【せっかくBOOK⑪】三浦綾子『続氷点』
2026.08.14


 

◇さらに読み応えのある『続氷点』◇

 「続編」というと、期待外れになる場合も多いのですが、私は『続氷点』のほうに、より深い読み応えを感じます。『氷点』は三浦さんが初めて書いた長編小説で、そこから精力的に何作も手掛けた後に『続氷点』が書かれたので、作家としての技術が向上しているのもその理由の一つでしょう。その中には代表作『塩狩峠』などもあります。

 主人公の陽子が自分の弱さを知り、強がらず主体的に生き始める再生の姿を描いていることも理由の一つです。もっとも、『氷点』はもともと『続氷点』まで含めての作品(あるいは前編と後編)として捉えていいのではないかと私は思っています。人間の「罪」と神の「ゆるし」という一連の確かな構造を持っています。三浦さん自身もそうした意識を持っていたのではないでしょうか。

 

◇出生の新たな秘密が生み出す波紋◇

 『続氷点』のストーリー展開の核となっているのが、新たに発覚した、陽子の実母である恵子やその息子・達哉たちとの関係性です。陽子は大学生となり、北海道大学で学び始めます。旭川の親元を離れ、札幌で暮らし始めます。愛知の高校生の読者だった私は、北の大地での大学生活という異次元の世界に憧れを抱いたものです。自分の部屋にいながら瞬時に空間移動(テレポーテーション)できるのも読書の魅力です。

 太平洋戦争の時、恵子は夫の出征中に、ある男性との間に一子をもうけ、その子を施設に預けました。その子が陽子だったのです。陽子はその母親の罪がどうしても許せず、そのことで深く悩みます。その事実を知らない義理の弟、達哉とは偶然、大学の同級生として出会い、それも悩みの種になります。陽子の周りで、さまざまな人物が複雑に絡み、それぞれの苦悩や葛藤を抱え、関わり合い傷つけ合いながら、物語は進みます。同時に、必死で生きていく上で犯さざるを得ない罪をどうゆるしあうのか、という問題がそれぞれに突き付けられているのです。

 

◇罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい◇

 『続氷点』の最終章に「ヨハネによる福音書8章」の有名な場面が一部引用されています。おそらくミッションスクールで学ぶ者なら、聖書の授業などで一度は触れたことのある場面ではないでしょうか。この箇所に注目すると、『氷点』『続氷点』の世界の理解がぐっと深まるはずです。こんな場面です。

 

 律法学者や信仰のあつい男たちが、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、イエスにこう質問します。「律法では、こういう女は石で打ち殺すことになっているが、あなたはどうするか。」イエスを試して、訴える口実を得るためです。律法に従うように答えれば、愛を説くイエスの日ごろの言動との矛盾をさらけ出すことになる、かと言って、従わず女を許すという回答をすれば、法に違反し、死に値する大罪として糾弾されることになる、いずれにしてもイエスを窮地に追い詰めることができると彼らは踏んだのです。

 執拗に回答を迫る者たちにイエスはこう答えます。「あなたがたの中で、罪のない者が、まずこの女に石をなげつけるがよい。」

 これを聞くと、彼らは年長者から一人、また一人と去り、ついにイエスとその女だけになった。身をかがめて地面に何かを書き続けていたイエスは身を起こして「あなたを罰するものはなかったのか。」と聞き、女は「主よ、誰も」と答えました。イエスは言われます。「私もあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように。」

 

 おそらく『氷点』『続氷点』は、この場面を出発点として構想された小説ではないかと私は考えています。三浦さんの構想力の卓越さと同時に、聖書の言葉の力の強さを改めて感じます。

 人をゆるせなくて傷つけ合ったり、自分をゆるせず自分を傷つけたり、恨みの感情にいつまでも心が縛られたり、そんなケースをあれこれ考えると、「ゆるし」というテーマが人生にとって思いの外に大きな問題であることが分かるのではないでしょうか。

 緊張感のある、物語の展開の面白さも味わっていただきたいので、ストーリーに沿った説明はあまりしませんでしたが、機会があったら読んでみてください。できれば『続氷点』まで読むといいと思います。

校長 村手元樹

【読書の手引き】 「ゆるす」ということについて自分なりに考えてみよう。

 

*三浦綾子『氷点』(上・下巻)『続氷点』(上・下巻)(2012、角川文庫改版)ほか。