【朝礼の話⑤】加藤恵先生の思い出
2022.10.21

校庭の金木犀

正門の脇の金木犀が満開

◇慰霊の集いで読み上げられる名前◇

 11月はカトリック教会では死者の月ということで、来週の木曜日に慰霊の集いが予定されています。毎年の慰霊の集いの中で「本校の関係者でお亡くなりになった方のお名前」が一人ひとり読み上げられます。その中には私がカピタニオに来る以前にいらっしゃった、一度も会ったことのない先生のお名前もたくさんあります。今ある学校の精神を作ったり繋いだりした、その方たちは過去の人ではなく、私たちの心の中で一緒に生きている人だなと私は思っています。

◇加藤恵先生のご葬儀で◇

 今日はその中のおひとり、私が新任時代からお世話になった英語の先生、加藤恵先生の話をしたいと思います。2019年の11月に突然の訃報を聞きました。カピタニオを定年退職され、十年ほどが経っていました。お葬式に参列した際、弟さんが最後、挨拶をされ、「姉の人生にとってカピタニオ高校は本当に大きな存在でした。」とおっしゃっていました。

◇カピタニオの第2回卒業生として◇

 恵先生はカピタニオの2回生です。足に障害を抱えていらっしゃって、ずいぶん辛い思いをされたと思います。中学の時にカピタニオというキリスト教の学校が出来たと聞いて、心の支えになるのではないかと思って入学したそうです。3年間先生たちには本当にお世話になったと恵先生はよく言っていました。

 恵先生は必死に勉強して南山大学の英米学科に進学します。当時はカトリック推薦とかもない時代です。大学時代の経験で私がよく聞かされたエピソードがあって、お葬式の時に弟さんも話されていました。大学の先生に出身高校を訊かれ、「聖カピタニオ女子高校」と答えた時に、新設校だったこともあって、大学の先生が「どこだね、その学校は? 聞いたこともないな」と言われた。恵先生は愛する母校をそんなふうに言われて悔しくてたまらなかったようです。

◇カピタニオの英語の先生として◇

 大学卒業後、恵先生は英語の教員としてカピタニオに戻ってきます。ここまでの話でたぶん優しい穏やかな先生を皆さんは想像したかもしれません。実はそうではありません。迫力があって豪快で口が少し悪い。今ならコンプライアンス的にアウトという言動もあった気がします。さっきの大学の先生の話をする時も「悔しかったですわ。」みたいではなく、「くそっ!と思った」と言っていました。

 特に英語の勉強に関しては本当に厳しくて、授業でも予習して臨まない生徒はいなかったですね。お葬式の時、弟さんが恵先生が自宅でテストの採点していた時の様子を話していました。答案に向かってよく怒っていて「〇〇さん、何でこの問題ができんのォ?」などと言っているので、弟さんが「そんなに言わなくても」と理由を訊くと「この子はもっとできる子なの。」と力説する。自分がご苦労された分、生徒が努力を惜しむことについて自分のことのように悔しかったんだと思います。若い頃は「このくらいでいいか。」と自分をセーブしてしまいがちなんです。そんな生徒たちの力を何とか引き上げよう、背中を押そうという情熱を持っていた、厳しくて優しい先生でした。

◇「ちびたち」に込められた思い◇

 恵先生は生徒の話をする時「生徒たち」と言わず、だいたい「ちびたち」と言ってました。幼い子供のことを親しみを込めていう「ちびっ子」のちびです。自分より背の高い高校生に「ちびたち」は変な気がしますが、何て言ったらいいか、子供でもあり、可愛い後輩でもあり、生徒でもある、未熟ゆえにこれから成長する、伸びしろがいっぱいある親愛なる存在という響きがこもっていました。

 慰霊の集いで読み上げられる一人ひとりの先生にそれぞれのカピタニオへの思いや物語があります。もちろん会ったこともない人だから自分とは関係ないよと言うこともできます。そういった歴史みたいなものから自分を切り離して生きることもできます。でも、そういうことを感じながら生きる人生の方がより豊かになるのではないかと私は思います。皆さんは、どうでしょうか。

校長 村手元樹

*2022.10.20 全校朝礼