ペンタス@ルーチェ・ガーデン(ギリシャ語の「5」を意味する「ペンテ」が名前の由来。花びらが星形に5つに広がっている)
◇責任とは「レスポンスができること」◇
10月のテーマ「責任」についてお話しします。一口に「責任」と言っても、法的な責任とか、道徳的な責任とか、職場や学校、家族の中での役割としての責任とか、人に対してどう接するかという責任とか、いろいろありますが、「責任」の本質的な意味は、「責任」の訳語である、英語の「レスポンシビリティ」から覗えるように、「レスポンスができること」(何かの呼びかけや状況に対して応答する、応答できること)だと思います。
◇もしも私が一羽のコマドリを救えたら◇
これに関して、エミリー・ディキンスンという、アメリカの女性の詩人の詩の一節を紹介します。「もしも私が弱った一羽のコマドリを、もとの巣へ戻してやれたなら、私の一生は無駄にならないでしょう。」という詩です。
なぜか、とても心惹かれる詩なんですけど、今ひとつ、その真意が分からなかったんですね。「コマドリを助けるだけで生きる意味がある、生きた甲斐がある」というのは少し大げさではないか、どういうことなんだろう、「いいことした」というだけでなく、何か他に深い意味があるのではないかと思っていたわけです。
でもある時、これは「レスポンスする」ということだと思いました。そう考えたら、この詩の本当に言いたいことが何となく分かったような気がしました。自分が存在して、コマドリを助けることによって、たとえコマドリという小さな存在であったとしても、この世界とつながりを持った、関りを持てた、世界をほんの少しだけでも自分が変えることができた」、そういう実感がもてたなら、そこに生きる意味があるとこの詩は言っているような気がします。
◇役割感◇
「役割感」という言葉があります。「役割感」とは「自分が誰かの役に立っている」「誰かから必要とされている」という感覚です。特にお年寄りにとってはこういう日々の実感が大切で、何らかの役割が生きがいになったり、生きる力となっていることも多いようです。そういう意味では、皆さんの前に掲げられている「責任」と「奉仕」は、別々の違うものではなく、連続性があり、繋がっているものかなと思います。
「もしも私が弱った一羽のコマドリを、もとの巣へ戻してやれたなら、私の一生は無駄にならないでしょう。」
皆さんもこの詩の内容について一度考えてみてください。
校長 村手元樹
*2025.10.9 全校朝礼