【朝礼の話㉒】「植物のメタファー」
2024.05.11
エントランスに咲く車輪梅

エントランスに咲く車輪梅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メタファーとは?

 今月の朝礼の話のテーマ一粒の麦なんですが、「一粒の麦」の聖句に関して、内容については先週の朝礼で教頭先生から分かりやすい説明がありましたので、今日は表現の観点から少し考えたいと思います。

 「一粒の麦、地に落ちて死ななければ一粒のままである。だが死ねば豊かな実を結ぶ」というのは、もちろん比喩表現ですね。麦にたとえて人間の生き方を表わしているわけです。こういう形の比喩を「メタファー」と呼んでいます。日本語で言うと「暗喩」(あるいは隠喩)と言います。暗示された比喩という意味です。反対が「明喩」(あるいは直喩)で、「~ような」「~みたいな」というように比喩であることを明確に示した比喩です。例えば、「彼女はマーメイドのようだ」というのが明喩で、「彼女はマーメイドだ」というのが暗喩(メタファー)です。

 

心に染みる、植物のメタファー

 さて、私が常々思うのは植物に関するメタファーって多いなということです。しかも人間のあり方に触れたメタファーです。「置かれた場所で咲きなさい」もそうですね。「人間は考える葦である」というパスカルの名言も人間を「葦」という植物に例えたものです。日本の古典作品にも植物のメタファーが多くあります。

 これはいつの時代も人間の身近には植物があって、植物に関心を持って親しんできた証拠でもあります。そして普通の表現よりメタファーには人を引きつける力がありますよね。『置かれた場所で咲きなさい』が大ベストセラーになったのは、タイトルによるところも大きいと思います。『今いる場所で生きなさい』だったら、そんなに売れなかったが気がします。メタファーを使って表現を工夫すると何となく洒落た表現になります。

 

メタファーは単なる表現技法ではない

 ところが近年、メタファーに対する考え方が変わってきています。以前はメタファーを、単なる表現技法(レトリック)、テクニックとして見る傾向がありましたが、今は、人間が世界を理解する(把握する)一つの方法(思考のパターン)なのではないかと考えられるようになってきました。つまり植物のメタファーだったら、既に理解し人間のあり方を植物に例えて言ってみたということではなく、植物を通して人間を理解しようとする脳の営みなのではないかということです。こういうことを研究する学問を「認知言語学」というようです。

 

植物に生かされる人間

 このように人間は他者を通して自分をより深く理解するという存在だと思いますが、特に植物に関しては、古今東西を問わず、植物の生態に自分の姿を投影して、いろいろと考えたり、感じたり、癒やされたり励まされたりして来たのだと思います。そういう意味で人は植物に生かされていると言えます。

  「一粒の麦」の聖句について考える参考になれば幸いです。

校長 村手元樹

*2024.5.9 全校朝礼