【せっかくBOOK⑧】モンゴメリ『赤毛のアン』その3
2025.08.06

チャペル@つまごいリゾート


◇宝石のような言葉を見つける楽しみ◇

小説を読む楽しさの一つが、文章の連なりの中にキラッと光る一言を見つけた時の喜びです。「この本、読んでよかった!」とその言葉と出会うために読んだような気にさえなります。旅先での出会いと同じです。時が経ってから、その小説を読み返したときに見つけることもあります。以前に読んだときには素通りしていた言葉が今回は輝いて見えるのです。年とともに受け取り方が変化するのでしょう。

また他の人がその小説の中から注目して取り上げた言葉を改めて眺めると、その深さに感心することもあります。名言や名台詞として引用された言葉に魅了され、その言葉がどんな状況で使われたのか、その文脈を知りたくなって、その本を探して、その言葉に会いに行くのも結構楽しいのです。

『赤毛のアン』は、そんな言葉の宝庫です。いくつか紹介します。

 

◇待つ楽しみ◇

まず第13章の箇所です。日曜学校のピクニックが催されることになって、アンは有頂天になります。アンにとって生まれて初めてのピクニックなのです。おまけにアイスクリームが振る舞われる。アイスクリームも人生初です。夢中になって他事が手につかないアンを、マリラは落ち着かせようと、そんなふうにいろいろ期待しすぎると、この先、失望することも多くなるというようなことを言って戒めます。その時、アンはこう言います。

何かを楽しみにして待つということが、そのうれしいことの半分にあたるのよ

実現しなくても待つときの楽しさだけはまちがいなく自分のものであって、何も期待しない方が、がっかりするより、もっとつまらないと付け加えます。想像の力を信じるアンらしい考え方ですね。

さて私は『赤毛のアン』を村岡花子さんの翻訳で読んだのですが、こういう素敵な言葉に出会うと、原文ではどう言っているのかが気になり出します。調べてみると、こんなふうに言っています。

Looking forward to things is half the pleasure of them. 

学生時代に習った熟語「look forward to~」(~を楽しみにする)が蘇ってきます。懐かしいです。英語の勉強にもなりますね。『赤毛のアン』の熱心な愛読者の一人、脳科学者の茂木健一郎さんは小学校5年生の時、『赤毛のアン』と出会い、高校の時、原書で読破し、英語力が飛躍的に伸びたという逸話もあります。名言を英文で知ったあとは、村岡さん以外の翻訳ではどうなっているのだろうと気になります。作家の松本侑子さんの訳(文春文庫版)ではこうなっています。これもいいですね。

何かを期待して待ち焦がれることも、愉しみのうちの半分だわ

 

◇アンの自己肯定感◇

アンはホテルで行われる音楽会で詩の暗唱をする代表に選ばれた。ダイアナがドレスアップを全神経を注いで手伝い、最後にマシュウが買ってくれた真珠の首飾りをかけた。会場に着くと、居並ぶ華やかな婦人たちの姿に自分がひどく田舎っぽく感じられ、気おくれがしてしまう。発表の順番が来て、緊張に押しつぶされそうになりながらも、何とか開き直って成功させ、大喝采を浴びる。帰り道、一緒に来ていた友達のジェーンが、音楽会を振り返って、ダイヤモンドを付けていた婦人たちをうらやましがる。その時のアンの言葉。

「そうね、あたしは自分のほか、だれにもなりたくないわ。たとえ一生、ダイヤモンドに慰めてもらえずにすごしても」

そしてこう続けます。「あたし、真珠の首飾りをつけた、グリン・ゲイブルスのアンで大満足だわ。マシュウ小父さんがこの首かざりにこめた愛情が、ピンク夫人の宝石に劣らないことを知ってるんですもの」(第33章)

I don’t want to be anyone but myself.”(原文)

私は、自分以外の誰にもなりたくないわ。」(松本訳)

目に見える物自体の価値より、その物の背景にある、目に見えないものの価値が自分にしか感じられないものであることをアンは知っているからでしょう。

 

◇努力のよろこび◇

師範学校クイーン学院に進んだアンは、レドモンド大学への奨学金を得るために懸命に勉強に励む。そのためには成績トップを取らなければならない。その発表前日、最善を尽くしたアンの言葉。

「『努力のよろこび』というものがわかりだしたわ。一生懸命にやって勝つことのつぎにいいことは、一生懸命にやって落ちることなのよ。」(第35章)

Next to trying and winning, the best thing is trying and failing.”(原文)

「努力して勝つことがいちばんだけど、二番めにいいのは、努力した上で敗れることなんだわ。」(松本訳)

何も期待しない方が、がっかりするより、もっとつまらないというアンの考え方に通じています。

 

◇道の曲がり角 The Bend in the Road◇

「曲がり角」は、『赤毛のアン』の思想を象徴する重要な言葉です。この単語は第2章でアンとマシューが初めて言葉を交わす場面にも出てきます。マシューは男の子を駅に迎えに来て探しているので、アンは待ちぼうけを食って不安になります。でもアンはそんな状況の中でもこう言います。「もし今夜いらしてくださらなかったら、線路をおりて行って、あの曲がり角のところの、あの大きな桜の木にのぼって、一晩暮らそうかと思ってたんです。あたし、ちっともこわくないし、月の光をあびて一面に白く咲いた桜の花の中で眠るなんて、すてきでしょうからね。」

その後、アンにとって悲喜こもごもの出来事があり、最終章を迎えます。アンはマリラに語ります。

「あたしがクイーンを出てくるときには、自分の未来はまっすぐにのびた道のように思えたのよ。いつもさきまで、ずっと見とおせる気がしたの。ところがいま曲がり角にきたのよ。曲がり角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。

アンの生き方が凝縮された言葉ですね。

I don’t know what lies around the bend, but I’m going to believe that the best does.”(原文)

曲がったむこうに、何があるかわからないけど、きっとすばらしい世界があるって信じていくわ。」(松本訳)

 

◇マシュウの泣かせる言葉◇

最後にマシュウの言葉。仕事に疲れているマシュウにアンが、自分が予定通り男の子だったら、もっとマシュウを助けてあげられたのにと嘆くと、マシュウはこう言います。

「そうさな、わたしには十二人の男の子よりもお前一人のほうがいいよ。

口下手とは思えない、胸キュンワードです。そして「わしのじまんの娘じゃないか」と言い添えて去っていきます。(第36章)

“Well now, I’d rather have you than a dozen boys, Anne,”(原文)

そうさな、でもわしは、一ダースの男の子よりも、アンのほうがいいよ。」(松本訳)

                               校長 村手元樹

 

読書の手引き ここに切り取って挙げた言葉は文脈の中で読むとさらに深く味わうことができるので、実際に読んでみよう。