【長崎紀行2025①】旅のあらまし前半
2025.12.02

出津教会堂


◇1日目◇

昨年に引き続き、修学旅行(11月9日~11月12日)のため、長崎の地を訪れた。まず旅程をざっと振り返ると、11月9日(日)早朝から新幹線で福岡へ、西に進むと、車窓は雨模様。昼食は各自持参した昼食を車内で食べる。私は朝、名古屋駅で購入した「名古屋コーチン鶏づくし弁当」をいただく。美味しかった。新幹線を降り、博多駅で観光バスに乗り換えるが、予想通り幸い雨は上がっていた。この後、全日程、晴れが続き、天気に恵まれた旅行であった。

 

◇外海・巡礼の旅◇

バスで長崎に向かい、最初の目的地である外海地区を訪れた。2018年に世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つである、出津(しつ)集落を地元のツアーガイドさんが各クラス毎に付いてくださって見学をした。「長崎市外海歴史民俗資料館」では、この地区の古代からの歴史、暮らし、潜伏キリシタンの信仰などに関する資料が展示されている。「ド・ロ神父記念館」は明治時代、フランスから外海に主任司祭として赴任し、精神面の支えだけでなく、産業を興し、貧しかった人々の生活を向上させるため、生涯を捧げたド・ロ神父の偉業を伝えている。「旧出津救助院」はド・ロ神父が女性の自立支援のために建てた授産・福祉施設である。

「救助院」から「歴史の道」と名付けられた緑豊かな小道を少し歩くと、「出津教会堂」が見えてくる。実際、ド・ロ神父も日々の往き来に使った道だ。「出津教会堂」もド・ロ神父が設計し工事管理をして建てた、和洋折衷の美しい教会である。塔の上には人々を見守るようにイエス様とマリア様の御像があり、私たちを出迎えてくれた。一見西洋風だが、屋根は瓦葺き、内部は木造で、靴を脱いで板張りの床に上がる。椅子に座り、ツアーガイドさんから教会堂についての説明を受ける。

カトリック学校に学ぶ者として、このような信仰の歴史を目の当たりに見、教えや祈りを大切にした人々や他者のために奉仕した人々のことに思いを馳せ、少なからずその歴史に連なっていることを感じる時間は各自それぞれに意義深いものであっただろう。


出津教会堂に掲げられている碑。


◇2日目~ 平和の旅◇

11月10日(月)、2日目の最初の目的地は「平和公園」。「平和祈念像」の前で集合写真を撮る。この有名なポーズ、右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈るという想いが込められているそうだ。その後、バスガイドさんの案内で公園を歩く。「平和の泉」は原爆の被害に遭い、水を渇望しながら亡くなっていった方々の冥福と平和を祈るために建設された泉である。それから「原爆落下中心地」の碑の前に立って、祈りを捧げる。この場所には「浦上天主堂の遺壁」の一部も移設されている。爆心地から約500メートルに位置していた浦上天主堂は全壊し、戦後、再建するために廃墟となった壁の一部を移設したものである。平和公園から歩いて「長崎原爆資料館」に向かった。原爆の被害の悲惨さを物語る展示に目を覆いたくなるのを抑えつつ、その時代に生きた方々に思いを馳せ、原爆の脅威と平和の尊さについて改めて実感する。


平和祈念像

平和の泉

原爆落下中心地の碑(手前)・浦上天主堂の遺壁(奥)


◇歴史と文化に触れる旅◇

午前中のもう一つの見学地は「日本二十六聖人記念館」である。1597年、豊臣秀吉の禁教令により、フランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が処刑された「西坂の丘」に建てられた。日本におけるキリスト教の歴史を学ぶことができる貴重な史料が多く展示されている。カトリック教徒の公式巡礼地ともなっている。

午後からは班別の長崎市内研修である。「西坂公園」で解散し、長崎の街の各所に散っていった。やはり人気は「グラバー園」や「中華街」などである。私にとっては何度目かの長崎市内研修なので、過去に行っていない場所にと考え、今回は長崎の地で坂本龍馬の足跡を辿ることとした。その様子は稿を改めたい。

ホテルで早い夕食を取った後、私たちはスロープカーに乗車して「稲佐山」の山頂に登った。函館山(函館市)、摩耶山(神戸市)とともに「日本三大夜景」に数えられる、まさに絶景である。何千何万もの光が競演して作り出す夢のような世界。しかし、その一つ一つを辿れば、それぞれに光を灯して日常を生きる人々の営みがある。

校長 村手元樹


日本二十六聖人殉教記念碑

稲佐山からの夜景