
令和8年3月2日、雨の心配もされていましたが、何とか天気にも恵まれ、春の温かさを感じられるなか、卒業証書授与式を行なうことができました。全校生徒が一堂に会し、保護者の方、ご来賓をお迎えして、卒業生を送り出すことができました。
今年度の卒業生の方が入学した5月に新型コロナ感染症が5類に引き下げられ、アフターコロナの時代が始まりました。裏を返せば、中学校時代、新型コロナ感染症の影響を最も強く受け、行動制限も多かった世代です。中学時代に思う存分体験できなかった体験をできるだけ多くして、いろいろと感じたり考えたりしてもらいたいという思いで教職員一同、取り組んできました。卒業生の皆さんも一生懸命それに応え、後輩たちに範を示してくれました。そして保護者の方々はじめ多くの方々のご支援もあったお蔭で、今日を迎えることができました。
この三年間の大切な日々をともに作り上げていただいた、すべての皆様に感謝申し上げます。
以下は私が卒業式で述べた式辞です。
式辞
まず日に日に春の訪れが感じられる今日のこのよき日に卒業式を行うことができますことに、心から感謝いたします。ご来賓の方々におかれましては、公私ともにお忙しい中ご臨席を賜り、まことにありがとうございます。ご家族の皆様、お嬢様のご卒業をお祝い申しあげますとともに、ご入学以来、本校の教育方針に深いご理解とあたたかいご協力をいただき、本当にありがとうございました。そして卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
さて、皆さんにお話しするのも今日が最後の機会となってしまいました。ちょうど3年前の3月、入学説明会で初めて皆さんにお話をしました。その時、このカリタスホームの前に掲げられている『清い心・責任・奉仕』について、「言葉の理解だけでなく、3年間、同じ志を持った友人とともにカピタニオで過ごす中で温め続け、身に付けていってください。3年間の宿題です」と言いました。進んでますでしょうか。安心してください。この宿題は提出の必要はありません。なぜなら卒業後も自動的に年度更新されていくからです。
こうしたカピタニオでの学びをはじめ、学ぶとはどういうことかについて最後にお話をしたいと思います。まず、学ぶことは人間の本質であり、生涯に亘って必要なことです。人間は極めて学習能力が高い生物で、経験から学びを得て、人生をより豊かにしていくことができます。「学習」の「学」の訓読み「まなぶ」は、「まねぶ」(見てまねること)が本来の意味です。赤ちゃんが母語を習得する際の爆発的な学習能力を思い起こせば、「まねぶ」ことの重要性は明らかでしょう。「学習」の「習」の訓読み「ならう」は「なれ親しむ」こと、漢字の「習」の字も、羽に白と書き、ひな鳥が何度も羽ばたいて飛ぶ練習を繰り返す様を表わします。
例えば毎日のお祈り。最初は単なる真似だったかも知れません。しかし日々繰り返すうちに自然と覚え、反芻(はんすう)し、意識せずとも気持ちや行動に影響を与えていたのではないでしょうか。今日一日、誠実に生きようと祈る、朝の祈り。その日の自分と向き合い、今日より明日、自分らしく生きようと祈る、夕の祈り。そんなふうにして学んだ「祈りの心」をこれからも温め続けてください。「祈り」が「清い心」へと繋がることに皆さんはもう気づいているはずです。
学ぶことについて、2つ目は、学びの一応の到達点は「身に付く」という状態だということです。「身に付く」とは、その場限りの表面的な理解ではなく、自分の血となり肉となり自分の物として長く生かせる知識や技能です。知識や技能は「経験」を積むことによって確かなものとなります。この3年間の中でも、うれしかったことや辛かったこと、たいへんなこともいっぱいあったでしょう。その経験と引き換えに、これからの人生に繋がる、たくさんの学びも得られたと思います。例えば、日々の「愛の実践」や奉仕活動。その中で「こういうのも愛と言うのかな」とか「奉仕って何だろう」とか感じたり考えたりしたのではないでしょうか。
学ぶことについて、3つ目は、いわゆる「無知の知」ということです。私はまだまだ知らないことが多いという自覚こそが知性であり、学びの原動力です。物事を、目に見えている部分だけ、一つの方向だけに偏って見るのではなく、多角的に見ること。目に見えない背景や本質を見極める想像力を忘れないこと。他者への思いやりも愛も平和もそこから生まれます。例えば修学旅行でも、そういったことを実感したと思います。
学ぶことについて、最後に伝えたいことは、心理学的に言えば「いなくなるから取り込まれる」という原則です。その場にいる時よりも、そこから離れた時に大切なことが見えてくることがよくあります。むしろ現実の生々しさが消えた後から、分かることの方が多いかもしれません。本当に大切なことを学ぶには時間がかかります。カピタニオでの本当の学びはこれからが始まりです。皆さんがこの学校からいなくなったときから、この場所での学びが徐々に皆さんの心に取り込まれていきます。私たちは皆さんの心に種を蒔いたに過ぎません。それをどうか育てていってください。
教師の最後の仕事も生徒の皆さんの前からいなくなることです。その当時は目の前の先生に対して「なんて意地悪なことを言うんだろう」とか「なんでいちいちそんなことを」とか思うことがあったかもしれません。そんな時、先生方は「いつか分かってくれるといいな、大切なことだから」と目の前の皆さんだけでなく、将来の皆さんと向き合っていたと思います。その伝えたかったことが、皆さんの将来の糧になることを願っています。
それでは最後に皆さんとの出会いに感謝するとともに、皆さん一人ひとりの前途に、神様の豊かなお恵みがあることを心から祈って、今日のはなむけの言葉といたします。
令和8年3月2日
聖カピタニオ女子高等学校
校長 村手元樹