涼しさの背景にあるもの ―令和7年度2学期始業式―
2025.09.12

夏のカリタスホーム

 


令和7年9月1日(月)、2学期の始業式を行いました。カリタスホームで2学期の始業式を行なえるのは、何年かぶりです。ここのところ熱中症対策のため、オンラインで各教室に配信する形で行っていたからです。今年はカリタスホームにも空調設備が整ったため、全校が一堂に会して2学期のスタートを切れました。以下、始業式で生徒の皆さんに伝えたメッセージを掲載します。

 

「涼しい」は夏の季語

おはようございます。2学期が始まりました。健康に気をつけながら、高校生活、頑張っていきましょう。

さて、ここカリタスホームにも空調設備が整いました。とても涼しく、ありがたいですね。「涼しい」は夏の季語です。本当は気候的に涼しいのは秋ですが、人々が最も「涼しさ」を求め、しみじみと感じるのは夏だということで、夏の季語になっています。涼しいのが当たり前の秋ではなく、暑いさなか、木陰に入ったとき、すっと風が横切った時、「涼しい!」と喜びを覚えます。皆さんもカリタスに入ったとき、たぶんそんな心地よさを感じたでしょう。普通の高校生なら、そこまででいいかもしれません。

 

「涼しさ」をもたらすもの

しかし皆さん、カトリック学校の生徒として、その涼しさという目の前の現象の背景にあるもの、その涼しさをもたらす、目に見えないもの、コンテキストにも眼を向けてほしいと思います。

例えば、一学期から工事が始まり、お仕事とは言え、炎天下の中、大勢の業者の方が作業してくれました。皆さんも一度はお姿をお見かけしたでしょう。また今も、どこかで電気を供給するために働いている人たちがいます。さらに砂漠の油田で働いている人、燃料を輸送する人などの存在があってはじめてもたらされる涼しさです。また背景にはエネルギー問題もあります。原発の問題、限られた資源は、争いや戦争の一因ともなります。

 

関心を持つこと、思いやること

こうしたことに無関心であることはできます。でも、自分との関係はあります。無関心だけど、無関係ではない。マザーテレサの有名な言葉に「愛の反対は憎しみではありません。愛の反対は無関心です。」という言葉があります。関心を寄せることが一つの愛のかたちであると言っています。

日本語に「思いやり」という言葉があります。「思いやる」という動詞から来ています。「思いやる」の本来の意味、古語辞典にはこう書いてあります。「空間的に離れた場所に自分の思い(気持ち)を移動させること。」「やる」は最重要古語で、反対語は「よこす(おこす)」です。「こっちによこせ」は自分のほうにものを移動させること、「お前にこれやる」は自分から向こうに移動させること。つまり「思いやる」とは、自分とは違う場所に思いを馳せること、関心を持つことです。

 

思いやる感性が人生を豊かにする

学園祭の探究企画で各クラス、社会に眼を向け、様々なことに関心を持って、活動をしてくれました。これは本当に重要だと思いますし、日々の学びも物事の眼に見えない背景(コンテキスト)を見る力や感性を養うためのものです。

そして様々なことに関心を持ち、思いを巡らすことが人生を豊かにすると私は信じています。先週、私は豊田市で行なわれている「古代エジプト展」に行ってきました。紀元前のエジプトの人々の生活が垣間見える展示でした。平日にも関わらず混んでいて、ちびっ子、若者、お年寄り、老若男女が空間的にも時間的にも離れた場所に思いを馳せていました。

皆さんもできるだけ多くのことを「思いやって」ください。デカルトという哲学者も言っています。「我思う故に我あり」そんなことも念頭に置きながら、2学期を始めていきましょう。

校長 村手元樹