一緒に生きている人だなと私は思っています。
◇加藤恵先生のご葬儀で◇
今日はその中のおひとり、私が新任時代からお世話になった英語の先生、加藤恵先生の話をしたいと思います。2019年の11月に突然の訃報を聞きました。カピタニオを定年退職され、十年ほどが経っていました。お葬式に参列した際、弟さんが最後、挨拶をされ、「姉の人生にとってカピタニオ高校は本当に大きな存在でした。」とおっしゃっていました。
◇カピタニオの第2回卒業生として◇
恵先生はカピタニオの2回生です。足に障害を抱えていらっしゃって、ずいぶん辛い思いをされたと思います。中学の時にカピタニオというキリスト教の学校が出来たと聞いて、心の支えになるのではないかと思って入学したそうです。3年間先生たちには本当にお世話になったと恵先生はよく言っていました。
恵先生は必死に勉強して南山大学の英米学科に進学します。当時はカトリック推薦とかもない時代です。大学時代の経験で私がよく聞かされたエピソードがあって、お葬式の時に弟さんも話されていました。大学の先生に出身高校を訊かれ、「聖カピタニオ女子高校」と答えた時に、新設校だったこともあって、大学の先生が「どこだね、その学校は? 聞いたこともないな」と言われた。恵先生は愛する母校をそんなふうに言われて悔しくてたまらなかったようです。
◇カピタニオの英語の先生として◇
大学卒業後、恵先生は英語の教員としてカピタニオに戻ってきます。ここまでの話でたぶん優しい穏やかな先生を皆さんは想像したかもしれません。実はそうではありません。迫力があって豪快で口が少し悪い。今ならコンプライアンス的にアウトという言動もあった気がします。さっきの大学の先生の話をする時も「悔しかったですわ。」みたいではなく、「くそっ!と思った」と言っていました。
特に英語の勉強に関しては本当に厳しくて、授業でも予習して臨まない生徒はいなかったですね。お葬式の時、弟さんが恵先生が自宅でテストの採点していた時の様子を話していました。答案に向かってよく怒っていて「〇〇さん、何でこの問題ができんのォ?」などと言っているので、弟さんが「そんなに言わなくても」と理由を訊くと「この子はもっとできる子なの。」と力説する。自分がご苦労された分、生徒が努力を惜しむことについて自分のことのように悔しかったんだと思います。若い頃は「このくらいでいいか。」と自分をセーブしてしまいがちなんです。そんな生徒たちの力を何とか引き上げよう、背中を押そうという情熱を持っていた、厳しくて優しい先生でした。
◇「ちびたち」に込められた思い◇
恵先生は生徒の話をする時「生徒たち」と言わず、だいたい「ちびたち」と言ってました。幼い子供のことを親しみを込めていう「ちびっ子」のちびです。自分より背の高い高校生に「ちびたち」は変な気がしますが、何て言ったらいいか、子供でもあり、可愛い後輩でもあり、生徒でもある、未熟ゆえにこれから成長する、伸びしろがいっぱいある親愛なる存在という響きがこもっていました。
慰霊の集いで読み上げられる一人ひとりの先生にそれぞれのカピタニオへの思いや物語があります。もちろん会ったこともない人だから自分とは関係ないよと言うこともできます。そういった歴史みたいなものから自分を切り離して生きることもできます。でも、そういうことを感じながら生きる人生の方がより豊かになるのではないかと私は思います。皆さんは、どうでしょうか。
校長 村手元樹
*2022.10.20 全校朝礼
【朝礼の話④】沖縄の言葉の魅力
◇沖縄の言葉「しまくとぅば」◇
私はいま沖縄を舞台にした朝ドラを視聴しています。そこに出て来る、沖縄の言葉には優しく温かい響きがあり、生きる知恵がいっぱい詰まっているなあと思ったので、ほんの少しだけ紹介したいと思います。沖縄のことばを「しまことば」と呼んでいます。正確な発音は「しまくとぅば」と言います。沖縄の言葉は、短い「お(o)」の母音がなく、「う(u)」に変わるという規則性があるそうです。「ことば」の「こ(ko)」は「く(ku)」に、「と(to)」は「とぅ(tu)」に変化します。
◇はいさい・めんそーれ・ちばりよー◇
皆さんも聴いたことのある言葉がいくつかあると思います。例えば、「はいさい」、正式には男性が「はいさい」、女性「はいたい」と言うそうです。どんな意味か分かりますか? そう、「こんにちは」という挨拶です。「めんそーれ」聞き覚えありますか? これは「いらっしゃいませ」。「ちばりよー」は「がんばれ」。これは「気張る」から来ています。沖縄の言葉では「き」は「ち」になまるという規則性があります。
◇ちむどんどん◇
朝ドラでおなじみの「ちむどんどんする~」、「ちむ」は「きも(肝)」から来ています。「きも」は古語で「内蔵」や「心」を表します。「きも」の「き」は「ち」に、「も(mo)」は「む(mu)」に変わり、「ちむ」になります。したがって「ちむどんどん」は「胸がドキドキする」「心がワクワクする」という意味です。
◇なんくるないさ◇
さて皆さんに今日一番知ってほしいのが「なんくるないさ」という言葉です。聞いたことありますか。意味もなんとなく想像つきますよね。「自然と何とかなるさ」という意味です。「なんくる」は「自然と」「ひとりでに」という意味だそうです。この言葉、単なる気休めの言葉でなく、深い意味があることが今回朝ドラを見ていて分かりました。「なんくるないさ」は省略形で本来「なんくるないさ」の前にある言葉が付くようです。先週朝ドラを見ていましたら、主人公が「まくとぅそーけー・なんくるないさ」と言っていました。「なんくるないさ」は分かったのですが、「まくとぅそーけー」って何だ?と思ったわけです。
◇まくとぅそーけー・なんくるないさ◇
調べてみると、「まくとぅ」は「まこと(誠)」が訛った言葉です。「まこと」の「こ」は「く」に、「と」は「とぅ」に変わり、「まくとぅ」になります。「そーけー」はよく分からないのですが、「まくとぅそーけー」とは「人として正しい行いをしていれば、」「誠実に努力していれば、」という意味です。
つまり「まくとぅそーけー・なんくるないさ」は「誠実に努力していれば、自然にあるべきようになる」という意味の言葉だと分かりました。「なんくるないさ」は「必ず成功する」ということではありません。「誠実に努力していれば、神様があなたをよい方向に導いてくれますよ」ということだと思います。「人事を尽くして天命を待つ」という故事成語と同じような趣旨の言葉です。
この言葉ぜひ覚えてください。
校長 村手元樹
*2022.9.29 全校朝礼(オンライン)