【長崎紀行2025③】坂本龍馬の足跡を巡る旅
2025.12.02

風頭公園の龍馬像


 

◇長崎駅◇

修学旅行2日目の長崎市内研修。長崎市内には歴史と文化が詰まっており、市電が走り、昔ながらの情緒と現代が融合した魅力的な町である。そんな長崎のいろいろな側面に触れてみたい。過去、グラバー園、出島、中華街などを訪れた。昨年は永井隆博士をテーマとして、そのゆかりの場所、「如己堂」「長崎市永井隆記念館」「山里小学校」などを訪ねた。長崎は坂本龍馬と関りが深い場所でもあるので、今年は坂本龍馬の足跡を辿ってみようと思い立った。「亀山社中記念館」「風頭公園」は、本校の市内研修の指定スポット(15のスポットのうち最低1箇所は行くルール)ともなっている。

解散場所である「西坂公園」から、最初の目的地、龍馬像のある「風頭公園」へ向かうことになるのだが、事前調査によると、市電で行くより、路線バス(長崎バス)で行く方が便利らしい。しかし、どの路線かもどこから乗ったらいいかも分からない。とりあえず、西坂公園からすぐの長崎駅に行き、観光案内所で尋ねる。すぐに出るバスもあるが、昼食時で行く先で食べられるかどうかも分からないので、先ず腹ごしらえをすることにする。幸い、駅の構内に「長崎街道かもめ市場」というグルメスポットがあり、海鮮丼をいただく。長崎は三方を海に囲まれた海鮮王国、海の幸が最高に旨いと聞くが、まさにその通りだった。

風頭山から長崎の町を望む


 

◇風頭(かざがしら)公園◇

昼食後、「風頭山行き」のバスに無事乗車。普通に「manaca」も使えるので、ありがたい。終点で降り、「風頭公園」に向かうが、平日のせいか、ほとんど人通りはなく、観光客も数組に会っただけだった。展望台に着くと、坂本龍馬の像が長崎の町を見下ろしている。龍馬もこんなふうに立って、幕末という時代の転換期にあった日本の進むべき未来を思い巡らしていたのだろう。自分もその場所に立っていると思うと感慨深い。

坂本龍馬(1836~1867)の業績については諸説あり、定まっていない部分も多いと聞く。龍馬を描いた小説やドラマは、もちろんフィクションも含まれている。しかし、歴史家でもない者にとっては、何を成したかと同じくらい、何を考えどう生きたかということも重要である。それに思いを馳せ、そこから自分自身の生き方を考えるというのも、「歴史から学ぶ」ということではないだろうか。


 

龍馬通り

亀山社中記念館

龍馬のぶーつ像

若宮稲荷神社にも龍馬像が・・・


 

◇亀山社中◇

この辺りはすべて坂道である。「風頭公園」から下り、「龍馬通り」を通って「亀山社中記念館」にたどり着いた。「社中」という言葉は仲間、結社というほどの意味で、「亀山社中」は日本初の商社とされ、龍馬が中心となって、物資の運搬や貿易の仲介を行い、それが薩長連合へとつながったと言われている。

亀山社中を出て、山を下り、長崎中心地に向かう途中に、「龍馬のぶーつ像」というブロンズ製のオブジェがあった。龍馬は、その当時珍しかった西洋のブーツを履いて和服を着るという独特のスタイルで写真に写っている。それを記念するオブジェで、履いて体験することもできる。

さらに降りていくと、「若宮稲荷神社」があり、龍馬もここに参拝したであろうということで、ここでも龍馬像と出会うことができる。


眼鏡橋


 

◇眼鏡橋◇

「若宮稲荷神社」からさらに下り、徒歩で集合場所の「長崎水辺の森公園」に向かう途中に「眼鏡橋」がある。ここは特に坂本龍馬関連というわけではないが、1634年に作られたとされるので、龍馬もこの橋を渡った可能性は高い。アーチ形の橋だが、川面に移った半円の影と合わさって円になり、眼鏡に見えるので、この名前がある。日本橋(東京)、錦帯橋(山口県岩国)とともに、日本三大名橋に数えられる。

半日であったが坂本龍馬の足跡をいろいろと肌で感じることができた。とはいえ、今回訪れたのは、ほんの一部に過ぎない。長崎にはまだまだ龍馬ゆかりの場所がある。また私はこれまで龍馬について特別な興味を持っていたわけではないので、知識もあまりない。今回をその入り口として学びを深めていけたらと思う。いい出会いに感謝したい。

校長 村手元樹