【私の受験体験記④】受験の怖さと楽しさを知る
2023.08.05

夏の朝の校庭

 

 

2022年の文集「はらやま」に掲載した「私の受験体験記」の再録4回目(最終回)です。最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

「私の受験体験記― 私のまなびノート1」第4回(「はらやま」第58号、令和4年2月発行)

◇やっぱり読解力は大切◇

英語の長文を解くことにおいて私に有利に働いたのは、「読解力」である。よく国語の力(日本語能力)はすべての教科の土台となると言われるが、特に英語の長文を読む時はそうである。ある英語の先生は、英語の長文を読めないのは英語力の欠如というより、国語力の問題であることが多いと言っていた。確かに、多少の単語が分らない状態で、それでも「大体こういうことを言いたいんだな」と大まかな内容をつかんでいく能力(読解力=要約力)は、現代文も古文も漢文も英文も共通した能力である。

私は職業柄、豆腐屋が豆腐を日々作るように、読解するという作業を日々行なっている。しかも大学受験の国語の問題は点数に差をつけるためにいじわるな、難解な文章も多い。立場上読めないと恥ずかしいので必死に格闘して何十年。私は勿論、自分に読解力があることを自慢したいわけではない。それは豆腐屋が「私、豆腐作れますよ。」と言うようなもので自慢にもならない。何が言いたいかと言うと、国語力はやっぱり重要だということである。意外なところで自分の身を助けることもある。

◇受験の怖さを知る◇

さてもう一つ、受験をして改めて感じたことは「受験はやっぱり緊張するし、怖いものだ」ということである。受験日が迫ってくると、だんだん緊張感が増して心細くなってくる。しかしこの怖さをイメージする感覚は実は受験にとって一番大切なものではないかと思う。この怖さを克服する方法は一つしかない。

「エースをねらえ」というテニス漫画は、スポーツの極意が描かれているが、受験のバイブルにもなり得る。この中で次のような場面がある。テニスの試合に臨む、主人公・岡ひろみがプレッシャーに耐えかねて、コーチの宗方仁に怒られるのを覚悟で訴える。「わたし、もういやです、試合なんか。コートにたつのがこわい!」しかし宗方コーチは優しくこう言う。「当然だ。勝負がかかってるんだから、だれでもこわい。・・・いいか、岡。だから、みんな真剣に練習するんだ。コートで頼れるのは自分の力だけだ。力を出すには自信がいる。自信をつけるには、とことん練習することだ。」また別の場面でも弱気になる岡に宗方コーチは言う。「逃げてどうなる、さあコートに入れ。コートではだれでもひとりだ。いままでの練習だけが自分を支える。」

◇いまの学びを楽しむ◇

こうして無事合格して大学院で学び始めた。独学していた頃と違って、先生がいて、仲間がいる勉強はやはりいいものだ。文学について語り合い、好きな作家についてその魅力を探究し、分かち合う。それは好きな歌手の歌を一人で聴いているのではなく、ファンクラブに入って分かち合うのと本質的には変わらないような気がする。

受験勉強は本来、その先での、こういった学びの楽しさのためにある。しかし日本社会では合格することが目的化し、大学に入ってから単位を取るための勉強になってしまう傾向がある。私もかつて少なからずそうだった。それは、「いまの学び」を次に進むための手段と見る意識が強く、「いまの学び」の楽しさをいつの間にか忘れてしまっているからではないだろうか。

勉強は楽しいものというより、楽しくするものである。人間は誰かから与えられた、楽な楽しさでは満足しないものらしい。自ら楽を捨て苦労した先の楽しさを追い求める、それが人間の本性らしい。スポーツも同様である。自分の好奇心を掻き立て、自分なりの工夫を凝らして楽しさを見つけていく。して見れば受験勉強も楽しむことが最大の秘訣であろう。

校長 村手元樹